
バイクにリターンしてから2年が経つ。
この2年の間、5台のバイクを買い、そのうち2台を売った。
なかなかの散財ぶりだけど、おかげでようやく「自分が本当に乗りたいバイク」の価値基準が固まってきた気がする。
生活環境の変化を理由にバイクを降りてから、再び乗ろうと決めるまで約15年のブランクがあったけど、戻ってからの2年はその空白を一気に埋めるがごとく充実していたと思う。スポーツカーに乗ってたときはそれこそ3ヶ月に1回くらいしか引っ張り出さなかったけど(今でも乗ってるけど)、バイクは毎週乗りたくなるので、やっぱりこっちのほうが性に合ってるんだなあ、と思う。
で、2年経って変化した、「乗りたいバイクの価値基準」について。
バイクに戻ることを決めた当初に持ってた基準って、ブランクの間にお蔵入りさせていた「今より15年若かった頃の好み」と地続きであり、そこに15年のあいだ燻ぶらせていた「買えなかったバイク」「妄想の中の欲しいバイク」を加味したものだったんだなあ、と思う。
私はもともとクルマ趣味のほうから入ったので、バイクに乗り始めた若い頃の価値基準も、スポーツカー選びの延長線上にあった。
スペックの高さはそれだけで憧憬の対象とするための説得力が十分だったし、ガレージに佇む美しくてレアなバイクを眺めることこそが愉悦だったし、ピーキーでとんがっていて乗りにくいスポーツバイク(あるいは大きくて重いクルーザー)を上手に乗りこなすことにチャレンジングな意味を見出していた。クルマ好きがハイスペックなスーパーカーやレーシングカーに憧れるのと同じ目線でバイクを見ていた(しかもバイクの場合、ちょっとがんばれば現実的に手が届くのが大きかった)。
だから、リターンバイクを検討するにあたって最初の出発地点になったのは、昔から憧れていたMVアグスタF4だったり、昔欲しかったけど乗りそびれたトライアンフのハイパワースポーツモデルだったり、ハーレーの大型モデルだったりした。そこから実際に試乗したりレンタルしたりして自分の今の体力と現実的に相談しながら、より安全な最新モデルの比較的マイルドなモデルに落ち着いていったわけだけど、その判断基準の根っこにあったのはやっぱり「15年前の自分の好み」だった。
ところが実際に2年間いくつかのバイクに乗ってみたら、中年になった今の自分にとってその基準自体が大きく変わったことに気づいた。
何よりもまず、「すげー!」っていう憧れよりも「公道で現実的に楽しめるかどうか」が大事になった。公道でもてあますようなバイクに乗っても楽しめないことに気づいた。かといって、サーキットはやっぱりあるていどの転倒のリスクを想定しながら限界を楽しむ場所。4輪ではサーキットに行く私だけど、今さら2輪でサーキットデビューしようとは思わないし、もう若くもないのでちょっとの失敗が再起不能の大怪我に繋がりかねない。そうしたらもう乗れなくなってしまう。
それから、パワフルなエンジンから馬力を絞り出して刺激的な加速を楽しむような運転に興味がなくなった。うるさいマフラー音にも神経を使うようになった。ゆっくりトコトコと走っても楽しめるバイクのほうにより惹かれるようになった。爆音マフラーや、峠で一般車を無理に追い越しまくるような運転への世間の目が昔より厳しくなったことも大きい。まあ、昔だって膝を擦るようなクレイジーな走りはしなかったし、今でも安全マージンをしっかり取りながらスポーツライディングすることは好きだけれども。
なによりも、自分の身体にしっくり馴染むバイクに乗って、気軽に出かけて道中の景色を眺めるような乗り方のほうが、バイクの楽しみ方としてずっと健全だというふうに思えるようになった。
いってみれば、「コレクターズアイテムとしてのバイク」から「道具・消費財としてのバイク」へ、バイクの存在意義が変わってきた。そのぶん、所有することよりもそれを使って何かを体験することのほうが大事に感じるようになった。
趣味としてみたとき、スポーツカーと比較してもバイクは「道具」としての色合いが強い。だってそれは人が乗ってはじめて完結するんだから。そういった意味で、たとえばスキー板なんかに近い存在だと言える。バイク選びにおいては、「憧れ」なんかよりももっと現実的な「自分自身の身体がなにを求めているのか」と向き合うことがとっても重要なんだ、と学んだ2年間でした。
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2024/01/21 10:33:55