名古屋で教会の内覧会をして, 夜行バスで帰ってきました. 横浜では降りないで東京駅まで行きました. 御徒町の銭湯で朝風呂をしてから, ファストフードで朝食. 国の重要文化財, 岩崎邸を見学に行きます. 何故かって, 美術館やアートイヴェントの多くは10時開場ですが, 岩崎邸は9時から開いているのです. この岩崎邸は明治の建築家ジョサイア・コンドルの... って話は他のサイトにいっぱい出ているのでここには書きません. いやー昔の金持ちは裕福の桁が違ってましたね. 金だけでなく文化も持っていたってことですな.
10時になったので地下鉄で広尾へ. フランス大使館旧館の No Man's Land へもういちど行きました. こんども実に楽しく過ごせました この前は混んでいては捕まえられなかったが, アーティストの何人かとも会って話を聞くことができました. です/でしたが新しい表記に変わっていました.
No Man's Land の会場で昼食を採ってから渋谷へ. 夜行バスで強行軍をしたあとなので眠くなってきました. 渋谷から成城学園行きの東急バスに乗って居眠り. 幸い砧町に着く前に起きました. 砧公園にある世田谷美術館で内井昭蔵展を見ます. 内井昭蔵先生は昭和戦後を代表する建築課のひとりと言っていいでしょう. 近代建築の王道を歩いたひとでないから雑誌などでスター建築家として取り上げられることは多くありませんが, 思索的な深みに富んだ空間は素直に人の心を打ちます. 今回は, それ自体が内井作品である世田谷美術館で, 2002年に急逝されてから最初の回顧展です.
ちなみに内井先生は日本正教会の信徒でした. 親子3代に渡る信徒で, 祖父の河村伊蔵さん, 父の内井進さんは共に教会建築の歴史に名を残しています. 内井先生も正教会の聖堂を建てることを望んでおられたようですが, ついに果たされないまま亡くなりました. 自分の教会からチャンスを与えられなかった内井先生は, 晩年に日本基督教団の礼拝堂を設計されました. 僕はまだ中を見ていませんが, 外観は端正で美しい建築です. 正教会の聖堂を建てずに亡くなったことはさぞ無念だったと思います. 建築界にとっても残念なことでした. しかし, 逆に考えれば, もし内井先生が生きておられたら, 僕たちの名古屋聖堂はなかったのです. あれこそ内井先生が設計していたはずの聖堂. 30代の若手建築家を起用して, 内井先生の代わりに聖堂を実現させた. その内覧会から直接この会場に来ている. そう考えると万感胸に迫りました.
展示内容も期待以上で, 祖父や父の影響に始まって生涯を網羅し, オリジナルの図面/模型多数を展示して設計のプロセスに食い込んでいこうとしています. 質/量共にこれまでに見た多くの建築展のなかでも屈指のものだと感じます. ただ一点, 入場してすぐの円形展示室に河村伊蔵, 内井進の業績が映像付きで紹介されているのですが, 内井進が設計した聖堂の立面図に «前小田原ハリストス正教会» というテロップが出ていました. 小田原正教会では1886年に建った最初の聖堂が1923年の関東大震災で倒壊/消失したのち, 箱根塔ノ沢にあった正教会保養所のチャペルを移築して使用しつつ, 内井進に新聖堂の設計を依頼しています. しかしこの設計案は資金難から実現せず, 塔ノ沢から移築した会堂を小田原市内の別の場所にさらに移築して1960年代末まで使い続けたのち, 小杉英男設計による現在の聖神降臨聖堂に建て替えています. したがって内井進の設計図は «小田原ハリストス正教会聖堂設計案» であって «前聖堂» ではありません. これは少し残念でしたが, こうした細かい間違いが気になるのも, それ以外が素晴らしかった故のことです.
晩年の図書類はほとんど CAD で書かれていますが, 1970年代の作品では鉛筆で手書きされたものも多くあります. 実際に描いたのが内井先生か, アシスタントの誰かまではわかりませんが, 描いては消し, カーボンの滓を払った痕跡に作品実現に到る思索の重さ, 凄みが感じられました. 最初から CAD で設計する現代建築家を手本にする現代の建築学生には, なかなか触れる機会のないものでしょう. それにしてもよくこれだけの資料が残っていたものだと思います. 是非とも多くのひとに見て欲しい展覧会です.
内井昭蔵の思想と建築展は2月28日まで世田谷美術館で.
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2010/02/23 01:53:31