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TT-romanのブログ一覧

2025年07月22日 イイね!

🏯城攻略〜出羽国 米沢城〜 伊達政宗生誕の城、そして米沢上杉ゆかりの地へ

🏯城攻略〜出羽国 米沢城〜 伊達政宗生誕の城、そして米沢上杉ゆかりの地へ米沢城と言えば私としては現在、小説「伊達政宗」を読んでいるということもあり、伊達家の城、そして政宗生誕の城というイメージですが・・・
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観光パンフレット表紙は・・・
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上杉氏は秀吉の命での移動ということですが幕末までの長きにわたって治めたので地元の人も認めているのだと思います。

おまけですが私の愛読書(マンガですが)「花の慶次」の主人公前田慶次の墓もこの地にあります。(今回は訪問していませんが)
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米沢城
築城年 暦仁元年(1238)
築城者 長井時広
主な城主 伊達氏、蒲生氏、上杉氏
続日本100名城No.109
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残念ながら城域は堀で確保されていますが上杉神社がメインで遺構はほとんど残っていません。

上杉鷹山公像
ジョン・F・ケネディが1961年に就任した際に、日本の記者団に「日本でいちばん尊敬する人物」を聞かれたときすぐに鷹山の名前を挙げたという逸話があるそうです。
私も現役時代に童門冬二『上杉鷹山の経営学』(PHP文庫)を読んだことがあります。
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上杉景勝公と直江兼続公主従像
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直江兼続巨大人形もありました。
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上杉神社
祭神は上杉謙信であります。
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本丸御殿庭園
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上杉謙信祠堂
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上杉謙信公像
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伊達政宗公生誕の地
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水堀
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菱門橋
残念ながら修復中で渡れませんでした。


戦利品
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まだ日没まで十分時間もあるので関連施設へ
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上杉家廟所
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開門時間は過ぎていたので隙間から
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すぐ隣にある

米澤藩主上杉家菩提寺 法音寺
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さらにもう一か所
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春日山林泉寺
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直江兼続夫妻の墓
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上杉家廟所
先ほどのものは上杉謙信及び景勝以降の藩主の廟所でありましたがこちらは上杉一族子女のものです。
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ではお参りも済んだので米沢市内のホテルにチェックインです。
大浴場♨で汗を流してからホテル内のレストランで夕食
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初日 
歩数 16,811歩
ほとんど平城だったので体力的には楽でしたがさすがに暑さでバテました。
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注)スマホもポケットやバックに入れておかないと手に持って歩いているとスマホカメラが熱で作動しなくなったり、撮ったらこんな画像だったり(笑)
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米沢城では水をぶっかけて冷やしました💦



Posted at 2025/08/03 20:03:55 | コメント(1) | トラックバック(0) | | 旅行/地域
2025年07月22日 イイね!

🏯城攻略〜出羽国 長谷堂城、上山城〜 最上、伊達、上杉攻防の地

🏯城攻略〜出羽国 長谷堂城、上山城〜 最上、伊達、上杉攻防の地長谷堂城の戦い

1600年(慶長5年)、関ヶ原の戦いとほぼ同時期の長谷堂城の戦いの場所です。
『慶長出羽合戦』とも言われるこの戦いは、『北の関ケ原』とも呼ばれ、東軍の最上義光と西軍の上杉家臣直江兼続が激戦を繰り広げました。
直江兼続は2万の兵をもって最上領に侵攻し、菅沢山に本陣を置き、山形城への最終防衛線である長谷堂城に迫りました。
城将志村伊豆守は1千の兵をもって奮戦し、上杉軍を食い止め、関ケ原での西軍敗戦の報を受けると
上杉軍は米沢へ撤退しました。

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長谷堂城
築城年 16世紀前半
築城者 最上氏
主な城主 最上氏、志村氏、坂氏
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長谷堂城は、山形城に居する最上氏にとって重要な支城の1つであった。特に、置賜地方にあった長井氏を滅ぼした伊達氏との争いの中で重要な防御拠点である。1514年(永正11年)、伊達稙宗が当城を落としたとの記録が長谷堂城の初見である。この合戦により、最上氏は不利な条件で和議を結び、伊達氏の風下に立つこととなる。(Wikiより)

駐車場はいくつかありますが私たちは八幡口近く(下記地図現在地)に停めました。
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水堀
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帯曲輪群
正直現地でもわかりにくいので写真だと??ですね。
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土塁
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曲輪
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横矢掛り
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主郭
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登城口から15分ほど、標高229mですが麓からの高さは85mなので平山城と言った方がいいかもしれません。

虎口
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眺望
本城である山形城も見えています。
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眺望写真パネルには直江兼続本陣跡も示されていますが木が邪魔で見えませんでした。
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曲輪群
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大手門口(慈眼庵口)
帰りは少し道を変えて大手門から降りました。
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戦利品
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続いてはこれも100名城ではありませんが
模擬天守が見事な最上氏の城

上山城
築城年 天文4年(1535)
築城者 武衛義忠
主な城主 上山氏、小築川氏、松平氏
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上山城(別名:月岡城)は、1535年(天文4年)に武衛義忠が月岡・天神森に築いたと伝えられています。
最上氏の最南端の城塞で、米沢の伊達氏や上杉氏との攻防の舞台となりました。
江戸初期に最上氏が改易された後は歴代藩主の居住となりましたが、城下町まで含めた整備がなされたのは土岐氏の治政下で、当時の壮麗な城郭は「羽州の名城」として知られました。
しかし、1692年(元禄5年)、土岐氏の転封と共に幕府により取り壊され、現在は堀跡の一部が当時の名残をとどめています。(山形県観光サイトより)
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左より直江兼続、最上義光、伊達政宗甲冑(子供向け甲冑体験用)

眺望 蔵王連峰🏔を望む
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パネル展示
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身長204cm、出羽ヶ嶽文治郎、高身長のアクアファンさんとの比較でもこの通り
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戦利品
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初日最後は独眼竜伊達政宗生誕の城








Posted at 2025/08/03 19:20:36 | コメント(4) | トラックバック(0) | | 旅行/地域
2025年07月22日 イイね!

🏯城攻略〜出羽国 山形城〜 57万石、東日本最大級の城郭

🏯城攻略〜出羽国 山形城〜 57万石、東日本最大級の城郭本ブログは7/22のものです。
1週間遅れですが悪しからず。

100名城、続100名城も9割がた攻城し、終盤戦となってきました。
今回は東北最後の遠征、「みちのくひとり旅」ではなく、いつものはらぺこ星人さん、アクアファンさんとの「みちのく三人旅」です。
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今回の準備として
◆参考書
「伊達政宗」 山岡荘八著 全八巻
Amazonのまとめ買いキャンペーンンで購入しましたが、まだ1巻を読み始めたばかりで復習用となります。
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◆足回り新調
SALOMON トレッキングシューズ
1年くらい前に購入したものがサイドが岩場かなんかで切れたので新調しました。
城巡りは山城でも登山とは違うので私は普段履きと軽さを重要視してトレイルランニングシューズ
そして晴雨兼用のゴアテックスチョイス。
そしてさりげない安上がりカスタム、シューズレース(㊧へ)交換です。
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◆猛暑🔥対策
ユニクロ ギアショーツ
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◆そして最も大事な
ドライブパス
南東北周遊プラン3日間7,600円です。
今回は平日に宮城、山形、福島と3県を巡りますので断然お得です。
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ではいざ出陣🛫です。
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はらぺこ星人さん、アクアファンさんとは仙台空港集合です。
今回のレンタカーは攻城遠征初の2L車しかも4WD、しかもほぼ新車でした。
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仙台からのスタートですが行程の都合上、最初の攻城先は山形県山形市まで80kmほどドライブです。

まずは予習と名城スタンプ、御城印のため
最上義光歴史館
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ところがいきなり罠に・・・
月曜定休日ですが祝日の場合は翌日休館💦
あるあるです。
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最上義光像
細かいことで恐縮ですが読み方は「もがみよしあき」です。
ちなみに義光の妹・義姫(のちの保春院)が伊達輝宗に嫁ぎ、永禄10年(1567年)には長男・梵天丸(後の伊達政宗)を生むことになります。
叔父、甥の関係ですね。
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山形城
築城年 延文2年(1357)文禄元年(1592)元和9年(1623)
築城者 斯波兼頼、最上義光、鳥居忠政
主な城主 斯波氏、最上氏、鳥居氏、保科氏、松平氏、奥平氏、堀田氏、秋元氏、水野氏
日本100名城No.10
国指定史跡
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二ノ丸東大手門
1991年復元完成
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上記パンフレットにも記載がありますが「全国でも有数の規模を誇る」全国5位の規模の城とのことです。

二ノ丸土塁、水堀
その外側に鉄道が走っています。
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二ノ丸東大手門櫓門
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二ノ丸
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最上義光騎馬像
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東大手門櫓
内部は資料館となっており無料見学できます。
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好物のジオラマ
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パネル展示
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金箔瓦
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櫓から二ノ丸を望む
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横矢
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本丸へ向かう途中に石垣の説明がありました。
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本丸の堀は当時は水堀でした。
二ノ丸同様、枡形、櫓は石垣ですが他は土塁となっています。
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本丸一文字門
2014年復元
櫓台石垣、大手橋、高麗門
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櫓門
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本丸
天守はなく、本丸御殿がありました。
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こちらも現在本丸御殿、櫓を復元計画中とのことなので楽しみですね👍
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これで終了しましたがブログ作成のために改めてパンフレットを見ると、南門、北門などもあり、クルマで中にも入れたようです。
これはよくあることです(笑)
ただ・・・

屏風折土塀
全国初とのこと、これは見たかったですね。
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ここに限らずなかなか一回の訪問ですべてを見尽くすのは難しいです。
本丸御殿、櫓の復元計画もありますし、1,500本の桜🌸の名所とのこととライトアップもキレイなようなので再訪問もありですね👍

さて昼食です。
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続いては少しスケジュールより時間的に余裕ができたのではらぺこ星人さん企画のオプション設定の城へ向かいます。

Posted at 2025/08/01 20:13:19 | コメント(2) | トラックバック(0) | | 旅行/地域
2025年07月12日 イイね!

🏯城攻略〜摂津国 小浜城〜城塞寺内町

🏯城攻略〜摂津国 小浜城〜城塞寺内町6月は梅雨シーズンのため遠征攻城はお休みしました。
7月、8月と遠征攻城を予定しているので足慣らし、暑熱順化のために攻城です。
関西は早々に梅雨明けして連日猛暑日💦は続いています。
なのでさすがに山城は避けて、かねてよりリストアップしていた超近場、愛車で20分ほどお隣の宝塚市で攻城です。


小浜城
築城年 永禄年間(1558〜1570)
築城者 一向一揆勢
主な城主 一向一揆勢、池田恒興、豊臣秀次
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小浜宿(こはまじゅく)は、有馬街道の宿場の一つ。江戸時代の摂津国川辺郡小浜町、現在の兵庫県宝塚市小浜にあった。京伏見街道、西宮街道も通り、交通の要衝であった。
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15世紀末、覚如の末裔である一向宗(浄土真宗)の善秀が小浜荘を開き毫摂寺(ごうしょうじ)を建立。その際、周囲三方を大堀川が迂回する地形を利用して小浜を城塞化、寺内町として一向宗勢力の拠点となり、戦国大名や織田信長の一向一揆弾圧に備えた。信長が、荒木村重を伊丹城に攻めた(有岡城の戦い)際には、信長方に付いて難を逃れている。

その後、有馬などの街道が通る交通の要衝としての地位を確立する。豊臣秀吉や秀次も有馬湯治の際に立ち寄ったが、秀次が毫摂寺の娘を側室にしたことから、秀次失脚の折、焼き打ちにあってしまう。

復興した小浜は、その後江戸幕府からも重視され、小浜宿が成立して発展。脇本陣や旅篭、木賃宿、商家、馬借が林立した。また、名水「玉の井」を使用した酒造「小浜流」が発達。摂津国鴻池村にて酒造業を起こしていた山中幸元(鴻池新六)の長男山中清直が、慶長19年(1614年)に分家し、小浜宿の「扇屋」を買収し酒造業を営んだ。灘五郷に先立つ大酒造業地となり、小浜の酒は江戸詰めの大名諸侯はじめ全国に知れ渡ったが、18世紀から次第に灘五郷へ譲渡されてほぼ消滅する。1723年には大工の集団「小浜組」が結成、大工の町としても知られるようになる。

寺内町
小浜は、南西北の三方を迂回する大堀川に加えて東側に溜池を掘り、周囲に土塁を廻らして防御性を高めた城塞寺内町であった。街道ごとの三方には門を構え、東門は京伏見街道、北門は有馬街道、南門は西宮街道に通じていた。南北750m・東西400mの総構えで、小浜城とも呼ばれる。
*Wikiより

昔は主要街道に通じていましたが現在はちょうど国道176号線と中国自動車道に挟まれた高台になります。
昔ながらの町並みなので道は狭いです。
私は宝塚市民病院の第2駐車場(地図右下、30分無料、4時間200円)
に停めて歩いて散策です。
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*上記資料は小浜宿資料館にて入手

東門
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まずは小浜宿資料館で予習です。
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ここは戦国武将山中鹿之介幸盛を祖先とする山中家の屋敷の一部を再利用したものです。
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好物ジオラマ
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*写真と図の向きが違いますがご容赦を<(_ _)>

これを見てもわかるように自然の地形を巧みに利用した上に土塁などもめぐらし惣構えの城塞寺内町となっています。

では周辺散策です。
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毫摂寺(ごうしょうじ)
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現地には案内板などはなかったので資料館パネルで・・・
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ここは交通の要衝で武将の往来も多く、豊臣秀吉が有馬湯治へ行く際に千利休を伴って宿泊したといわれています。秀吉の甥の秀次は、このお寺の娘である亀姫を見初めて側室にしましたが、秀吉に謀反の疑いをかけられて切腹を命じられた際に亀姫も京都の三条河原で処刑されたという悲話が伝えられています。

南門
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首地蔵
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谷風岩五郎墓
江戸・明治の地元力士です。
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皇大神社
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北門
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大堀川
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いわし坂
「小浜」という地名からもこの辺りまで海が入り組んでいたことが由来ですね。
現在では直線距離で10km以上海岸から離れていますが・・・
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小浜宿の町並み
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代官所跡
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歩いてみてわかりましたが幹線道路からはかなり崖になった丘の上で大堀川もまさしく堀切のように深く城塞のようです👍

この後2か所廻る予定でしたが思いのほか時間がかかったのでまた次回とします。

攻城時間:1時間15分(内資料館見学25分)

今月後半は100名城巡りの終盤戦で「みちのく3人旅」です。









Posted at 2025/07/16 11:23:28 | コメント(1) | トラックバック(0) | | 旅行/地域
2025年05月28日 イイね!

🏯山城攻略〜丹波国 岩尾城〜 中世・近世ハイブリッド型山城

🏯山城攻略〜丹波国 岩尾城〜 中世・近世ハイブリッド型山城梅雨入り宣言こそまだ発表されていませんが非常に不安定な天気が続いています。
先日関東群馬県に遠征攻城しましたが、仕事休みと天気予報をにらめっこして攻城です。
最初は岡山県へ宇喜多秀家ゆかりの城の続きを検討しましたが、山間部で雷雨⚡の予報もあったのでわざわざ高速代を使って雨に降られてももったいないので下道で行ける近場に変更です。
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丹波国
織田信長から丹波・丹後平定の命を受けた明智光秀の攻略の地であります。
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明智軍の拠点は青字、対する赤井・波多野軍の拠点は赤字です。
その中で私が今まで攻城したところを四角枠で囲みました。
地図上のところはほとんど行きましたね。
今回は青丸で囲んだ城を攻城します。

岩尾城
築城年 永正13年(1516)
築城者 和田斉頼
主な城主 和田氏、佐野栄有
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案内板にあるように中世の土塁と近世の石垣が混在した城であります。

下記パンフレットのようにいくつか攻城ルートがあります。
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一番楽なのは①の和田小学校ルートのようですが、だるま岩なるものもみたいので②のだるま岩《郵便局》ルートから攻城します。

小学校の向いの和田地域づくりセンター(当日は休み)に駐車です。
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パンフレットも入手しました。
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民家と畑の間を抜けて登城口です。
途中民家の奥様に声をかけられて話しているとなんと毎日登ってらっしゃるそうです。
曰く「楽なのは小学校ルートだけどある程度キツイ方が楽しいよ」とのこと💦
キツイのか??
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標高358m、比高も230mあり、天守まで40分とのことで本格的な🏔山城です。
こちらのコースはいわゆる直登コースみたいで傾斜がきついです。
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岩だらけで登りにくいです。
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だるま岩
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ひと山超えて少し平らな道でほっと一息
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南曲輪
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正面に本丸が見えてきましたがまだ結構上りです。
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下知殿丸曲輪
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堀切
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井戸
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出丸下石垣
このあたりから石垣だらけです。
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道も岩だらけです。
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二の丸下石垣
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出丸
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西の丸
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二の丸石垣
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本丸が見えてきました。
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虎口
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本丸
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大土塁(物見台)
中世に
和田氏が築いた大土塁
いまさらですがこの山、蛇山とのことですが遭遇はしませんでした。
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から曲輪を望む
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天守台を望む
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天守台
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眺望(二の丸から)
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案内板
黄色の部分が佐野氏が築いた新城部分
石垣はその時のものです。
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あちこちに瓦が散乱しており瓦葺の建物があったことを証明しています。
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同じルートで下山したつもりが小学校ルートに出てしまいました(笑)
だるま岩ルートとほとんど同じ登城口なので問題ありませんが危ないミスです。
途中から合流するのですがなるほどこちらの方が最初は傾斜がなだらかなようです。
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攻城時間:1時間40分

御城印はすぐ近くの薬草薬樹公園リフレッシュ館で購入できますが休館でした。
本丸付近は見えませんが雰囲気コラボ撮影📷
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別の販売場所である道の駅「丹波おばあちゃんの里」に向かいました。
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戦利品
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ついでに食事です。
丹波の名産黒豆の蕎麦です。
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道の駅の近くにある100名城の黒井城(保月城、攻城済み)の書を眺めながらいただきました。
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久しぶりに本格的な山城攻城したので汗びっしょりでシャツも変え太もももパンパンなのでこれにて下道で帰路につきます。

今回の岩尾城は城サイトの高評価通りの素晴らしい城でした。
100名城は数が限定されていますので認定は無理としても、少なくとも国指定史跡には値すると思います。
兵庫県だけでもまだまだ行きたい山城はたくさんあります。
今後も天気と体力に相談しながら攻城していきたいと思います。












Posted at 2025/05/31 08:53:17 | コメント(2) | トラックバック(0) | | 旅行/地域

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「[整備] #TTクーペ 洗車(2025年10回目)暑さにも負けず・・・ https://minkara.carview.co.jp/userid/3098145/car/2719756/8331059/note.aspx
何シテル?   08/13 17:36
TT-romanです。よろしくお願いします。 2003年、初代Audi TTクーペ(8N)の丸尻ラインに一目惚れし、新車購入して13年間10万キロのりまし...
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