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2025年05月16日 イイね!

🏯城攻略〜上野国 前橋城、高崎城〜

🏯城攻略〜上野国 前橋城、高崎城〜2日目(5月17日)は朝から天気予報通りの雨☔
こればかりはどうしようもありません。
雨向けに変更した街中の平城を攻城です。


前橋城(厩橋城)
築城年 延徳年間(1489年~1492年)
築城者 酒井重忠
主な城主 長尾氏、上杉氏、平岩氏、酒井氏、松平氏
関東七名城
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関東の華 前橋
酒井重忠が家康より授かりし地 前橋
かつて家康をして「関東の華」と言わしめた前橋城。その歴史は15世紀末までさかのぼります。
前橋城の起源は諸説ありますが、厩橋城(のちの前橋城)の前身とされる石倉城は、長野氏の支城であり、天文3年の利根川氾濫によって流れてしまった石倉城の、無事であった三ノ丸を基にして長野賢忠(固山宗賢)によって再築された城が、厩橋城と呼ばれるようになったと言われています。(笠間明玄や太田道灌による築城という説も残っているそうです)
厩橋城は、越後の長尾景虎(後の上杉謙信)の関東進出の拠点となり、その後北条高広や、滝川一益、北条氏直など、様々な人物が城主となります。
江戸時代に入り、初代厩橋藩主であった平岩親吉が甲府藩へ移されると、徳川家の重心であった酒井重忠が入城することとなりました。この際、家康は重忠に、「なんじに関東の華をとらせる。」といったと伝えられています。

暴れ川「利根川」に翻弄された前橋城
酒井重忠は城の大改修を行い近世城郭へと変貌させ、城には3層3階の天守も造営されました。 下馬将軍として知られる酒井忠清(さかい ただきよ)から忠挙(ただたか)にいたる、17世紀中頃から18世紀初頭、厩橋の地は「前橋」と名を改められ、城も「前橋城」と呼ばれるようになります。 そんな華々しい城の歴史とは裏腹に、前橋城や周辺一帯は暴れ川として知られる利根川によって、度重なる氾濫と洪水の浸食を受け続けていました。17世紀後半になると利根川の洪水により城の崩壊が進み、18世紀初頭には、本丸の移転を余儀なくされてしまいます。 18世紀には酒井氏が転封となり、親藩である松平朝矩(まつだいら とものり)が引き継ぎました。度重なる利根川による被害に、前橋城は修復を重ねますが、松平家の川越への転封を契機に、明和6年(1769年)に三重櫓の天守閣、大手門などが取り壊され、廃城となってしまいました。
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明治維新後県庁として使われた本丸御殿
前橋城が取り壊されたとき、本丸御殿だけは取り壊しを免れました。この本丸御殿を昭和初期まで前橋県庁として、また府県統合により群馬県が成立した後は群馬県庁の庁舎として、老朽化で取り壊される昭和3年まで使用されていました。
現在はその本丸御殿の跡に建てられた旧庁舎「昭和庁舎」と、地上33階、地下4階の群馬県庁が置かれています。
二の丸の跡地には前橋市役所が、三の丸跡地には前橋地方裁判所が置かれ、堅牢な土塁の痕跡も、群馬県庁の周りで見ることができます。

現在この本丸御殿の復元計画もあるそうです。
本丸や天守閣も候補だとのことですが私としては御殿より天守ですね。
群馬県は超豪華な庁舎を建設できるくらい裕福なのでぜひ実現してほしいと思います。
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残念ながら城の遺構はほとんどありません。

この上の案内板のところに碑が見えてますが登る道が見当たらず断念しました。
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本丸土塁
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車橋門
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城としては以上ですが超豪華な県庁32階展望ホールにも上ってみます。
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生憎の天気でさっぱり見えませんが・・・
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もう一つ好物のジオラマを見ます。
とはいっても城ではなく群馬県全体のジオラマですが・・・
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今回攻城した沼田エリアです。
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すぐ近くにあったのでお参りしました。

前橋東照宮
徳川家康の二男結城秀康の五男松平直基ゆかりの東照宮
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ちなみに気になって調べると。
ご存じのとおり江戸幕府初代将軍の徳川家康を「東照大権現」として祀る神社でありますが一体全国にいくつあるのか?
Wikiによると
「全国で500社超が建てられるに至った(廃絶されたものを含めると約700社が確認されている)。しかし、明治維新による江戸幕府の崩壊とそれに続く神仏分離、廃仏毀釈と相まって廃社や合祀が相次ぎ、現存するのは約130社となっている。」

やはり家康ゆかりの地として本宮である日光東照宮と御遺体を祀る久能山東照宮には行ってみたいものです。

さらに道向かいの・・・

国指定重要文化財臨江閣
城とは関係ありませんが明治17年、迎賓館として建設されたものです。
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残念ながら貸し切りで入館できませんでした。
正直あまり興味はないのですが館内の前橋城のジオラマが見れなかったのが残念でした。
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*借物写真

戦利品
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非常に沢山の種類がありましたが上記シンプルなものをチョイス
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続いて今回最後の城です。

高崎城
築城年 慶長2年(1597)
築城者 井伊直政
主な城主 井伊氏、諏訪氏、松平氏、安藤氏
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ご存じ徳川四天王 井伊直政が築城した城です。
くしくも今回最初に攻城した箕輪城から家康の命により城下町ごと高崎に移転したとのことです。

「どうする家康」では板垣李光人が演じていましたが、江戸幕府の公式記録である「徳川実紀」にも「容姿美麗で心優しい」と書かれているほどのイケメンだったようです。
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こちらも街中の城なので遺構は少ないです。

こちらの埋め門のようにも見える部分には案内板がなく当時のものかも不明です。
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乾櫓
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東門
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石垣・堀
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戦利品
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2日目
歩数:8,802歩
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雨天で予定変更したので昼で攻城終了、100名城は残り少なくなってきたのでここは無理せず次の機会に100名城以外とセットで再訪問したいと思います。
これで攻城した城2019年4月から6年間で421か所ですが、まだまだなんせ城は残りの人生では廻りきれないほどありますので。
今のペースで後期高齢者まで頑張ればなんとか大台1,000城ですが・・・
山城が多いのでちょっとしんどいかもです。



Posted at 2025/05/26 17:25:49 | コメント(2) | トラックバック(0) | | 旅行/地域
2025年05月16日 イイね!

🏯城攻略〜上野国 小川城、白井城〜

🏯城攻略〜上野国 小川城、白井城〜名胡桃城、沼田城ときて次は🚅上越新幹線上毛高原駅のすぐ近くの城です。
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小川城
築城年 明応元年(1492)
築城者 沼田景久
主な城主 小川氏
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小川城は沼田城主沼田景久が沼田城の西の備えとして築いた城です。景久は二男の景秋に小川氏を名乗らせて城主としました。

道路から堀を渡ると本郭です。
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藤棚もありますがちょっと草ぼうぼうでもう少し整備したら見栄えもよいのでしょうが・・・
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道路の反対側が二の丸となっています。
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戦利品
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ホテルへ向かう途中でもう一か所立ち寄ります。
はらぺこ星人さんは朝に訪問済みでご案内いただきました。

白井城
築城年 永享年間(1429~1441)
築城者 長尾景仲
主な城主 白井長尾氏、本多康重、松平康長、井伊直孝、西尾忠永、本多紀貞
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枡形門
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本丸
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土塁
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以上で初日(5月16日)の攻城終了です。
結構気温も高く蒸し暑かったので汗💦もかきました。
ホテルの大浴場でさっぱり、カラダをほぐしてからの~
🍺は美味し👍
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攻城遠征ではよく利用するチェーンホテルですがレストランは地域によって経営が別なのかここは飲み放題はありませんでした(残念)
本日のおすすめ定食はとんかつです👍
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初日は
歩数:12,440歩
山城もありましたが駐車場がすぐ近くだったので平地と変わらないので腿上げ動作がなく楽でした♪
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この30分後くらいにベッドでスマホ見ていて気が付けば寝落ちしていました。
2日目は朝から雨予報ですが平城なので何とかなるでしょう。









Posted at 2025/05/24 19:11:22 | コメント(2) | トラックバック(0) | | 旅行/地域
2025年05月16日 イイね!

🏯城攻略〜上野国 沼田城〜 上州沼田 真田の里

🏯城攻略〜上野国 沼田城〜 上州沼田 真田の里名胡桃城から利根川を渡ります。
北関東の要衝・上州沼田。群馬県沼田市は、地質的に珍しい河岸段丘の町。
段丘上の崖っぷちに築かれた「沼田城」は、戦国時代に風雲を巻き起こした真田氏が、河岸段丘を利用して築いた城。城址から眺める段丘下の景色は、「天空の城下町」ならではの絶景です。

まずは城跡内にある沼田市観光案内所で予習です。

上杉謙信も沼田城を攻略しています。
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沼田領裁定
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そして名胡桃城の時にも記載した事件が・・・
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有名な小松姫のシャットアウト
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ジオラマ
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天正18年(1590)真田昌幸の長男、幸村の兄、信幸(改め信之)が初代沼田城城主となり、五層の天守閣を建造しました。
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では攻城です。

沼田城
築城年 天文元年(1532)
築城者 万鬼斎顕泰(沼田氏)
主な城主 沼田氏、真田氏、本多氏、黒田氏、土岐氏
続日本100名城No.116
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現在城跡は沼田公園となっています。
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本丸堀跡
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本丸
公園らしく花🌷がいっぱいです。
桜だけだと季節が限定されるのでこういうのもいいと思います。
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信之・小松姫石像
NHK大河「真田丸」に合わせて建立されたもの
この石像でも小松姫は鎧着用してますね。
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小松姫の武勇伝
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それもそのはず徳川四天王 本多忠勝の娘、その気丈な妻を吉田羊が名演技でした。
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天守跡
この英霊殿の右側が天守跡推定地です。
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大手門沓石
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*写真拝借

西櫓台石垣・石段
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真田時代城絵図
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真田氏の改易後には城は破却され、その後は質素な館のみとなったそうです。
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鐘楼
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捨曲輪
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平八石(首さらし石)
さすが真田昌幸、だまし討ち!
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眺望
名胡桃城も見えています。
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金箔瓦
秀吉政権との関連性を物語っています。
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戦利品
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今回100名城は以上です。
岩櫃城は山城なので天候を考慮して次回としました。
あとは近郊の城を巡ります。





Posted at 2025/05/24 16:20:17 | コメント(1) | トラックバック(0) | | 旅行/地域
2025年05月16日 イイね!

🏯山城攻略〜上野国 名胡桃城〜「戦国時代が終わるきっかけとなった」城

🏯山城攻略〜上野国 名胡桃城〜「戦国時代が終わるきっかけとなった」城「戦国時代が終わるきっかけとなった」
とはどういうことか?
子供にもわかりやすくするためかこんなものがあったので・・・
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これが定説ではありますがなにせ「表裏比興の者」と言われる真田昌幸と豊臣秀吉のことですから北条攻めのための口実作りを裏工作したという話もありますね(笑)


いずれにせよ下記のような境界線上の地域なので一触即発です!
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この城は標高430m、比高50mの山城ですが国道17号が城域を通っており、般若郭が駐車場となっています。
名胡桃城址案内所も隣接しており、城自体もこじんまりしているので最高に楽ちんです👍
まずは案内所で予習
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名胡桃城
築城年 天正7年(1579)
築城者 真田昌幸
主な城主 真田氏
続日本100名城No.115
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名胡桃城は室町時代に沼田氏の一族といわれる名胡桃氏が館を築いたのが始まりと言われています。その後天正6年 上杉謙信急死の後、真田昌幸が名胡桃館を攻略し、沼田城を手中にする前線基地として名胡桃城を築いたのです。利根川と赤谷川の合流近く、三方が絶壁となっている天然の要塞に作られた山城です。豊臣秀吉の天下統一の発端となる小田原の北条征伐のきっかけになった城として歴史の上でも有名です。現在でも本郭、二の郭などが原型をとどめています。
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パンフレットに各ポイントの復元イメージ図があって非常にイメージしやすいです。
下記のように居城というより沼田城攻略のための短期間の砦的な城だったようで沼田城を落としてからは廃城となっています。
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般若郭
現在は駐車場ではらぺこ号(私のではありません)の谷越えで二郭が見えています。
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馬出
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堀切
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三郭
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二郭南虎口
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二郭虎口より般若郭のはらぺこ号を望む
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二郭両サイドは自然の絶壁です。
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二郭
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周囲は土塁で囲まれています。
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二郭北虎口
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木橋(二郭、本郭間)と堀切
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本郭周辺も絶壁です。
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本郭
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ささ郭
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利根川の向こうには明徳寺城、沼田城が目の前です。
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物見
下の方に見える赤旗のところです。
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戦利品
御城印は珍しいし同じ値段だったのでヒノキ製にものにしました。
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続いては
利根川を越えて目の前の城へ・・・



Posted at 2025/05/23 17:33:07 | コメント(1) | トラックバック(0) | | 旅行/地域
2025年05月16日 イイね!

🏯城攻略〜上野国 箕輪城〜「関東三国志」の城

🏯城攻略〜上野国 箕輪城〜「関東三国志」の城今回(5月16日、17日)は先月に続き関東攻城です。
予定では今回で関東制覇でしたが、生憎二日目に天気が大きく崩れるとの予報で急遽変更しました。
初日は大丈夫なのでその分めいっぱい攻城します。

お供はいつものはらぺこ星人さんです。
今回も私は新幹線🚅、はらぺこ星人さんは愛車🚙で信州経由で関東入り、現地集合です。

まずは関東三国志の舞台へ
地図で見てみると群馬の北は新潟、西は長野で国境であったことを改めて認識しました。
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箕輪城
築城年 15世紀後半~16世紀前半、永禄10年(1567)、天正15年(1587)、天正18年(1590)
築城者 長野業尚、武田信玄、織田氏、北条氏邦、井伊直政
主な城主 長野氏、武田氏、織田氏、北条氏、徳川氏
日本100名城No.16
国指定史跡
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国境の重要拠点であるが故、城主もめまぐるしく変わり戦国オールスター揃いで縄張りも何度も改築されています。
現在のものは最後の井伊直政のものに近いとされています。
では駐車場のすぐ近くの搦手口から攻城です。
現在は外堀(看板から中央の舗装路まで)が埋め立てられており、わかりにくいですがその舗装路の先辺りが搦手馬出となっています。
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二の丸
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本丸
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本丸周囲はぐるりと土塁で囲まれています。
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本丸・蔵屋敷間木橋
本丸西虎口門の整備工事に伴い現在通行禁止となっています。(令和7年1月上旬~令和8年3月中旬(予定))
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本丸堀
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御前曲輪
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先ほど渡れなかった本丸西虎口の木橋を本丸堀から眺めます。
木造というのがいいですね~👍
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三の丸
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三の丸石垣
発掘調査で大きな石を使用した4mほどのものは井伊直政時代、その下層から1mほどのものは北条氏邦時代のものも発見されたとのことです。
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郭馬出
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郭馬出西虎口門
平成28年11月復元完成
木造の立派なものです。
先ほどの現在工事中の本丸西虎口門も完成すればさらにイメージが上がりますね。
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大堀切
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木俣
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駐車場とは反対側になるのでクルマで移動して・・・

虎韜門(ことうもん)
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こちらからも本丸は少し登るとすぐですが🐻注意
関東もこのあたりに来るとツキノワグマの生息地になるようです。
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戦利品
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続いては北に向かい、「戦国時代が終わるきっかけとなった城」




































Posted at 2025/05/23 13:12:53 | コメント(1) | トラックバック(0) | | 旅行/地域

プロフィール

「[整備] #TTクーペ 洗車(2025年11回目)🌀台風一過で・・・ https://minkara.carview.co.jp/userid/3098145/car/2719756/8355304/note.aspx
何シテル?   09/06 12:16
TT-romanです。よろしくお願いします。 2003年、初代Audi TTクーペ(8N)の丸尻ラインに一目惚れし、新車購入して13年間10万キロのりまし...
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