湯山御殿
太閤の湯殿としても知られている史跡であります。
しかし
風呂が
城に分類されていいのか?
と誰しも思うでありましょうが・・・
「兵庫県お城100選」(ひょうご観光本部)にも
「ひょうごの城めぐり」(本岡勇一著)の両方ともに選出されています。
とうことで
登城です。
場所は日本最古の温泉場、
有馬温泉
極楽寺
その敷地内に
太閤の湯殿館
ここが資料館となっています。(入館料200円)
中はさほど広くありません。(ピンボケですみません)
少しだけ有馬温泉の歴史を
発見は日本書紀の世界600年ごろ
カラスの入湯を見て発見したって?
その後、室町時代に入って何度かの大火と戦乱で荒廃していたところを、
天正七年(1579年)
三木合戦の際に秀吉が信長の出陣のために有馬郡に道普請をさせたとのことです。
ですが私の愛読書(マンガです)
「センゴク天正記」第11巻によりますと、秀吉は友である
竹中半兵衛の湯治のために急ぎ整備させたとのことになっています。
残念ながらそれはかなわず陣中にて生涯を終えるわけですが・・・
ストーリーとしてはこちらの方が人間味があって私は好きです。
そして
ここで我らが
仙石権兵衛秀久が
湯山奉行として登場するわけであります(笑)
その後も秀吉はねね様などと
9度も湯治に訪れ、慶長二年(1597)に始まった大規模な改修工事を行い、
湯山御殿を造り、工事が完成した慶長三年の5月に入湯の予定でありましたが、激しい風雨のため中止となり、その後まもなく床に伏し同年の8月18日に没したため、秀吉はついにその成果をみることができなかったそうです。
そして
1995年の阪神・淡路大震災の際に極楽寺が壊れ、そこから偶然湯山御殿や湯舟、庭園などの遺構が発見されたとのことです。
岩風呂
ちなみにこれは
現物で出土した状態での展示とのことです。
蒸し風呂
これも
現物だそうです。
湯山御殿出土品
極楽寺だけでなく周辺広範囲が湯山御殿だったようです。
庭園
石垣・帯曲輪
説明版にも記載されていますが、周辺に
多聞塀、隅櫓などもあったようです。
これを見る限り前出の
「城」としての選定もうなずけます。
相当防御された城ともいえるでしょう。
願わくば最後に完成した湯山御殿に
秀吉とねね様と一緒に入ってもらいたかったものです。
Posted at 2021/10/05 22:12:53 | |
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