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2014年05月04日

ロン・デニス、アイルトン・セナとの思い出を語る

ロン・デニス、アイルトン・セナとの思い出を語る アイルトン・セナのマクラーレン時代のボス、ロン・デニスが、アイルトン・セナとの思い出を語った。

ロン・デニスは、1987年の夏にアイルトン・セナと契約し、セナが1993年末にチームを離れるまで密接に働いた。アイルトン・セナは、マクラーレンで96回グランプリを走り、35勝を挙げ、3度のワールドチャンピオンを獲得した。


【ロン、まずどのようにマクラーレンとアイルトンは契約を結んだのですか?】

アイルトンが探りを入れてきたんだ。彼はチームが競争的だと思っていた。彼はチームに加わりたいと思っていることをはっきり示していた。彼はロータスで3シーズン目を迎えており、ホンダエンジンはますます魅力的になっていた。それらのことがみんなの考えの中にあったのは非常に明白だった。彼の方から会いたいと言ってきた。彼はそのときイーシャーの賃貸住宅に住んでいて、我々のいるウォーキングとはそれほど離れてはいなかったので、大半は彼の自宅で打ち合わせをしていた。契約交渉が結論に近づき、我々は金額についての話し始めた。彼にはクルマに乗る以外の選択肢はなかったし、我々にとっても彼と契約をしないなどということは考えられなかった。だが、我々は金額について合意に達することができなかた。我々は50万ドルについて議論していた。それで私がコインをはじいて決定するというアイデアを出した。だが、当時アイルトンは英語がそれほどうまくなかったので、詳細について5分間の話し合いがあったよ。紙切れに絵を描いて説明しなければならなかった。とにかく前進させたかったんだ。そして、コインが空中に投げられ、スピンした。床に落ちたとたんにロケットみたいに飛んでいってしまったんだ! カーテンの下でカタカタと音を立てているのが聞こえたよ。私がカーテンを引くと、私が賭けに勝っていたよ!その時点では、我々はどちらも3年契約をコインを投げて決めたということに気付いていなかった。結果として合計では150万ドルの契約となっていたんだ。お金の価値を軽視するものだと言われたこともあった。だが、まったくそのようなものではなかった。あれは話し合いの行き詰まりを解決する唯一の手段だった。

【マクラーレンが全16戦中15勝を飾った1988年は素晴らしい記憶ですか?】

クルマがとても遅れていた。かなり遅れていた。あまりにも遅れ過ぎており、『見てください。イモラ・サーキットでの最終テストを逃すことになるでしょう』と言われたよ。そこで私は上着を脱ぎ、下へ降り、白いコートを着て全員に『このクルマは絶対にイモラへ行く!』と伝えた。私が全体の指揮を執り始めてから数時間以内に2~3人のシニアスタッフがやってきて、私の言いたいことはわかったと伝えてきたよ。だが、とにかく遅れていた。全員を2~3日はファクトリーに缶詰めにするしかないと思った。そして、我々は最終テストにクルマを間に合わせることができた。誰がクルマを最初に運転したかよく覚えていない。おそらくアランだったと思うが、3回目のアタックラップのときにライバルたちよりも1.5秒くらい速かった。あのときは信じられない瞬間だった。まるで映画のスローモーションのシーンのように誰もがお互いに顔を見合わせながら、なぜこんなことが起きたんだと自問していたよ。

【1998年のモナコでのアイルトンのパフォーマンスは覚えていますか?】

彼のポルティエでのクラッシュは集中力が切れた結果だった。彼をスローダウンさせようとしていたが、レーシングカーのスピードを緩めると、集中力も失ってしまうものだ。あのときもそれが起こってしまった。それだけのことだ。彼はとても怒っていたし、ピットに戻ってこなかった。彼はそのまま歩いてサーキットを立ち去り、自分のアパートに戻って座り込んでいたよ。彼はその夜遅くまで姿を現さなかったし、そのとき彼は自分自身に対してかなり怒っていたね...

【1989年のイモラでは、アイルトンがレース前の約束を破ったとアランが訴えていましたが、何があったのですか?】

彼らはお互いに信頼関係を壊した。彼らの両方にその責任がある。彼らは何度もお互いを非難し、それが公にも知られることになってしまった。二人の間には相当な緊張感と怒りがあった。その後、彼らはウェールズのペンブレイと呼ばれるサーキットでテストを行った。私はヘリコプターでそこに降り立ち、サーキットの脇に停めてあった小さな連結バスの中に彼らを座らせた。私は逃げ腰な人間ではないし、彼らには私が悪者だと思わせなくてはならないという気持ちだった。もし、彼らが私に対して敵対的になれば、彼らがお互いに敵対することはないだろうと感じていた。デリケートなことだったし、うまくやるのは簡単ではなかった。だが、彼らは二人は素直ではないという点では完全に五分五分だったよ。彼らは利用できるものはすべて利用しようとした。自分たちの国のメディアを煽ったり、ホンダのところへも行ったりと、ありとあらゆることをやっていた。

【アランが去ったあと、ゲルハルト・ベルガーはアイルトンにどのような影響を与えましたか?】

ゲルハルトは、チームにユーモアを持ち込んでくれた。彼は場を和ませる名人だった。彼には際限というものがなかった。ゲルハルトには限度というものがあんかった。本当に限度がなかった。まさに危険スレスレのことまでやるようになった。我々がハミルトンでダイビングをしていたときにある出来事があった。かなり深くまで潜っていたときにゲルハルトが私の酸素ボンベのスイッチを切ってしまったんだ! 彼は愉快に思っていたようだがね! また、同じ旅行で、彼らが私を海に放り投げて、サメが襲ってくるかどうか見るために海に餌をまき始めたんだ! 今になれば笑い話だが、あのときは笑える状況じゃなかったよ・・・!

【最も大切なアイルトンとの記憶は?】

あるとき彼が私に封筒をくれた。まだ自宅にとってある。彼は自分専用の文房具を使っていて、そこには自分のヘルメットが描かれていた。すでに封筒は開封されているが、彼が私にそれを渡したときには1万ドルが入っていた。それはメキシコで私が皿いっぱいのチリを食べられるかどうかという賭けをしたときの支払いだった。彼がその賭けを撤回する前に、私はチリをガツガツと平らげてしまっていた。彼が賭けに負けたのはあれが4回目くらいだった。しかも、かなりの大きな賭けにね。彼は私に金の入った封筒を渡しながら、もう二度と賭けはしないと言っていたのを思い出す。彼を賭けに誘い込んだのは私だったが、あまり良い行為ではなかったね!あれは良い思い出だ。なぜならアイルトンの顔全体に微笑を浮かばせることは簡単なことではなかったからね。だが、彼にお金を払わせることの方がもっと難しかったよ。

【1990年の鈴鹿での事故については覚えていますね。あれはアイルトンのキャリアのなかで最も論争の的となる事件のひとつでした・・・】

全てのタイヤ跡を見て回ったことを覚えている。ブレーキやアクセルペダルを踏んだときのね。そして、何が起こったかを理解するのにアインシュタインになる必要はなかった。彼がガレージに戻ってきたとき、私は彼に失望したと伝えた。彼もその意味がわかっていた。それ以上は何も言わなかった。あれは彼がレースで自分の弱さを見せた数少ない場面のひとつだった。彼があの行為に満足していたとは思っていない。

【1993年はアイルトンのマクラーレンでの最後のシーズンとなりました。驚くべきクルマ、MP4/8での素晴らしいパフォーマンスについての思い出は?】

1年が始めに、彼をブラジルから出てこさせようとしていたんだ。『金のことは心配するな、とにかく来てクルマを試してみろ』と伝えた。彼は『フォードエンジンで勝てるわけがない。走りたくない』と言っていた。それからの会話は行ったり来たりだった。最終的に、彼はシルバーストンに到着し、クルマに乗り込み、一度アタックラップを行った。そして、彼はピットへと戻ってきた。彼がシートベルトをはずしてクルマから飛び降りたとき、私はちょうと無線にプラグを差し込もうとしていたときだった。何が起こったのか不思議に思った私はモーターホームへと入っていった。そうしたら彼は『オーライ。このエンジンは素晴らしい。スロットルを開けると進み続ける。これで勝てるよ!』と言っていたよ。あのクルマは疑いなく、それまで作った最高のクルマの一台だった。圧倒的だったし、インテリジェントなクルマだった。どこでギアを変えるべきかがわかった。すべてのコーナーで8回もサスペンションをリセットすることができた。アイルトンは、その新しいオモチャに大喜びだったよ。あのクルマは彼の強みを発揮させた。彼はすべてのデータを入念に調べ上げ、クルマを最適化していた。

【その年のドニントンでのヨーロッパGPについて覚えていますか?あれはアイルトンのこれまでで最も素晴らしいパフォーマンスのひとつでしたね・・・】

それまでで最高のチームレースだった。もちろん、アイルトンの功績は大きいが、チームもすべてを適切にこなした。他チームが失敗する中で、我々はすべてのピットストップのタイミングを的確に判断していた。我々が正しい判断をするたびに、我々はさらに前進し、彼らが間違った判断をするたびに彼らは後退していった。あのレースは素晴らしい愛情とともに覚えている。驚異的なレースだったし、とても楽しかった。

【アイルトンのマクラーレンとの最後のレース、勝利についてはいかがですか?】

最後のレース(1993年の最終戦オーストラリアGP)を迎えたとき、私は我々がお互いに少し息抜きをすることが必要だったんだと思う。私たちの関係は非常に張りつめたものになっていた。チームのみんなが感情的になっていた。私は彼らに『私は彼にここにとどまらせようとしているんだ。頼むから穏やかにしていてくれ』と言った。彼はうろうろしていたし、本当に戸惑っていた。だが、彼は忠実な男だったし、私に『いいかい、僕は契約書にサインしたし、コミットメントしている』と言っていた。レース後の夜でさえ、彼はまだ迷っているようだった。私にはアイルトンが忠誠心と格闘しているのが見てとれた。我々はプジョーエンジンで悲惨な経験をすることになったが、あの時点では彼に1994年からプジョーのファクトリーエンジンを手に入れられると伝えていた。それは彼が去った後だったがね。彼は私に、もし私がその契約を2か月前に結んでいたならチームに残っただろうと言っていた。彼はファクトリーエンジンなしでは勝つことはできないと考えていたんだ。

【なぜ多くの人々はアイルトンを最も偉大だと考えるのでしょう?】

それは、彼が生きている間ずっと非常にとても良かったからだと思う。彼が事故で命を落としたという事実をポジティブに受け取ることはできない。だが、そのことで彼の力が衰えていくところは見ずにすんだ。F1に長くとどまりすぎて名声を曇らせてしまったドライバーもたくさんいる。それに、彼は信じられないほどの競争的だったことからも記憶に残っているのだと思う。彼は偉大だった。だが、彼は人間としても素晴らしかったよ。彼はその人生でいくつかの過ちも犯した。だが、彼は信じられないほどの信念を持っていた。そして、彼はいい人間だった。
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Posted at 2014/05/04 00:06:55

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