2015/12/18閉鎖される鉄道模型のサイト 'Train^2' から移植した記事です.
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パーマーのモノレールは, 両側のバケットに積む荷物の重みを上手く調整しないと, 走行中にバランスを崩して脱線する恐れがありました. そこで同じ英国人のマクセル・ディック Maxwell Dick は, パーマー式の軌道桁にもう1本のレールを付け足して転落防止用の支えにすることを思いつき, 1829年(文政12年)に特許を取得します. ディックはこのアイディアを本にして出版もしており, 現在は google で読むこともできます.
http://books.google.co.jp/books?id=bjvqQwAACAAJ&
パーマーやディックの方式は, 走行輪より下に重心が来る点で懸垂式モノレールに通じるものがありますが, レールの両側に車体を張り出させてバランスを取ったり, ディック式では案内レールを用いたりする点で跨座式とも共通しています. いわば懸垂式と跨座式, 両方に共通するモノレールの原点といえるものです. またこのころモノレールは専ら, 通常の鉄道よりも簡便に建設でき費用が安いことを売り物にしていました. 建設費の安さは今日でも中量輸送にモノレールが採用される要因のひとつですが, 過密な都市空間で設置面積が少なくて済むことや, 独特な形態による利用者へのアピールなどは, この時点ではあまり考慮されていません. そもそも初期のモノレールは貨物輸送を主眼としていました. 皮肉にも1820年代は通常の鉄道が著しい発展を見せた時代で, 量産効果から建設費も下がりました. そのためパーマー以後しばらく, ヨーロッパ枢要部ではモノレールの実用路線は建設されなくなります. 1824年(文政7年)には英国でフィッシャー Fischer? という人物が逆 T 字型のレールを用いた最初の懸垂式モノレールを考案し, 1826年にはアメリカ合衆国でロバート・ミルズ Robert Mills が東部とメキシコ湾岸を結ぶ長距離郵便モノレールを提唱していますが, いずれも実用には至りませんでした.
モノレールが再び脚光を浴びるのは19世紀後半, 帝国主義が絶頂を迎えていた時代に産業用の鉄道として再登場したときでした. 1868年(慶応4年)に英国の鉄道技師ジョン・バラクラフ・フェル John Barraclough Fell は, 両側面に溝のある四角い軌道桁を使ったモノレールを考案し, カンブリア州のヤールサイド Yarlside 鉱山とバローインファーネス Barrow-in-Furness の間で鉱石を運ぶために走らせました. これは桁上面に走行輪を置いて荷重を負担させ, 側面の溝を案内輪で掴んで走るもので, 現在の ALWEG (アルヴェーグ)式に通じる発想のものでしたが, 2年後の1870年にはフェル自ら考案した案内軌条式の8インチ軽便鉄道に置き換えられてしまいます. モノレールは馬に牽かせていましたが軽便鉄道には蒸気機関車が走りました. フェルがモノレールに注目したのは, 案内輪を使うことによる軌道追従性の高さに山岳鉄道としての可能性を見出したからで, 線路は1本でなくてもよかったのです. フェルはその後, 案内軌条を兼ねた大型のラックレールを使う山岳鉄道, 所謂フェル・システムの考案者として鉄道史に名前を残します. 続いて, 1869年にはシリアの砂漠地帯で, オスマン帝国に雇われていた英国人技師 J.L. ハッドン Haddon がロバを牽引に使うパーマー/ディック式のモノレールを建設します. これも砂嵐で軌道が埋もれてしまうのを避けるため, レールを高置するモノレールに着目したものでした. ハッドンはその後1879年に, A 字型(逆 V 字型ともいう)軌道の頂点に走行レール, 左右に案内レールを配した新方式のモノレールを考案しました. A 字型軌道を用いたモノレールには1876年に合衆国で発表されたリロイ・ストーン式 LeRoy Stone's Monorail がありましたが, 小型で簡便なハッドンのものは, ストリングフェロウ Stringfellow が開発した同種のシステムと共に《安価な鉄道》として遠くオーストラリアからも注目されました.
http://newspapers.nla.gov.au/ndp/del/article/1376851
こうした産業用モノレールは, 今日の日本でも静岡県や瀬戸内海沿岸の丘陵地帯で, 茶葉や柑橘類を運ぶのに使われています. A 字型軌道はこの用途に広く受け容れられ, 19世紀のモノレールを代表する存在になっていきます. 1880年代, 北アフリカでプランテーション経営に携わっていたフランス人シャルル・ラルティーグ Charles Lartigue が開発したラルティーグ式モノレールは, なかでもその決定版といえるものでした. ラルティーグ式はフランス植民地の農園鉄道で数多く用いられたほか, ピレネー山地やカリフォルニア州では鉱工業用にも普及し, 総延長は90 km にも及びました. そして1888年(明治21年)3月1日, アイルランドにラルティーグ式モノレールを使ったリストウウェル=バリビュニオン鉄道 Listowel-Ballybunion Railway が開通します. 北ケリー州の片田舎とはいえ, 地域の中心都市と海岸のリゾート地の間15 km を40分で結ぶこのモノレールは, 旅客輸送も行う本格的な鉄道でした. 動力はもはや馬やロバではなく, 車重10 t のテンダー式蒸気機関車でした. この鉄道は1921年(大正10年)からのアイルランド内戦で破壊され, 1924年には廃止されてしまいました. しかし地元有志の努力により1 km 弱が復元され, 2003年(平成15年)から観光客を乗せた運転が行われています.
つづく.
参考文献/図版出展: 佐藤信之「モノレールと新交通システム」グランプリ出版 2004年
画像はリストウウェル=バリビュニオン鉄道. もっと鮮明なページは下記で見られます.
モノレール学会サイトの関連ページ
http://www.monorails.org/tMspages/Listowel.html
リストウウェル=バリビュニオン鉄道(復元)ウェブサイト
http://www.lartiguemonorail.com/
なお前回, 1821年にパーマーが建設したモノレールを世界初と書きましたが, ロシアのエリマノフが1820年にモスクワ郊外でモノレールを走らせていました.
http://www.izmerov.narod.ru/monor/index.html
前回の記述も訂正しましたのでお読み下さい.
https://minkara.carview.co.jp/userid/302406/blog/36978669/