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2010年05月21日 イイね!

モノレールが都市に現れるまで 2

2015/12/18閉鎖される鉄道模型のサイト 'Train^2' から移植した記事です.
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パーマーのモノレールは, 両側のバケットに積む荷物の重みを上手く調整しないと, 走行中にバランスを崩して脱線する恐れがありました. そこで同じ英国人のマクセル・ディック Maxwell Dick は, パーマー式の軌道桁にもう1本のレールを付け足して転落防止用の支えにすることを思いつき, 1829年(文政12年)に特許を取得します. ディックはこのアイディアを本にして出版もしており, 現在は google で読むこともできます.
http://books.google.co.jp/books?id=bjvqQwAACAAJ&

パーマーやディックの方式は, 走行輪より下に重心が来る点で懸垂式モノレールに通じるものがありますが, レールの両側に車体を張り出させてバランスを取ったり, ディック式では案内レールを用いたりする点で跨座式とも共通しています. いわば懸垂式と跨座式, 両方に共通するモノレールの原点といえるものです. またこのころモノレールは専ら, 通常の鉄道よりも簡便に建設でき費用が安いことを売り物にしていました. 建設費の安さは今日でも中量輸送にモノレールが採用される要因のひとつですが, 過密な都市空間で設置面積が少なくて済むことや, 独特な形態による利用者へのアピールなどは, この時点ではあまり考慮されていません. そもそも初期のモノレールは貨物輸送を主眼としていました. 皮肉にも1820年代は通常の鉄道が著しい発展を見せた時代で, 量産効果から建設費も下がりました. そのためパーマー以後しばらく, ヨーロッパ枢要部ではモノレールの実用路線は建設されなくなります. 1824年(文政7年)には英国でフィッシャー Fischer? という人物が逆 T 字型のレールを用いた最初の懸垂式モノレールを考案し, 1826年にはアメリカ合衆国でロバート・ミルズ Robert Mills が東部とメキシコ湾岸を結ぶ長距離郵便モノレールを提唱していますが, いずれも実用には至りませんでした.

モノレールが再び脚光を浴びるのは19世紀後半, 帝国主義が絶頂を迎えていた時代に産業用の鉄道として再登場したときでした. 1868年(慶応4年)に英国の鉄道技師ジョン・バラクラフ・フェル John Barraclough Fell は, 両側面に溝のある四角い軌道桁を使ったモノレールを考案し, カンブリア州のヤールサイド Yarlside 鉱山とバローインファーネス Barrow-in-Furness の間で鉱石を運ぶために走らせました. これは桁上面に走行輪を置いて荷重を負担させ, 側面の溝を案内輪で掴んで走るもので, 現在の ALWEG (アルヴェーグ)式に通じる発想のものでしたが, 2年後の1870年にはフェル自ら考案した案内軌条式の8インチ軽便鉄道に置き換えられてしまいます. モノレールは馬に牽かせていましたが軽便鉄道には蒸気機関車が走りました. フェルがモノレールに注目したのは, 案内輪を使うことによる軌道追従性の高さに山岳鉄道としての可能性を見出したからで, 線路は1本でなくてもよかったのです. フェルはその後, 案内軌条を兼ねた大型のラックレールを使う山岳鉄道, 所謂フェル・システムの考案者として鉄道史に名前を残します. 続いて, 1869年にはシリアの砂漠地帯で, オスマン帝国に雇われていた英国人技師 J.L. ハッドン Haddon がロバを牽引に使うパーマー/ディック式のモノレールを建設します. これも砂嵐で軌道が埋もれてしまうのを避けるため, レールを高置するモノレールに着目したものでした. ハッドンはその後1879年に, A 字型(逆 V 字型ともいう)軌道の頂点に走行レール, 左右に案内レールを配した新方式のモノレールを考案しました. A 字型軌道を用いたモノレールには1876年に合衆国で発表されたリロイ・ストーン式 LeRoy Stone's Monorail がありましたが, 小型で簡便なハッドンのものは, ストリングフェロウ Stringfellow が開発した同種のシステムと共に《安価な鉄道》として遠くオーストラリアからも注目されました.
http://newspapers.nla.gov.au/ndp/del/article/1376851

こうした産業用モノレールは, 今日の日本でも静岡県や瀬戸内海沿岸の丘陵地帯で, 茶葉や柑橘類を運ぶのに使われています. A 字型軌道はこの用途に広く受け容れられ, 19世紀のモノレールを代表する存在になっていきます. 1880年代, 北アフリカでプランテーション経営に携わっていたフランス人シャルル・ラルティーグ Charles Lartigue が開発したラルティーグ式モノレールは, なかでもその決定版といえるものでした. ラルティーグ式はフランス植民地の農園鉄道で数多く用いられたほか, ピレネー山地やカリフォルニア州では鉱工業用にも普及し, 総延長は90 km にも及びました. そして1888年(明治21年)3月1日, アイルランドにラルティーグ式モノレールを使ったリストウウェル=バリビュニオン鉄道 Listowel-Ballybunion Railway が開通します. 北ケリー州の片田舎とはいえ, 地域の中心都市と海岸のリゾート地の間15 km を40分で結ぶこのモノレールは, 旅客輸送も行う本格的な鉄道でした. 動力はもはや馬やロバではなく, 車重10 t のテンダー式蒸気機関車でした. この鉄道は1921年(大正10年)からのアイルランド内戦で破壊され, 1924年には廃止されてしまいました. しかし地元有志の努力により1 km 弱が復元され, 2003年(平成15年)から観光客を乗せた運転が行われています.

つづく.

参考文献/図版出展: 佐藤信之「モノレールと新交通システム」グランプリ出版 2004年
画像はリストウウェル=バリビュニオン鉄道. もっと鮮明なページは下記で見られます.
モノレール学会サイトの関連ページ
http://www.monorails.org/tMspages/Listowel.html
リストウウェル=バリビュニオン鉄道(復元)ウェブサイト
http://www.lartiguemonorail.com/

なお前回, 1821年にパーマーが建設したモノレールを世界初と書きましたが, ロシアのエリマノフが1820年にモスクワ郊外でモノレールを走らせていました.
http://www.izmerov.narod.ru/monor/index.html
前回の記述も訂正しましたのでお読み下さい.
https://minkara.carview.co.jp/userid/302406/blog/36978669/
Posted at 2015/12/15 00:07:59 | コメント(0) | トラックバック(0) | monorail | 趣味
2010年05月18日 イイね!

モノレールが都市に現れるまで 1

2015/12/18閉鎖される鉄道模型のサイト 'Train^2' から移植した記事です.
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モノレールの歴史は古く, 実に1820年(文政3年)まで遡ります. この年, ロシアのイワン・キリロヴィチ・エリマノフ Иван Кириллович Эльманов がモスクワ郊外のミャチコヴォ村で1本のレール上に乗り物を走らせています. ロシアの特許制度が未整備だったこともあり, このモノレールについてはまだよくわからないことが多くあります. ロシアや旧ソ連には他にもモノレールやその計画があったようなので, これから調べていかなければなりません.
http://www.izmerov.narod.ru/monor/index.html

エリマノフに遅れること僅か1年, 翌1821年(文政4年)11月22日には, 英国のヘンリー・ロビンソン・パーマー Henry Robinson Palmer がモノレールに関する最初の特許を取得しました. これは地上から5フィートほどの高さにレールを設置し, その両側に荷物を振り分けるものでした. 荷物を吊り下げる台車は複数が繋がれて列車のような編成を組み, 馬で牽引されました. レールを高置する必要はあるものの1本で済むうえ, 動力機械を使用しないので通常の鉄道より安く建設できるのが売り物でした. パーマーはこれを英国海軍に売り込み, 1824年にはロンドン市内に軍需輸送用の実用路線を建設します. 1826年にはドイツの炭鉱に石炭輸送用として売り込み, さらに風力を用いたシステムも考案しますが, いずれも実現はしませんでした.

パーマーのモノレールは確かにレールを1本で済ませることに成功しましたが, 代わりに積み荷を左右に振り分ける必要がありました. 今日実用化されたモノレールから見ると洗練を欠くようにも思われます. しかしこの種のツイン・バレル型モノレールはその後も開発され続け, 1872年(明治5年)にはフランスのリヨン万国博覧会で旅客用のものが登場しています. これは蒸気機関を使っていましたが車載ではなく固定式で, レールの上を通したケーブルによって車両を牽引していました. さらに1930年代にはソ連がプロペラ牽引で高速運転するツイン・バレル型水陸両用モノレール http://blog.modernmechanix.com/2008/03/18/twin-amphibian-cars-for-monorail/ を中央アジアに建設する計画を立てていますが実現しませんでした.

つづく.

参考文献/図版出展: 佐藤信之「モノレールと新交通システム」グランプリ出版 2004年
画像はパーマーの風力モノレール.
Posted at 2015/12/15 00:02:25 | コメント(0) | トラックバック(0) | monorail | 趣味
2010年05月17日 イイね!

デハ601+クハ602


元小田急1600形. 藤沢線ごと移籍してきた. 昭和20年代から30年代にかけて新日飛藤沢線/大船線の主力だった. 大船線開通後しばらくは横浜まで国鉄線に乗り入れていたので, 国鉄の基準に合わせて尾灯をオデコから腰に移すなどの改造を受け, 小田急のオリジナルデザインではなくなっている. しかしボディの塗色だけはどういうわけか最後までチョコレート色のままだった.

模型: 鉄コレ近江200系塗り替え. ボディを塗り替えただけの手抜き改造で, 辻褄が合わないところは設定のほうで調整した.
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2015/12/18に閉鎖される鉄道模型のサイト 'TrainTrain' の 'コレクション' コーナーから移植しました.
Posted at 2015/12/17 00:41:03 | コメント(0) | トラックバック(0) | 架空鉄道 | 趣味
2010年05月17日 イイね!

Navy 2005+2007



元鉄道省51系のモハ51とクハ68. 戦時中の省庁再編により運輸逓信省を経て敗戦時は運輸省に所属した. 中央線の急行用に作られ, 戦時体制で急行の運用がなくなってからも中央線を走っていたが, 1945年9月, 極東委員会麾下の連合国軍最高司令官総司令部(SCAP/GHQ)に接収された. 接収後, ただちにアメリカ合衆国海軍第3艦隊日本占領支援作戦群特設陸上輸送団に配備され, 東京と横須賀を結ぶ海軍将校専用列車 Naval Limited として就航した. この列車はのちに Admiral Express と改称される. 1950年代初頭, 運輸省から現業部門を引き継いだ日本国有鉄道が, 関西から転属させた42系電車を横須賀線に提供するのと引き替えに接収解除となった. したがって海軍電車として走った期間は短いが, 果たした役割は大きい. 半流線型の美しいフォルムに惚れ込んだアメリカ人軍属の提案により, この電車を整備するために多くの復員鉄道員が米海軍に雇用された. これが海軍電車, すなわち今日の JIBLoS ヨコヨコ線の基盤を作るのである.

(念のためお断りしておきますが以上は架空鉄道の設定です. 史実とはまるっきり関係ありません).

模型: GM クモハ51とクハ68. ほとんど素組みしただけで, 塗装のみ架空世界のオリジナル. GM 旧型国電の多くは発売当時の飯田線を再現する目論見でモデル化されているようで, 終戦直後に接収されたという設定だと厳密にはおかしなところも多いのだと思われるが, よくわからないので無視. なにしろクモハのほうは2005年に偶然立ち寄った GM ショップで四半世紀ぶりに出会った N ゲージで, 懐かしさで買ってみたものの, どんな電車なのかさっぱりわからなかったのだから. 認識番号が2005なのはそのためである. 永らく下塗りだけで放置していたのを2009年にようやく仕上げた. 塗色はボディがタミヤカラーのシーブルー, 屋根と床下はヘイズグレーとミディアムブルーをベースに数種類の灰色と青を混色している. シーブルーは上からハンズカラーのクリア(艶あり)を吹いてあり, 当時アメリカ海軍艦載機の制式塗装だったグロッシーシーブルーを再現している. 動力がまだなので, 近いうちにどうにかしたい.
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2015/12/18に閉鎖される鉄道模型のサイト 'TrainTrain' の 'コレクション' コーナーから移植しました.
Posted at 2015/12/17 00:29:04 | コメント(0) | トラックバック(0) | 架空鉄道 | 趣味
2010年05月16日 イイね!

デハ258+クハ260


新日飛の藤沢線は, 大東急の傘下で旧小田急江ノ島線の藤沢-片瀬江ノ島の区間が大日本飛行鉄道に移管されたものだが, そのとき路線といっしょにやってきた元小田急151形(東急1250系)電車の一員. 新日飛では250系となった. 戦後, 250系が海岸通り線の急行用に転用されていくなか, 最後まで藤沢線にとどまった. 不評のため短命に終わったオリーヴ色塗装を施された数少ない電車でもある.


2枚目の写真は片瀬駅で海岸通り線の256と並ぶ258+260. カッティングマットの上に見えるかもしれないが, 片瀬駅だと思って見るように. あと260に集電装置が付いてないような気もするけど何かの間違いに違いない.

模型: 鉄コレ改造. 258は岳南鉄道1107, 260は越後交通クハ1451から塗り替え. 258のパントグラフォは GM の PT-42, 戦後だいぶ経ってから交換されたという設定で付けてみたのだけれど, やっぱり不釣合いなのでそのうち PS-13 あたりに交換する予定.
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2015/12/18に閉鎖される鉄道模型のサイト 'TrainTrain' の 'コレクション' コーナーから移植しました.
Posted at 2015/12/17 00:38:46 | コメント(0) | トラックバック(0) | 架空鉄道 | 趣味

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