台風19号、21号の相次ぐ上陸、並びに首里城火災など立て続けに厄災が日本を襲っています。
被害に遭われた方々、心の拠り所を失われた方々に心よりお見舞い申し上げます。
そして一刻も早い復旧、復興、再建を祈念致します。
三次での一大イベントが無事に開催され、皆様はその後如何お過ごしでしょうか。
拙は、今回のイベント参加の為に多々留保していた案件等の処理に忙殺され、ブログを更新する間も無いまま11月に突入してしまいました。
未だほぼ毎週休日出勤を余儀無くされ、収束には今暫く時間を要しそうな状況で足掻いております。
実は今日に至るまで、イベント参加についてのブログ原稿の下書きを書いては消し、消しては書き直すを幾度も繰り返していました。
旅行記風や時系列記事風、心証風景風など幾つかのパターンで途中まで書くものの拙の中でしっくりいかず、イベントがどんどん過去のものになっていきました。
そのような経過を辿る中で、今回のイベント参加で「何が拙にとって一番楽しかったのか」を見つめ直してみました。
以下、心に残った出来事を思いつくまま列挙させて頂きます。

(尾道の港)
・多くのみん友さんにお会いしてご挨拶やお話しをすることが出来ました。
・お一人のみん友さんとは、宿が同じだったことからイベント後に尾道で美味しい酒肴と共に車談義に花を咲かせとても楽しい時間を過ごすことが出来ました。
・イベントを盛り上げるスタッフさんに「お帰りなさい!」「行ってらっしゃい!」と沢山の声を掛けて頂きました。
・台風の影響で参加が叶わなかった方も少なくない中、全国から集まったロードスター達を拝見させて頂きました。(時間が足りず1/3程度しか拝見できなかった事は本当に心残りです。)
・パレードランではFMラジオから流れる軽妙な会話に耳を貸しつつゆっくりと周回し感慨深い時間となりました。
・イベント前日にはコイン洗車場でスイフトのオーナーさんから声掛け頂き、会話を楽しみました。
・当日の入場前には、会場近くのコンビニで時間待ちをしつつ、同じ様に集まってきたロードスターオーナーさん達との他愛ない会話に花を咲かせました。
・尾道の街では、広島焼きや尾道ラーメンを何軒も梯子して堪能しました。

(尾道商店街)
これ等の全てが楽しく良い記憶です。
では、沢山の想い出の中で最も楽しかった時間とは…。
それは、片道800キロ10時間、往復で1700キロの道中、丸々4日間どっぷりと愛車と戯れる事の出来た時間だったのではないかと思い至ったのです。
往路の中央道経由、復路の東名高速経由の道中、愛車は事故の後遺症が発現することもなく、不調やグズることもなく、淡々と疾駆り続け、拙にとっては愛車のステアリングを握っている時間がこの上もなく至上の時間だったのです。
ましてや1000キロを過ぎた頃からは、内燃機関のカーボンが燃焼除去されたのか、吹け上がりが明快に良くなると言うおまけ付です。。
翻っては、イベント参加を口実に誰に邪魔されることなく愛車との濃密で濃厚なスキンシップの時間を過ごすことが出来たことこそが、他の多くの楽しかった想い出に勝っていた…、と。
台風上陸前の千切れ雲の雨の中、ボディや窓、幌を叩く雨音。
ワックスかけたボディの上で水晶の様な水玉になって転がり、後方に転がり飛んで行く雨粒。
ウッドステアリングを通じて伝わる路面の感触やタイヤのグリップ感。
気持ち良さげに回るエンジンの鼓動。
風切り音と共に後ろに遠ざかるエキゾーストノート。
路面の衝撃で揺すられ、振動を伝えるボディ。
轍やアンジュレーションをしなやかに受け止めつつも的確に路面状況を伝えるサスやショックの動き。
オーディオから小さく流れるフュージョンに対抗して、主役の座を主張するエンジンの唸りとロードノイズ。
トンネルを通過する度に「てへっ!」と両目で瞬きするリトラクタブルライト(不器用なのでウインクは出来ません)。
サイドミラーを覗けば、ロッドアンテナをまるで子犬の尻尾のように千切れんばかりに振っています。
きっと何時もにも増して拙も愛車も目尻を下げ笑顔だったことと思います。
このような非言語的コミュニケーションを通じて、拙と愛車は共に疾駆する喜びを享受したのです。
帰還翌日、愛車は締め括りに入念に洗車を施され綺麗に拭き上げられ、靴をBBS RGに履き替えて、自身の定位置たる車庫の片隅にうずくまり、旅の疲れを癒す眠りに就いたのでした。
11月に入り、朝夕も冷え込むようになってきました。
皆様も体調管理に十分に留意され、愛車との触れ合いの時を満喫されてください。
そして、10年後にまた元気に笑顔で三次でお会いできますように。
【家族への謝意】
関東地方にお住まいの多くのロードスタターオーナーさんがそうであったように、「行くべきか。断念して家と家族を守るべきか」、拙も強くしゅん巡していました。
その背中を押してくれたのは、他ならぬ家族。
「自宅にいても天災の前では出来ることはない。台風上陸でロードスターの身を案じる位なら、広島に行ってこい!」との言葉でした。
道中の家族との通信では、拙宅一帯は多摩川の水位が氾濫危険水位を超えた為、土曜の日中に避難勧告が発令、家族は妻の実家に避難。
翌日曜に自宅に戻ると、我が家は難を逃れたものの、半径300メートル周辺では多摩川に流込む支流が氾濫し、道路は膝上まで冠水し通行止、180もの近隣住戸が浸水していたとのこと。
そのうち40%の住戸では、半地下階の部屋が完全水没しました。
恐らく拙家族は、激しく打ち付ける豪雨と見る間に上昇する多摩川河川の水位に恐怖を感じていたに違いありません。
家族はこのブログを読んでいませんが、そのような中で拙を送り出してくれた妻と子供達に心から感謝するのでした。