本当に僕が乗りたいクルマって何なのか。
思えば、小さい頃からスピードに挑戦してた気がします。
自転車に乗れるようになると、思いっきりスピードを出して家の目の前の公園を一周してみたり。
まあ三歳児ですからタカは知れていますが、コーナーを曲がる時に思いっきりチャリを傾けてコケたりペダルが地面に激突して吹っ飛んだりとかよくやってました。
壁に向かって全速で漕いで、いかにギリギリで止まれるかとかも(笑)。
そんな幼少期のちゅんけ父の愛車。

参考。以下の写真も。
僕は記憶に無いのですが、赤いストライプ入りのGTOのオートマだったそうです。
乳飲み子の僕を助手席に乗せたオフクロは、よくシグナルGPを挑まれたそうです(笑)。
僕が最初に覚えているウチのクルマ。
ギャランラムダ。
まさしくこのボディーカラーと内装色でした。
小四の頃まで有った気がします。
シートがフカフカで、子供心にお気に入りのクルマでした。
幼稚園の頃に隣のビートルに乗ってる家の同年代のクソガキに「〇〇ちゃんちのくるま、ダメダ!!」と言われてショックで泣きながら帰ったら、オフクロに「なぁにぃ!?ボロクソワーゲンって言って来い!!」なんて思い出も(笑)。
そう言えば、幼稚園バス乗り場に行く途中に黒いオーバーフェンダーが付いたシルバーのケンメリがあったのも覚えています。
当時放送していた西武警察は必ず毎週オヤジの膝に座って見てました。
「このクルマかっけー♪」とワクワクして見ていたのは、ガゼールでも団長の130Zでもなく、サファリの放水車(笑)。
あとはオープニングの「チャーチャーチャー♪」と共に看板を突き破って運河を飛び越えて裏返しで屋根から火花を散らしながら滑走する30Zとか。
( ̄▽ ̄;)
そんな感じでほとんどクルマには興味がなく、小四の頃にちゅんけ父は次のクルマに乗り換えます。
カリーナ。
このクルマの事は、正直よく覚えていません。
当時は旭川に居て、雪道で汚れた新車を雪の塊でゴシゴシ擦って綺麗にしたつもりで傷だらけにしてお袋に「お父さんに正直に謝んな‼︎」と怒られ、帰って来たオヤジに「なんか言う事無いのか」「ん?何もないよ」とトボけた瞬間にフロに沈められたりしたのは覚えてますが、クルマにほとんど興味が無かった証拠(笑)。
ロードマンのチャリンコを買ってもらって、堤防の上を爆走してたのは覚えています。
(^^ゞ
そんなこんなで僕が高校に入る頃、ずっと新車を乗っていたちゅんけ父は初めての中古車を知り合いから譲ってもらいます。
GX71マークⅡグランデ。
僕が県立高校を落ちて私立進学校に入ったせいで、新車を買う金が無くなっちゃったのかもしれません。
(^^;
このクルマが来てしばらくしてから同級生に「F1面白ぇぞ」と教えてもらい、エンジンが付いた乗り物に俄然興味が湧き始めます。
(^^ゞ
当時初めて見たレースは、90年か91年のアメリカGP。
ルーキーのジャン・アレジがポールを取って、セカンドグリッドはミナルディのピエロ・ルイジ・マルティニだったレースです。
「ほーほー。ティレルとミナルディってチームが強いのか。フェラーリだのエスポラルースのランボルギーニだのは大した事ねぇんだな。スーパーカーも形だけなのか」と番狂わせのレースを最初に見たせいで、僕は少しズレた認識を持つ様になります。
更にソコソコいい成績で進学校に入ったにも関わらず「モテそう」と言う理由で入ったテニス部のネームバリューを存分に利用して、周りの女子高生と合コンに勤む日々を送った僕はアッと言う間に落ちこぼれます。
「むう。このままじゃイカン」と考え直しまして、オヤジに直談判。
「オレ、学校辞めてレースやっから。」
「バカな事言ってんじゃねぇ!いいから卒業しろバカ‼︎」とあっさり一蹴されましたが、この頃から何かがブスブスと燻り始め、CAR BOYやオプション、デイトナなんかを読み漁って「オシャレなアメ車で峠のナンバー1になればレーサーになれるかもしれん」と訳の分からない妄想をしながら盗難車のJOGを乗り回す日々でした(笑)。
で、結局ダラダラと高校を卒業しまして。
反抗期全開だった僕は、転勤で茨城から都内に戻るオヤジ達に「俺は茨城で生きてくから」とアパートの敷金礼金と普通免許の金を貰って、ガソリンスタンドでバイトを始めて、人生初の愛車を手に入れます。
続く。
…かな?
( ̄▽ ̄;)
Posted at 2020/11/19 22:05:40 | |
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