
トップの絵のことは後で書こうか・・・。
11月23日。世間さまでは勤労感謝の日なれど、そんなものは関係のない弊社では、「いつもほどではないけど軽めの」業務を逃れられない、「ハタビ」でございました。
今日は現場巡回が4か所ほどたまっていたのでそいつらを一気にやっつけてしまおうと、巡業ツアーに出発。
道中の川口市内の河原に在った、赤いよだれかけのついたお地蔵さんに思わず合掌した時に、ふっと思ったりした・・・。
いつからだっけ・・・?
道端に立っているお地蔵さんに合掌したりするくせがついたのは・・・
そんなこと考えたりしたらもう一つの癖を思いました。
志半ばで路上で倒れた動物たちの亡骸にも、いつも手を合わせている・・・。
いつからだっけ・・・・・?
いつからだかわからないくらいずっと昔から、恐らくそうだったと思うんだ。
道路に立っているお地蔵さんといえば、恐らくだけどその場所で不慮の事故で亡くなられた方への鎮魂の印として建立されたのではなかろうか?
たぶんそうなんだろう。
人によっては「乗り移られるよ」という意見もあるんだけども。
なんだけど、相変わらず拝んでしまい今日にいたっている。
拝むって言う気持ち。
例えばお寺に行ってご本尊の菩薩様やらに拝むというのとは、ちと違う・・・
馬頭観音さんでも、道祖神さんでも、そこでずっと見守ってくれてるのかと思うとなんだか拝んでしまう。
うん。
それって・・・土着の素朴な信仰心みたいなものなのだろうね。
短期間ではあるけれど、僕は寺で生活した経験がある。
寺は禅寺だ。
寺の生活における信仰心というのと、僕が普段何げなく手を合わせているモノって、違うような同じような、未だによくわからないんだけど、結局は「どこかから授かった仏性」みたいなものなのだろうと考えている。
拝んでいるときはなぜだか心の中が「からっぽ」になっているような気がするんだ。
一瞬だけかもしれないけれど、その「からっぽ」は存外に気持ち良かったりする。
少々不謹慎ではあるんだけど・・・・・。
結局難しいコトなど考えずに自然に拝んでいるようだ。
寺に居る時と同じなのかどうか、やっぱりわからない。
そういえば、青森県が生んだスーパースター「吉幾三」の「おら東京さ行ぐだ」の歌詞の中に「数珠を握って空拝む」とういうくだりがある。
その「拝む」というのと同じなのかどうかもわからないけど・・・・・。
信号待ちの折々にそんなことを考えながら夕方近くまで仕事をしていた。
江戸川区某所の小さな川を渡ろうとしていたら、男の人がその橋の上から見える「スカイツリー」を写真に収めようと試みていた。
なぜだか知らないけれども・・・
東京タワーもスカイツリーもなぜだか拝みたくなる対象になっている。僕的には・・・・・。
今日の夕方はその拝む対象を撮影させてもらった。
ありがたや・・・・・。
さて、ありがたやと来たところで、今日は勤労感謝の日。
そんな日に勤労した自分に、自分で感謝の意を表するために・・・・
「ぷしっ!」
うんぐうんぐうんぐうんぐうんぐ・・・・・。
はいご苦労さん!(ちゃんちゃん)
Posted at 2010/11/23 17:01:35 | |
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