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100ans-de-solitudeのブログ一覧

2009年12月13日 イイね!

フランソワ・ブロンデル

フランソワ・ブロンデルオベリスクは元来太陽光線を象徴するもので, 太陽神の居場所であり, 太陽神殿と呼ばれる祭儀空間に1本だけ立てられるものであった. しかしエジプトが新王国時代に入ると, 神殿の塔門前に2本1対のオベリスクが立てられるようになった. これはシンメトリーへの美的な要請で始まったと考えられているが, 後に太陽と月, 女神イシスとネフティスを象徴するものになった. エジプト学が勃興する以前の近世ヨーロッパでもこれが知られていたことは, 現存作品からわかる. 即ちフランソワ・ブロンデル Nicolas-François Blondel (1618-86) のサン=ドゥニ門である.

ブロンデルは Cours d'Architecture (2巻, 1675-83) の著者として知られるが, Cours de Mathématique (1683)を著した数学者でもあり, 活動範囲は建築に留まらなかった. 歩幅から階段の蹴上と踏み面の寸法を求めるブロンデルの方程式は, 建築と数学を横断する活動の成果である。築城家であると同時に軍人として迫撃砲を使った攻城の専門家でもあった. 外交官であり教育者でもあり, 晩年は精神医療にも関心を示した. そもそもガリレイの最晩年の門弟であり, レオナルドにも通じる万能の人であった. 1671年にフランス王立科学アカデミーから分かれて建築アカデミーが作られたとき, 初代の総長に就任することで, 論敵のクロード・ペロー等同時代人と共に「万能の人」の最後のひとりとなった.

サン=ドゥニ門は1672年, サン=ドゥニ通りが当時パリを囲んでいた城壁を潜る地点に造られた市門である. 現在は10区に属している. 現在の門が作られる前はシャルル V 世時代の中世城塞が市門を守っていた. ライン沿岸とフランシュ=コンテの戦いで勝ったのを記念するため, ルイ XIV 世は凱旋門を作るよう命じた. ブロンデルはローマのティトゥス凱旋門からプロポーションを採り, 幅と高さが共にほぼ25 mの門でこれに応じた. 正方形の中央に幅5 m, 高さ15 mのアーチを開け, 左右に幅1.7 m, 高さ3.3 mの脇アーチを配しているが, これを覆い隠すように2本のオベリスクが配されている.

サン=ドゥニ門のオベリスクには甲冑が幾つも積み重なり, 軍旗や槍で飾り立てられているレリーフが施されている. これはトロフィー trophée と呼ばれ戦利品を意味するものである. ミハイロフスキー城のオベリスクも, 一段だけだが甲冑のレリーフで飾られている.

ブロンデルは外交官としてローマを訪れたことがあり, ティトゥス凱旋門のプロポーションは実物を見た経験から引用したと言われている. 同様にエジプトも訪問したことがあり, 門の左右にオベリスクを並立させる配置も, あるいは実物を見た経験に基づくのかもしれない. ブロンデルはまた, 1657年から63年にかけて東方歴訪の外交団に加わり, モスクワにも滞在している. この際, モスクワ大公国がモンゴル系騎馬民族に備えてタタールスタンのカザンに作った城を見学したいと望んだが実現していない. ブロンデルはこれを残念だったと書き残している.
Posted at 2009/12/15 02:30:10 | コメント(0) | トラックバック(0) | 建築 | その他
2009年12月07日 イイね!

双オベリスク

双オベリスク備忘録として.

ミハイロフスキー城の南側ファサードには1対2本のオベリスクが埋め込まれている. 壁に埋め込まれてるのも変だが, それ以前にオベリスクってのは広場の中央などに1本だけ立てるのが普通で, 2本も並べるのは異様だ. と去年辺りから思っていて, 学会でもそれで通っちゃってきた(それは困りもんだぞ建築学会)のだが, 今日になって突然, 先例を知ってるのを思い出した.

いやこの時点では先例かどうかわからず, とりあえず他にも例があって自分がそれを知ってるのを思い出したのだった. 学部生時代に夢中になって読んだ, André Breton の小説 «Nadja» に出てきた何とか門だ. ちょうどこの夏, Gallimard の folio 版で新しい本を(いや版は1964年ので古いのだが)買い直したばかりだったので, さっそく本棚から取り出して調べた. 37ページにばっちり写真が載ってた. サン=ドゥニ門 Porte Saint-Denis だった. そういえば昔 Paris で実物を見たっけ. オベリスクというより単なる二等辺三角形という感じの変な造形だったが, 作ったヤツは絶対オベリスクと思ってるだろう.

というわけで色めき立って調べてみたのだが, 小さな町の図書館で Porte Saint-Denis を蔵書検索に掛けたって何も出てくるはずがない. とりあえず今日のところは Wikipedia に頼った.

サン=ドゥニ門はミハイロフスキー城より128年も前の1672年, ルイ XIV 世の命令でサン=ドゥニ通りが当時パリを囲んでいた城壁を潜る地点に造られた市門だ. 現在はパリ10区に属す. サン=ドゥニ門が出来る前はシャルル V 世時代の中世城塞が市門を守っていた. ルイ XIV 世はライン沿岸とフランシュ=コンテ Franche-Comté の戦いで勝ったのを記念して凱旋門スタイルの門を作らせた. 設計はニコラ=フランソワ・ブロンデル Nicolas-François Blondel というひとで, 主に建築の分野で活躍しているが軍籍を持ち外交官でもあり, 果ては精神医療に輸血が有効かどうかまで研究していたというから, 単なる建築家ではない. レオナルドなんかと同じ, 所謂 «万能のひと» の系譜に属す存在かと思われる. その辺り, ミハイロフスキー城の基本設計をやったバジェノフとの共通点が指摘できるところか. なおブロンデルは, 階段を設計する際に歩幅に対して最良の蹴上と踏み面を求める «ブロンデルの方程式» を発見したひとでもある.
Porte Saint-Denis
Nicolas-François Blondel
Formule de Blondel

サン=ドゥニ門のオベリスクには甲冑がいくつも積み重なって, 軍旗やら槍やらで飾り立てられているレリーフが施されているが, これはトロフィー Trophée といって戦争に勝ったとき敵から巻き上げた戦利品のことだ. ミハイロフスキー城のオベリスクも, ここまで派手ではないがやはり甲冑のレリーフで飾られていたので, 同じモティーフだろう.
Trophée

ちなみにオベリスクは太陽を象徴するから1本だろうと考えていたのは間違いで, エジプト新王国時代には塔門の前に2本が対で立てられていた. バジェノフは正しかった. ただしバジェノフがミハイロフスキー城を設計したのは, シャンポリオンが古代エジプト文字を解読してエジプト学が勃興するより四半世紀も前のことで, 彼はエジプトに関する知見を考古学的調査によらず, プルタルコス Πλούταρχος などのギリシャ古典文献から得ていたはずだ. それはブロンデルも同じだったはずである. しかし新王国の塔門に2本のオベリスクが対で置かれていたことを記した古典文献があるかどうかは, いまのところわからない.

オベリスクは, 第5王朝時代の太陽神殿にはすべて立っていて, 新王国時代の神殿の塔門の前には, オベリスクは一対になって立っていた (-> Pylons). こうした配置は, おそらく, 最初は, 左右対称の理由でやられたのであったろうが, のちには, 拡大されて, 太陽/月のシンボリズムを含むようになった. すなわち, 2本の石柱は太陽と月に関連して配置され, そのため, 聖なる境内の中で, 宇宙の2本の柱が結ばれることになったのである.
(オベリスク: p.101, 山下主一郎訳「エジプト神話シンボル事典」大修館書店, 1996)

悪や, 神々に敵意あるものを避けることが, 本質的に, 塔門にとって重要なことであったと思われる. このこととは別に, 2つの塔門は, 聖なる姉妹, イシスとネフティスと同一視された.
(塔門: p.111, 同上)

イシスはトトの娘で, トトはギリシャでヘルメスと同一視される. またイシスとその兄で夫でもあるオシリスは不死と戦勝の神でもあることから, これを世の終わりに火の剣を持って悪魔と戦うキリスト教の大天使ミカエル(ミハイロフスキー城の語源)とのアナロジーで捉える発想がバジェノフにあったかどうかが鍵である.
Posted at 2009/12/07 03:42:18 | コメント(0) | トラックバック(0) | 建築 | その他
2009年12月04日 イイね!

オベリスク

オベリスク備忘録として.

オベリスク - オベロス(槍, 串)の派生語. 石造で方形断面の, 上に向かってテーパーの付いた柱で, 先端がピラミッド状に尖ったものをいう. 古代エジプトの祭儀施設で太陽光線を象徴する. サンクトペテルブルクとその近郊には有名なオベリスクが幾つかある. «ルミヤンツェフの勝利記念碑» (建築家ヴィンチェンツォ・ブレンナ, 1799年), カグリススキーとチェスメンスキーのオベリスク(建築家アントニオ・リナルディ, 1770年と1799年), パーヴロフスクのオベリスク群(建築家チャールズ・キャメロン, 1782年), そしてガッチナのコンニタブリヤ広場にあるオベリスク(ブレンナ, 1793年)である。
(E. S. ユスーポフ「建築用語辞典」サンクトペテルブルク, 1994)

上記をクロノロジカルに並べると,

カグリスキーのオベリスク, 1770年, アントニオ・リナルディ.
パーヴロフスクのオベリスク群, 1782年, チャールズ・キャメロン.
コンニタブリヤ広場のオベリスク, 1793年, ヴィンチェンツォ・ブレンナ.
ルミヤンツェフの勝利記念碑, 1799年, ヴィンチェンツォ・ブレンナ.
チェスメンスキーのオベリスク, 1799年, アントニオ・リナルディ?

アントニオ・リナルディは1784年にイタリアへ帰国しているので, 1799年のチェスメンスキー・オベリスクは彼の原案に基づき他の建築家が実現したものだろう, と考えて調べたところ, D. A. キューチャリアンツの「アントニオ・リナルディ」(1994)にも彼のスケッチに基づくと書いてあった. しかし誰が実施したのかは不明. 同じ本にはルミヤンツェフもリナルディの原案と書いてあった.

あとリナルディは, 小さいけどツァールスコエ・セロにもオベリスクを立てている. これは石柱と呼ばれていてオベリスクと名乗ってはいないけれど, 意匠は明らかにオベリスク.

カグリスキー, コンニタブリヤ, チェスメンスキーの3本は, 離宮のある郊外のガッチナに立っている. リナルディの帰国後ガッチナの営繕を任されたのは主にブレンナであったので, チェスメンスキーもブレンナが仕上げた可能性はある. ただし1797年からブレンナはミハイロフスキー城(サンクトペテルブルク市内)の造営を任されており, ガッチナは本務から外れている.

ルミヤンツェフの記念碑はペテル市内にある. ちなみに P. A. ルミヤンツェフはトルコとの戦争で活躍したロシアの高級軍人.

キューチャリアンツのいう通りルミヤンツェフがリナルディ原案なら, ブレンナは自分でコンニタブリヤ広場のオベリスクを設計したうえリナルディの作品も実現し, もしかするとチェスメンスキーのも建てる傍ら, バジェノフから引き継いだミハイロフスキー城の, オベリスクを埋め込んだ不思議なファサードも実現したことになる.
Posted at 2009/12/04 20:39:20 | コメント(0) | トラックバック(0) | 建築 | その他
2008年01月20日 イイね!

その街の今は

お昼少し前, 知人と電話で映画のことなど話していたら, 何故か急に柴崎友香の未読作品が読みたくなりました. いや, 柴崎友香も映画が好きらしいということを話していたので, 別に因果関係を超越してシュールレアルな天啓を受けたわけではありませんが, ほとんど «何故か急に» と言っていい唐突さで読みたくなったのでした. で, 午後から図書館へ.

途中, 2週間ぶりくらいで駐車場の前を通りました. 半年前まで借りていた駐車場です. 斜向かいのアパートが取り壊されていました. 2棟並んで建っていたのが1棟はすでに跡形もなく, もう1棟はまさに取り壊しの最中でした. 半年前, Maria とお別れしたときは人も住んでいたのに. まぁ半年もあれば立ち退きには十分でしょうけれども. そこで商売をしているひとがいる貸し店舗などでは移転先の紹介にも慎重な配慮が必要です(ここ数年の東京大改造で生まれた新名所を僕が素直に祝福する気になれないのは, この点で節操を欠いているように見えるからに他なりません)が, ここに建っていたのは明らかにそういう使われ方はしていない, 住民の多くが仮の住まいと考えているようなアパートでした. 軽量鉄骨造だと思っていましたが, 重機が薙ぎ払ったモルタル壁の背後に現れたのは木の柱でした.

たしか, 小学生くらいの子供がいる若い夫婦が住んでいたのです. あの子供はいま, どこで暮らしているでしょう? いつか大きくなったとき, 斜向かいの駐車場に停まっていた «赤いスポーツカー» のことを憶えていてくれるでしょうか? 憶えていたとして, そのことにどれだけの価値があるか, 僕にはわかりません. 時が過ぎ, 道を行くクルマが入れ替わるように, 沿道の街並みも少しずつ変わっていきます.

名古屋での仕事で, 僕たちのチームは施主に11世紀風のファサード, 15世紀風の平面計画を提案しています. これからは発光放電管や LED による照明を提案していくつもりです. そして作品は全体として, いまある周囲の街並みに調和したものでなければなりません. いま立ち止まって, 過去を思い, 未来への勇気を得られる空間を作りたいから.

柴崎友香の本を借りようと思って図書館へ行きました. 歩いて行きました. 帰りにファミレスに寄り道しました. コーヒーを飲みながら読み始めた本は, 何故か島田雅彦の «エトロフの恋» でした.
Posted at 2008/01/20 19:59:39 | コメント(0) | トラックバック(0) | 建築 | 日記
2007年05月20日 イイね!

名古屋へ行きました

名古屋へ行ってきました. 例の建築計画を施主さんにプレゼンテーションするため, 昨日行って今日帰ってきました. 施主 "さん" と言っても法人なので, 会議のような形で大勢のひとを相手にプレゼンするわけです. ビジネス・パートナーである S 夫妻はおもに個人住宅を手がけている建築家なので, こういうプレゼンには不馴れなのだそうです. 僕は建築学会での発表で大人数相手には馴れてるけれど, いかんせん実務経験がありません. 毎回, 不安でいっぱいです.

11日の打ち合わせで僕も驚かされた S 氏のアイディアが, 面白いと言われてすんなり受け入れられてしまったのは意外でした. 新し過ぎるとか遊びだとかいう保守的な意見が出るかと覚悟していたので. でも結局, そのアイディアを採用するには全体の規模を犠牲にしなくてはならず, 施主さんとしては規模を優先したいとの意向があったので, 評価はされたものの却下に. 面白いから採用! とならないところが, 建築の実務ですね. マスプロダクトの商品なら, 地域限定特別仕様などという形でテスト販売してみることも行われますが, 建築は基本的にワンオフで, やり直しが効きません. 面白いアイディアでも慎重にならざるを得ません.

ところで, 買い換え計画が宙に浮いてしまい Maria の行く末が心配な時期, ほんとうは今日もマリを運転して名古屋まで行きたかったのです. でも業務用に新幹線の回数券を提供されていて, それは独りで Maria に乗っていくのより (Maria の燃費が高速道路では驚異的によくなることを考慮しても) 遙かに経済的なのでした. 1月に仕事を獲りに行ったときは Maria で名古屋に乗り込みましたが, あのときは S 氏が一緒でした. 今回は現地集合です. 1月とは違って, これはもう動き出した仕事であって, 趣味の延長で行動すべきではないでしょう. そう思って涙を呑みました.
Posted at 2007/07/17 01:37:33 | コメント(0) | トラックバック(0) | 建築 | 日記

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