
備忘録として.
ミハイロフスキー城の南側ファサードには1対2本のオベリスクが埋め込まれている. 壁に埋め込まれてるのも変だが, それ以前にオベリスクってのは広場の中央などに1本だけ立てるのが普通で, 2本も並べるのは異様だ. と去年辺りから思っていて, 学会でもそれで通っちゃってきた(それは困りもんだぞ
建築学会)のだが, 今日になって突然, 先例を知ってるのを思い出した.
いやこの時点では先例かどうかわからず, とりあえず他にも例があって自分がそれを知ってるのを思い出したのだった. 学部生時代に夢中になって読んだ, André Breton の小説 «Nadja» に出てきた何とか門だ. ちょうどこの夏, Gallimard の folio 版で新しい本を(いや版は1964年ので古いのだが)買い直したばかりだったので, さっそく本棚から取り出して調べた. 37ページにばっちり写真が載ってた. サン=ドゥニ門 Porte Saint-Denis だった. そういえば昔 Paris で実物を見たっけ. オベリスクというより単なる二等辺三角形という感じの変な造形だったが, 作ったヤツは絶対オベリスクと思ってるだろう.
というわけで色めき立って調べてみたのだが, 小さな町の図書館で Porte Saint-Denis を蔵書検索に掛けたって何も出てくるはずがない. とりあえず今日のところは Wikipedia に頼った.
サン=ドゥニ門はミハイロフスキー城より128年も前の1672年, ルイ XIV 世の命令でサン=ドゥニ通りが当時パリを囲んでいた城壁を潜る地点に造られた市門だ. 現在はパリ10区に属す. サン=ドゥニ門が出来る前はシャルル V 世時代の中世城塞が市門を守っていた. ルイ XIV 世はライン沿岸とフランシュ=コンテ Franche-Comté の戦いで勝ったのを記念して凱旋門スタイルの門を作らせた. 設計はニコラ=フランソワ・ブロンデル Nicolas-François Blondel というひとで, 主に建築の分野で活躍しているが軍籍を持ち外交官でもあり, 果ては精神医療に輸血が有効かどうかまで研究していたというから, 単なる建築家ではない. レオナルドなんかと同じ, 所謂 «万能のひと» の系譜に属す存在かと思われる. その辺り, ミハイロフスキー城の基本設計をやったバジェノフとの共通点が指摘できるところか. なおブロンデルは, 階段を設計する際に歩幅に対して最良の蹴上と踏み面を求める «ブロンデルの方程式» を発見したひとでもある.
Porte Saint-Denis
Nicolas-François Blondel
Formule de Blondel
サン=ドゥニ門のオベリスクには甲冑がいくつも積み重なって, 軍旗やら槍やらで飾り立てられているレリーフが施されているが, これはトロフィー Trophée といって戦争に勝ったとき敵から巻き上げた戦利品のことだ. ミハイロフスキー城のオベリスクも, ここまで派手ではないがやはり甲冑のレリーフで飾られていたので, 同じモティーフだろう.
Trophée
ちなみにオベリスクは太陽を象徴するから1本だろうと考えていたのは間違いで, エジプト新王国時代には塔門の前に2本が対で立てられていた. バジェノフは正しかった. ただしバジェノフがミハイロフスキー城を設計したのは, シャンポリオンが古代エジプト文字を解読してエジプト学が勃興するより四半世紀も前のことで, 彼はエジプトに関する知見を考古学的調査によらず, プルタルコス Πλούταρχος などのギリシャ古典文献から得ていたはずだ. それはブロンデルも同じだったはずである. しかし新王国の塔門に2本のオベリスクが対で置かれていたことを記した古典文献があるかどうかは, いまのところわからない.
オベリスクは, 第5王朝時代の太陽神殿にはすべて立っていて, 新王国時代の神殿の塔門の前には, オベリスクは一対になって立っていた (-> Pylons). こうした配置は, おそらく, 最初は, 左右対称の理由でやられたのであったろうが, のちには, 拡大されて, 太陽/月のシンボリズムを含むようになった. すなわち, 2本の石柱は太陽と月に関連して配置され, そのため, 聖なる境内の中で, 宇宙の2本の柱が結ばれることになったのである.
(オベリスク: p.101, 山下主一郎訳「エジプト神話シンボル事典」大修館書店, 1996)
悪や, 神々に敵意あるものを避けることが, 本質的に, 塔門にとって重要なことであったと思われる. このこととは別に, 2つの塔門は, 聖なる姉妹, イシスとネフティスと同一視された.
(塔門: p.111, 同上)
イシスはトトの娘で, トトはギリシャでヘルメスと同一視される. またイシスとその兄で夫でもあるオシリスは不死と戦勝の神でもあることから, これを世の終わりに火の剣を持って悪魔と戦うキリスト教の大天使ミカエル(ミハイロフスキー城の語源)とのアナロジーで捉える発想がバジェノフにあったかどうかが鍵である.
Posted at 2009/12/07 03:42:18 | |
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