2015/12/18閉鎖される鉄道模型のサイト 'Train^2' から移植した記事です.
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注意: このエントリーは架空の鉄道ビジネスについて記述しています. 登場する企業や団体には一部実在のものも含まれますが, その企業活動は史実とは異なります.
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(前回から続く)
海浜遊覧鉄道は1916年(大正5年), 馬入(相模)川の河口に架橋して茅ヶ崎市柳島まで延伸しましたが, この橋は非常に簡便なもので翌年10月の高潮で流されてしまいました. 保線係はすぐに橋を再建しようとしますが, 社内では電化を優先すべきという声もあって意見がまとまりませんでした. 1918年には湘南軌道を救済したため資金繰りが苦しくなり, 橋が再建されたのは1921年(大正10年)のことになりました. このとき茅ヶ崎市西浜まで延伸しています. 電化の準備も進められ, 1923年9月の全線電化に向けてイタリアに2軸の小型電車が発注されました.
1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災は, 震源地に近い湘南海岸一帯に甚大な被害をもたらしました. 湘南軌道では土砂崩れのため一部区間が不通, 葉山湘南の狭軌区間では数箇所で軌道敷が海中に崩落し失われました. 海浜遊覧の馬入川橋梁は6年前のような流失こそ免れたものの, 橋脚と桁を結合するピンが破断して使用できなくなりました. この日は電化初日となる予定で, 地震発生時は最初の電車の出発式が行われているところでしたが, 停電のため発車できなくなってしまいました. 列車の脱線, 駅舎の倒壊, 部分損壊による人的, 物的被害は計り知れないものでした. この難局を乗り切るため, 海浜遊覧鉄道と葉山湘南鉄道は合併で資金力を強化することとし, 同年11月に湘南海岸鉄道合資会社となります.
葉山から大磯までの全線が復旧したのは1925年(大正14年)3月のことでした. 復興工事に併せて葉山-海岸通り間は1067 mm に改軌, 大磯からの950 mm 路線は茅ヶ崎まで延伸して1067 mm の区間と接続し, 現在の海岸通り線が形作られました. この茅ヶ崎-大磯間は電化されており, 江ノ電との複線共用化のため架線の張られていた海岸通り-腰越間と共に, 海岸通り線で最初の電化区間となりました.
1930年(昭和5年)3月, 神奈川県土木部は失業救済対策の一貫として, 湘南海岸道路(鎌倉郡川口村片瀬龍口寺-中郡大磯町)の敷設計画を立案します. これにより湘南海岸鉄道の当該区間は高規格道路上を併用軌道で走ることになり, 併せて片瀬-茅ヶ崎間の電化と茅ヶ崎-大磯間の1067 mm 改軌も決まりました. 会社は湘南海岸観光軌道に社名を変更, この新しい軌道を走らせるに相応しい新型電車として, ミラノのカルミナティ・エ・トゼッリ社に《ティーポ1928》電車の狭軌版開発を依頼します. ティーポ1928は, 米国シンシナティ市交通局コミッショナーのピーター・ウィット氏が策定した標準路面電車仕様書に基づいて設計され, 2年前の1928年にセリエ1500としてミラノ市電に登場した, 当時世界最新鋭の路面電車でした.
1935年(昭和10年)に登場した湘南海岸版ティーポ1928は100系と名づけられました. 100系は20両が輸入されたほか, 戦前戦後を通じて須賀港車庫でノックダウン生産やライセンス生産が行われ, 昭和期の海岸通り線を代表する電車になっていきます.
(次回につづく)
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現実世界向けの解説: 基本的にフィクションですが1917年に相模湾沿岸を襲った高潮は史実です. 1923年の関東大震災はいうまでもありません. 失業対策で作られた県道片瀬大磯線は現在の国道134号線です. 写真は鉄道文化財として譲渡先のサンフランシスコ市内を走るミラノ市電1500系. 新日飛100系はこの1067 mm 版という設定です. 加工技術を身につけ, いつかスクラッチビルトで100系の模型を作るのが夢です. この写真は著作権フリーで公開されているものを使用しました.
Posted at 2015/12/14 23:47:15 | |
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