
佐田岬には特別な思い出がある。
行くと必ず体調不良になるという思い出が。
あの道が悪いのか?それとも私が悪いのか?
それはもちろん、私が悪すぎた…
のろのろ運転中のコチラは、兵庫県相生市(あいおいし)
高速が一部通行止めのため、国道2号線を西に向かって車を走らせている。
長らく兵庫に住んでいるが、2号線で赤穂市(アコウシ)を抜け県外に出るのは初めて。
それに気づいた途端、「もっとノロノロでもいいぞ」と思った。
岡山の備前から高速に乗り瀬戸大橋へ。
愛媛に行く前に、香川でうどんを食べるつもり。
日中、しかも行きしなにココを通ると、どうしても与島PAへ寄りたくなる。
生憎の天気なんてなんのその。
車を降りて瀬戸大橋を見ると、旅のワクワク感がカラダの隅々まで行き渡る感じがする。
「ゴ〜〜〜」という轟音。
岡山行きのマリンライナーと一緒に写真に収めることができたので、その強がりもまんざらではなくなった。
頭の中は「うどんうどん」で、さぁ出発🚙
やっぱり晴れには敵わないな・・・(⌒-⌒; )
北備讃瀬戸大橋(きたびさんせとおおはし)

瀬戸大橋は全長12.3km
6つの橋が連なって出来ており、それぞれに名前が付いている。
香川県随一の大型コンビナートである「番の州(ばんのす)臨海工業団地」から出る白い煙は、橋の終わりを告げると同時に、新たな旅の始まりも感じさせてくれる。

事前にリサーチしていた2軒のうどん屋さんへ向かいます。
本当はみん友さんが言っていたお店に行きたかったのですが、この日は定休日でした。
一軒目、肉ぶっかけ。
ダシは好みに近いが濃い
麺は、、普通
ちくわ天✖️
2軒目
鍋焼きうどん
私の口には合わなかった。

文句ばかりで申し訳ない。
うどんは麺よりダシが命というのが自分の考えですが、好みの問題ということで。
また高速に乗り、終点の今治湯之浦ICから国道196号線を松山方面へ🚙
瀬戸内海西部に広がる斎灘(いつきなだ)の海もこの雨では寂しいばかり。

ちなみに、愛媛県は、東予・中予・南予の3つに分けられている。
今治など上の方は東予、松山は中予、佐田岬は南予になる。
女性の気の強さもその順番と言われ、嫁をもらうなら南予の女性が良いとはよく聞いたものだ。
それを言うなら「よく言ったものだ」ですけどね。笑
松山市に入りました。
JR予讃線と並走できる区間も出会いはなし😕
雨も本降り☔
そして到着したのが、JR伊予北条駅からすぐ近くにある「鹿島(かしま)」という島へ渡る待合所の駐車場。
ここは私にとって特別な場所であり、日本で一番好きな島であり、この北条の町はいつも私の心を癒してくれる。

この鹿島は「寅さん」こと渥美清さんが第二の故郷と生前語っていた島である。
私は寅さんファンではありますが、寅さんとは全く関係がなく、後にそれを知ったときはとても驚きました。
まさかココがね…なんという縁なんだ。
これもこじつけになるのだろうか(笑)
晴れであればこんな感じ。
いつかの鹿島。山頂展望台へ。(15年程前に撮影)
展望台より北条の町と高縄山を望む。
島へは渡らず用事を済ませるため松山市の中心部へ。
雨足が弱くなってきたと喜んでいたのですが、晩ごはんへ向かう頃にはまた本降りの雨となりました☔
翌朝、ホテルの窓からは松山城の二の丸庭園(写真左の山頂)が見えました。
まだ街は静まり返っているように見える。
でも、さすが四国一の繁華街に近いだけあって、まだ鳴りを潜めているようにも見えた。

あの観覧車🎡
出来てすぐの頃に乗ったことがある。
もう20年以上前のこと。
ワタシもあの観覧車と同様に、見た目は大して変わっていない。言うのはタダw
佐田岬に行く前に、見納めになるJR松山駅へ記念撮影に向かった。
このJR松山駅は、伊予鉄道の松山市駅とは違って相変わらず発展しない。
駅の裏側では高架工事が進んでおり、来年秋の完成予定。
当然既存の駅舎は解体されることとなる。
時計を見ると8時を過ぎたところ。
通勤通学者が足早に通り過ぎる中、駅に向かって撮影を続ける自分に少しだけ照れを感じた。
これから松山の中心部を抜けて県内を南下するのだが、その中心部の大手町で、新旧の車両を偶然一緒の写真に収めることができた。
ちなみに旧型の2000系は京都市交通局から譲渡されたもので1964年に製造された車両である。

偶然もダブルとなるとスゴい❗️なぜなら、ここがダイヤモンドクロス(線路が平面で交差する場所のことを指す)だったということだ❗️
線路が垂直に交差するのは全国で3カ所しかありません。
しかも、普通の鉄道路線と路面電車が交わるのは全国で唯一ここだけである。
新型の低床バリアフリー型車両は2017年から導入された。
それから走ること約50分、鉄道好きなわたくしとしてはJR下灘駅を無視して通り過ぎることはできない。
9時半ということもあってか誰もいなかったのは初めての経験です。
ところが車から降りる瞬間、新たな見物客がやってきたので慌てて写真を撮りました。
駅舎前で愛車と共に写真に収められたのは何より嬉しかった。
下灘駅は、JRの青春18きっぷのポスターでお馴染みの駅で、駅の下に国道ができるまでは「日本一海に近い駅」だった。
目の前には伊予灘の海が広がる。
晴れであればもっと気分も高揚したのは言うまでもない。
黄昏時も大人気ですが、経験はありません。
次はとうとう佐田岬です🚙
道すがら大洲市長浜にて肱川(ひじかわ)の最も河口付近で撮影。
少しだけ「肱川あらし」に見えましたが、写真では判別できず。

肱川あらしとは、上流の大洲盆地で作られた冷気が霧を伴って肱川沿いを一気に流れ出すという珍しい現象です。
大規模な時には沖合10キロにも達するとのこと。
後ろから車が来たので慌てて出発する。
それから約1時間半、佐田岬の駐車場に到着。
車で来れるのはここまで。

写真には写っていないが、他に車が3台いた。
どこから来てるのか気になって見たら、高知、滋賀、横浜だった。
過去、この場所に2回きましたが、その2回とも首のヘルニアが原因で帰りは運転できませんでした。
運転を相方に替わってもらうだけでは治まらず、車酔いのしんどさを遥かに超える体調不良に襲われました。
もし公共の乗り物に乗っていたら人目も憚らずその場で倒れ込むほどです。
過去、何度か駅のベンチに倒れ込み、時には駅長室に寝かせてもらったこともある厄介な身体。

でも、今回は大丈夫✌️だが、感動には及ばす(笑)
首のヘルニアは20代後半からの付き合いだが、最近はだいぶ落ち着いている。
風はなく気温も高め、白い佐田岬灯台まで歩くにはよい散歩日和だ。
でもやめた。
その手前の椿山展望台まで歩こうかな。
でも途中でやめたw
対岸の大分県を見るだけで満足した。
前回行った時の夕暮れ写真。
車で横になってたら暗くなりました。
帰り道(佐田岬)、亀ヶ池眺望とやらを初めて見る。
波と一緒に打ち寄せられた土砂が、段々と積もり海がせき止められてできたものとのこと。
いわゆる「潟湖(せきこ)」です。
最深12mもあるらしい。

メロディーラインは、四国では佐田岬にしかありません。
行きが「うみ」、帰りが「みかんの花咲く丘」だったけど、前回は「瀬戸の花嫁」だったと思う。
ちょっと遅い昼食へと、八幡浜にやって来ました。
「八幡浜みなっと」という道の駅で鯛めしと八幡浜ちゃんぽんを食べました。
八幡浜市向灘(むかいなだ)の段々畑です。
ここは「四国八十八景」に選定されており、5月は白い花が咲き乱れ、秋にはみかんのオレンジ色に染まる山と海とのコントラストが素晴らしいとのこと。

また、八幡浜はみかんが有名な愛媛県の中でも、最大の生産量と出荷額を誇るらしいですね。知らんかった。
フェリーなどの大型船はあの建物の向こうにある桟橋に接岸する。

日が暮れるのは早い。
八幡浜を後にし、最後の目的地へと向かう。
最後は、西予市(せいよし)宇和町卯之町(うのまち)の町並み見物です。

江戸末期から昭和初期の旧商家の建物が立ち並びます。
幕藩時代には宇和島藩の在郷町として栄えました。
「開明学校」です。
四国最古の小学校で明治に建築されました。
また、長野県松本市の「旧開智学校」と姉妹館として交流しているとのこと。
この辺りは、坪ヶ谷(つぼがたに)新四国と言われている。
それは、四国八十八ヶ所巡拝の小規模版のことで、全長6キロの間に88ヶ所を設け、それを百回お参りすれば本四国の代わりになると江戸時代から伝えられている。

別の土地からやって来て、この辺りに投宿し、短期間で百回600キロを達成した人がいるとするならば、ものすごい精神力だろう。
他に観光客はいなかった。
それにしても、この寂しさは心地よいものではなく、とても身に染みるような寂しさだった。
今回の旅は楽しいようで、実はある意味、人生という時の流れの辛さを思い知らされるものだった。
あの頃には帰れない切なさ。
もちろん、明るい未来につながる良い旅であったとも思いたい。
きっとそうなるという願いをこのブログに込めている。
【BLESSING 祝福】
日本語詞:吉元由美
作曲:Pascal Obispo(フランス人)
個人的な感傷の押し売りを得意とするわたくしの選曲。
もし集中して聴いたとすれば、ラストの1分20秒は…
両手を捧げて 見上げる空は