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100ans-de-solitudeのブログ一覧

2011年02月28日 イイね!

湘南モノレール

2015/12/18閉鎖される鉄道模型のサイト 'Train^2' から移植した記事です.
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昨日 https://minkara.carview.co.jp/userid/302406/blog/36979041/ の続き.
湘南モノレールの写真です.
Posted at 2015/12/15 01:32:21 | コメント(0) | トラックバック(0) | monorail | 趣味
2011年02月27日 イイね!

とりもの のりもの

2015/12/18閉鎖される鉄道模型のサイト 'Train^2' から移植した記事です.
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Caravelle は結構な年齢のおじさんなのでありまして, 働いていると健康保険組合の決まりで人間ドックというのに掛かることができるのです. で, 昨日はその人間ドックへ行く日なのでした.

でまぁ朝の9h30から検査着を着て, 血を採られたりレントゲンを撮られたりしていましたが, 11h 過ぎにはつつがなく終了しました. いや胆嚢に小さなポリープがあったんだけれども, それは前回のドック入りでわかっていたことだし今回も経過観察ということなので... って前回は4 mm だったのが5 mm に, デカくなってんじゃん(怖っ). と不安がないわけではないんだけど, とりあえず健康らしいので安心. なにか美味いものでも食べて帰るか. その前にちょっと模型屋でも覗いて行くかな, と思ったそのとき,

な, 何だこの先月買ったばかりのコートの襟に付着した白いモノは!

空爆? 空爆を受けたのか? しかしこのような隠密攻撃をしてくるとは一体どこの急降下爆撃機だ? というミリオタ向けのギャグは, 政府軍機の空爆を恐れるリビアの民主化活動家を慮るべき時節柄, 不謹慎なので控えさせて頂きますが. とにかく鳥, 鳥だよ, けしからんのは. 鳥は実にけしからん! などと怒り心頭に達しつつ横浜ビブレのトイレで襟の汚れを拭き取り, 機嫌直しにポポンデッタへ.

ポポンでは, いとやんごとなき筋のお嬢さんがジャンク品として500円でバラ売りされていたのを2両ばかり身請けしました. しかし特に欲しかった車両でもなく, また変なモノ買っちまったという思いで気分爽快とはいきません. そこで沖縄料理屋でちょっと贅沢をしてお腹を満足させたあと, "とりもの" に行きました.

いま公開してる劇場映画で捕物帳の時代劇なんかあったっけ? というアナタ, 捕物帳じゃありません, 撮りモノですよ撮りモノ. 大船へ湘南モノレールを撮影しに行くのです. 撮影が終わったもちろんモノレールに乗って帰って来るのですが, これは "乗りモノ" です. いやあ至福の時といっていいでしょう, 我々モノレールマニアにとっては.

というわけで湘南モノレールです. 撮りはじめたのが15時近くで, 間もなく陽が傾いてしまったので, 車体に影が落ちてしまったりと写真の出来はイマイチでした. しかしもともとあまり写真が上手いほうではないので, こんなものだろうと. なにより久しぶりの撮りモノでしたので, 行ったことに満足した1日でした.
Posted at 2015/12/15 01:25:45 | コメント(0) | トラックバック(0) | monorail | 趣味
2010年05月31日 イイね!

モノレールが都市に現れるまで 5

2015/12/18閉鎖される鉄道模型のサイト 'Train^2' から移植した記事です.
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最近, 鉄道や模型とは関係ないところで《ざわついている》印象がどうにも拭えない Train^2 ですが, いろんな騒ぎをまるっきり無視して, ひたすらスチームパンク的モノレール史を書いてきた空気読めないシリーズも, ついに最終回. いよいよモノレールが都市交通としての姿を現します. 前回ちょっと脇道に逸れてしまいましたので, 時計の針をいったん19世紀に戻しましょう.

パーマーが世界初のモノレールをドイツに売り込もうとしていたとき, 最も導入に熱心だったのはヴッパー河に沿った谷間の町々でした. ここは19世紀ドイツにおける商工業の目覚ましい発展を象徴するような土地でした. 急俊な丘の間を河が蛇行する渓谷に, 連なり傍立つ7つの町がそれぞれに繊維, 冶金, 化学合成, 商業などの得意分野で繁栄を競い合っていました. 化学薬品大手バイエル創業の地であり, また思想家フリードリヒ・エンゲルスや哲学者ルドルフ・カルナップの故郷でもあることは, ここがドイツの資本主義と, その富を元手に知識と教養で世界を拓いていった近代ドイツ人の揺籃だった事実を物語っています. パーマーのモノレールに着目したのもそうした進取の気質の現れだったのでしょう. この計画は実現せずに終わりますが, その後の70年で谷には通常型の鉄道が2本と路面電車が導入され, 増え続けるひとと貨物を捌いていました. 1890年代にいたって, なお旺盛な輸送需要は, 細長い谷間の内部を高速で結ぶ新しい交通機関を必要としていました. しかし産業の発達ですでに7つの町の市街地が1つになってしまうほど過密化した谷間に, 新たな鉄道用地は残っていませんでした. そこで市民たちはヴッパー河の上に高架鉄道を通すことを考え, その規格として国内で開発されて間もない懸垂式モノレールを選んだのです.

前々回で述べたように, 1894年にケルンとエルスドルフで方式の違う2つの懸垂式モノレールが試作されていました. このうちファン・デア・ツィーペン&チャリアー社のものは, 断面の四角い軌道桁の内部に2本のレールを狭軌で敷き, この上を走る台車から軌道桁底面中央つまり2本のレールの間に空いたスリットを通して車体を吊るもので, 後の SAFEGE (サフェージュ)式を先取りする先進的な規格でした. これに対しランゲン式は, I字型の軌道桁に載った1本の走行レールを, 両側にフランジを付けた車輪で走るもので, 台車から軌道桁を避けるために湾曲した腕で車体を吊っていました. そして採用されたのはシンプルなランゲン式のほうでした. 理由はさまざまに考えられますが, 軌道桁の内部に駆動部を収納してしまう方式が19世紀末の時点では整備に不安を感じさせたのではないでしょうか. ファン・デア・ツィーペン&チャリアー社でもそれを意識したのか, モーターは軌道桁に納めず, 外部からスリットを通したシャフトで駆動するようになっており, そのことがいっそう機構を複雑にしていました. ちなみにランゲンは直前までファン・デア・ツィーペン&チャリアー社のエンジニアであり, 共同経営者にも名前を連ねていた人物なので, おそらくはモノレールの方式を巡って袂を分かったのでしょう.

この《空中鉄道 Schwebebahn》は1896年(明治29年)にライン県庁(現在のノルトライン=ヴェストファーレン州政府)の認可を得て, 2年後の1898年(同31年)に着工しました. 1900年(明治33年)10月24日にはドイツ皇帝ヴィルヘルムII世を迎えて公開試験走行が行われています. そして1901年(明治35年)3月1日, クルゼ/劇場駅と動物園/競技場駅の間4.5 km で開業したのです. 同年5月にはフォーヴィンケルまで3 km 延伸, 6月にはさらにオーバーバルメンまで5.8 km 延伸しました. 14 km 弱の営業距離は1970年(昭和45年)に開業した湘南モノレールより長く, 1999年(平成11年)に千葉都市モノレールが全線開通するまで世界最長の懸垂モノレール路線でした. 線路は486本の橋脚と吊り橋に支えられています. 電車は初め単行でしたが1918年(大正9年)からは2両編成の新型に以降, さらに1972年(昭和47年)からは3車体連接の現行型車両に置き換えられています. 電化方式は開業以来現在まで直流600 V です. 1928年(昭和3年)にバルメン, エルバーフェルト, フォーヴィンケル, ロンスドルフ, クローネンベルク, ランガーフェルトとベイエンブルクの7市は合併してバルメン=エルバーフェルト市となり, 2年後には市名をヴッパータールと改めました. ここにモノレールは名実共に市内交通になったのです. エリマノフやパーマーの時代から1世紀が経過していました.

2001年(平成13年)3月1日, ヴッパータール空中鉄道は開業100周年を迎えました. しかしその2年前, 1999年(平成11年)4月12日に走行中の電車がヴッパー河に転落, 死者5名重軽傷者49名という開業以来の惨事が起きていました. この事故は保線員がレール上に工具を置き忘れるというヒューマン・エラーによるものでしたが, 開業から100年を経た軌道のメインテナンスにも様々な困難が生じています. ランゲン式の I 字軌道桁は捩りに脆弱で, ヴッパータールでは複線の内側を梁で結合して上下線を一体のラダーフレームに成型し, 強度を稼いでいます. この構造体は完全な剛体とは言い難く, 電車が通過すると捩れたり撓んだりしながら荷重を分散する極めてデリケートなものです. 昨年12月15日にも複数の橋脚に亀裂が見つかり, 今年の4月19日まで長期間の運休を余儀なくされました. この生きた産業遺産を次代に伝えるために, メインテナンス体制の強化が求められています.

モノレールが今日の隆盛を迎えるには, ヴッパータールからさらに半世紀以上を経て, 跨座式の ALWEG と懸垂式の SAFEGE という2つの標準が確立されるのを待たなければなりませんでした. それでも, ヴッパータールでの成功によって, それまで産業用の軽便鉄道か遊園地の乗り物だと思われていたモノレールに, 都市の交通機関という新しい在り方が示されたのは間違いないのです.

おわり.

参考文献/図版出展: 佐藤信之「モノレールと新交通システム」グランプリ出版 2004年
画像はヴッパータール空中鉄道の開通時のようす(1901年).
5回ものシリーズをお読み頂き, ありがとうございました.
Posted at 2015/12/15 00:22:44 | コメント(0) | トラックバック(0) | monorail | 趣味
2010年05月28日 イイね!

モノレールが都市に現れるまで 4

2015/12/18閉鎖される鉄道模型のサイト 'Train^2' から移植した記事です.
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1900年前後になると, 地面に敷いた1本のレールにジャイロスコープを使って直立する, 文字通りのモノレールが構想されます. これはオーストラリアのルイス・ブレナン Louis Brennan とドイツのアウグスト・シェール August Scherl がそれぞれ独自に考案したものでした. ブレナンは1903年, シェールは1909年にそれぞれ模型実験に成功します. さらに1909年, ブレナンは32人のひとを乗せたジャイロモノレールを自力で直立走行させるのに成功しました.

ジャイロモノレールの着想は, レールと車輪の数を半分に減らせば転がり抵抗を半減でき, 速度と経済性を共に向上できるという考えに由来しています. しかしそのために車両1両ごとに1トンのジャイロスコープを積むのは却って不経済で, 性能もよくないことがわかり, 2人の方式は実用化に至りませんでした. なお, ブレナンは英国軍需省で魚雷の研究をしていたエンジニアでした. 広大な帝国領内を走り回る高性能な鉄道を希求していたのでしょう. 一方, シェールは新聞社の経営者で, 新奇な乗り物の開発計画を新聞の拡販に繋げようと考えていた節があります. つまり理想主義的に思えるジャイロモノレールも, 発想の半分は博覧会/遊園地系のモノレールに近いものなのです.

1911年にはロシアのピョートル・ペトロヴィチ・シロフスキー Пётр Петрович Шиловский が, 先行する2人のものとは別にジャイロモノレールの開発に着手しています. シロフスキーはジャイロスコープそのものを研究していた貴族官僚で, 1900年代には行政職の傍ら二輪の自動車を直立させる研究に没頭していました. その経験を踏まえたシロフスキーのモノレールは, ブレナンやシェールのものに比べジャイロスコープの軽量化に成功, 実用化への目処を付けました. 1921年にソ連政府はレニングランード(現サンクトペテルブルク)とツァールスコエセロの間でシロフスキー式モノレールの建設を計画します. しかしこの計画は資金難から頓挫, ジャイロモノレールはついに実用化されませんでした.
http://www.izmerov.narod.ru/monor/monor2.html

なお1962年には合衆国でアーネスト・E・スウィニー Ernest F. Swinney, ハリー・フェレイラ Harry Ferreira とルイス・E・スウィニー Louis E. Swinney の3人がジャイロモノレールの研究をしています. ジャイロモノレールはまだ, 死んだ技術ではないのかもしれません. 日本でも, 人気ミステリー作家にして建築学者でもある森博嗣さんが, お友だちの皆さんとブレナンのモノレールを模型で再現することに挑戦していらっしゃいます. その近況は月刊誌「鉄道模型趣味」(機芸出版社)の今年5月号と, 現在発売中の6月号で読むことができます.

つづく.

参考文献: 佐藤信之「モノレールと新交通システム」グランプリ出版 2004年
森博嗣「ジャイロモノレール」「鉄道模型趣味」2010年5, 6月号 機芸出版社
画像は1909年に直立走行に成功したブレナンのジャイロモノレール. 撮影者の死後70年が経過しているので著作権が失効しています. ちなみに上記佐藤さんの著書はモノレールの歴史と現在を網羅した良書ですが, ブレナンの出身をオーストリアと誤記しています. これをそのまま引用したと見られる多くの日本語ウェブサイトでブレナンはオーストリア人にされていますが, 実際はアイルランドからメルボルンに移住したオースト《ラ》リア人です.
Posted at 2015/12/15 00:17:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | monorail | 趣味
2010年05月26日 イイね!

モノレールが都市に現れるまで 3

2015/12/18閉鎖される鉄道模型のサイト 'Train^2' から移植した記事です.
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リストウウェル=バリビュニオン鉄道の後, 1892年(明治25年)にフランスでフュール=パニシエル鉄道が開業しましたが, 僅か9年で廃止されています. 1900年代にはラルティーグ式を元にした高速鉄道の計画も立てられましたが実現はしませんでした. ラルティーグ式は結局, リストウウェル=バリビュニオンをほとんど唯一の例外として, 産業用の規格に止まりました. 最後のラルティーグ式モノレールは1924年(大正13年)にカリフォルニアのマグネシウム鉱山で建設されたものと言われています.

一方, 産業用モノレールが発達した1870年代, このジャンルが持つもうひとつの可能性が注目されようとしていました. それは, 1851年(嘉永4年)のロンドン国際博, 1855年(同8年)のパリ万博を皮切りに各国が競うように開催した万国博覧会の出し物や, 都市近郊に建設され始めた遊園地の乗り物としてのモノレールでした. 1872年(明治5年)のリヨン万国博覧会でモノレールが出品されたことは前々回にすでに書きました. これはパーマー式などごく初期のモノレールと同じ, レールの左右に荷重を分担させてバランスを取るツイン・バレル方式, あるいはツイン・ボックス方式とでも呼ぶべきものでした. 地上側に固定した原動機からケーブルを介して駆動する単純なシステムでしたが, 大変な好評を博し, モノレールは万博の定番アトラクションとなっていきます. 1876年(明治9年)にはフィラデルフィアの建国百年記念博でリロイ・ストーン式モノレールが登場し, 1880年(同13年)にはこれと似た方式のモノレールが, ニューヨークのマンハッタン島と最初の近代的遊園地として有名なコニーアイランドの間に走ったといいます. これについては詳細が不明ですので, これから調べていかなければなりません.

万博や遊園地のモノレールも, ここまではパーマー式の変種やラルティーグ式に似た A 字型軌道のものがほとんどでした. しかし1880年代後半に入ると, モノレールの方式は百花繚乱の様相を呈してきます. 1886年(明治19年)にはマサチューセッツ州ロウェルのジョー・V・マイグス Joe V. Meigs が, 走行用2本と案内用2本, 計4本のレールを1つの軌道桁にまとめ, これを傾斜した車輪で挟み込んで走るマイグス式モノレールを提唱しています. マイグスは同州でマイグス高架鉄道会社 the Meigs Elevated Railway Company を登記し, ハーヴァード大学で知られるボストン近郊のケンブリッジに実験線を建設しました. これは最高で時速120マイルまで出るという触れ込みでしたが実用化はされませんでした.
http://www.catskillarchive.com/rrextra/odmeig.Html

また1890年頃にはやはり合衆国のイーベン・ムーディー・ボイントン Eben Moody Boynton が, 車体の下に走行用レール, 上に案内用レールを持つモノレールを考案します. 翌1891年(明治24年)にはボイントン・ユニサイクル鉄道 the Boynton Unicycle Railroad としてニューヨーク州のグレーヴサンドとコニーアイランドの間で実用に供しました. この方式は1910年代にも実用化が試みられましたが, いずれも長続きはしませんでした.
http://www.catskillarchive.com/rrextra/odboyn.Html
http://www.arrts-arrchives.com/NYBB.html

1894年(明治27年)にはドイツで懸垂式の新方式が2つ相次いで開発されました. まずケルンのファン・デア・ツィーペン・ウント・チャリアー車両製造会社 Waggonfabrik van der Zypen & Charlier GmbH が箱型の軌道桁を使った懸垂式モノレールを開発, 自社工場内に実験線を設けてテストに成功しました. 続いて同じ年のうちにカール・オイゲン・ランゲン Carl Eugen Langen がラインラント州エルスドルフでランゲン式を開発します. そしてこのランゲン式こそ, 7年後に世界で初めて都市交通として作られたヴッパータールのモノレールになるのです.

つづく.

参考文献: 佐藤信之「モノレールと新交通システム」グランプリ出版 2004年
画像はマイグス式モノレールを描いた Scientific American の挿絵. すでに著作権が失効してパブリック・ドメインの状態にあります.
Posted at 2015/12/15 00:11:27 | コメント(0) | トラックバック(0) | monorail | 趣味

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