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2023年07月28日 イイね!

🏯城攻略〜石見国 浜田城 安芸国 郡山城〜 「百万一心」の地

🏯城攻略〜石見国 浜田城 安芸国 郡山城〜 「百万一心」の地いよいよ中国地方城巡り最終回です。

津和野城から下道で1時間半ほど走ります。

浜田城
築城年 元和6年(1620)
築城者 古田重治
主な城主 古田氏、松平(松井)氏、本多氏、松平(越智)氏
続日本100名城No.170
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駐車場はいくつかありますが濱田護国神社社務所の駐車場(マップ⑧地点)が便利です。
ただし国道9号からの上り口が狭く急で少しわかりにくいですが・・・
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同じような案内板が多いです。
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浜田藩追懐の碑
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浜田県庁の門
元津和野城の門を移築
浜田藩はともかく浜田県というものがあったんですね。
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これはなんでしょうか? 家紋?のような・・・
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三丸と出丸石垣
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二ノ門
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本丸
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日本海が望めます
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三重櫓(天守)からの眺め
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出丸
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コラボ撮影📷
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戦利品
地域名産の和紙を使用したものは他にもありますがこの蛇胴紙は凝っています。同じものはありません。こういうのは素敵だと思います。
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さて最後になってしまいましたが締めはやはり西国の覇者 毛利元就の城
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郡山城
国指定史跡
築城年 天文20年(1551) 天正年間(1573-92)
築城者 毛利時親、毛利元就、毛利輝元
主な城主 毛利氏
日本100名城No.72
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毛利元就が居城とした郡山城は、可愛川(えのかわ)と多治比川(たじひがわ)の合流点の北側に位置し、吉田盆地を見渡す場所に築かれた中国地方最大級の山城で、本丸を中心に放射状に広がる尾根を利用し、無数の郭(くるわ)が築かれました。
築城時期は不明ですが、15世紀中頃には、郡山の南東の独立した尾根上に毛利氏の本拠城として存在しており(本城)、元就の時代(16世紀中頃)に全山が城郭化されたと考えられています。
元就は、“嶝(かさ)”と呼ばれた山頂で暮らし、城内には主要な家臣が配置されていました。その後、孫の輝元の時代には修築や城下の整備が行われています。
天正19(1591)年に本拠を広島城に移したのちも郡山城は維持されていたと考えられますが、慶長5(1600)年の関ヶ原合戦後、毛利氏の防長転封により廃城となりました。

こちらも登城ルート、駐車場とも複数ありますが一番楽なのは下記マップの左側の方の⑭毛利隆元墓所近くの無料駐車場(14台)が便利でそこから本丸まで25分ほどです。
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大通院谷遺跡・薬研堀(内堀)
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毛利元就公墓所参道
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毛利元就の墓・洞春寺
この手前の左側の道を行きます。墓所は後ほど
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道中段々道が石畳み⇒枕木付き整地⇒山道へ変化していきます。
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御蔵屋敷
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三の丸下の石垣
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土塁
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二の丸
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本丸
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櫓台
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ここまで25分で順調で最短ルートで来た道を帰るつもりでしたがいつもの悪い癖でよくばって行くと・・・
勢溜の壇
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ここでルートを間違えてまっすぐ南へ展望台の方へ
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さらに郡山公園のほうへ
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やっと元の駐車場への案内板が(ほっ💦)
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常栄寺跡
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やっと戻って合計1時間強、でもせっかくなので・・・

毛利隆元墓所
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毛利一族墓所
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毛利元就墓所
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百万一心碑
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百万一心とは、「百」の字の一画を省いて「一日」・「万」の字を書き崩して「一力」とすることで、縦書きで「一日一力一心」と読めるように書かれており、「日を同じうにし、力を同じうにし、心を同じうにする」ということから、国人が皆で力を合わせれば、何事も成し得ることを意味している。吉田郡山城の改築で本丸石垣の普請が難航したときに、人柱に代えて、本丸裏手の「姫の丸」(姫丸壇)にこの句を彫り込んだ石を埋めたところ、普請は無事に終えられたと伝わる。同じく毛利元就の教えとされる三矢の教え(三子教訓状を参照)と共に、一致団結の大切さを訴えた教えとされている。

戦利品
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これにて中国城巡り終了!

遠征の汗💦を流し、疲れをいやすために帰路につく前に・・・

♨神楽門前湯治村♨
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ロングドライブの前には♨でさっぱりするほうが気持ちいいですね~
病みつきになりそうです👍

今回の2泊3日の遠征帰路につくまでの間、快晴☀で雨は全く降りませんでしたが
温泉あがると黒雲☁と⚡が接近してきて兵庫県にはいったあたりでついに降られました。

今回の走行距離 1242.4km
今年5月の信州遠征を少し抜いて過去最長距離の遠征となりました。

成果としては
攻城数 11城
12といいたいところですが高嶺城が未攻城となりましたので・・・
塁計では
日本100名城 55/100
続日本100名城 46/100

ということでやっとこさ半分達成(緑の部分)できました。
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しかしこれからはさらに遠方ばかり、宿泊遠征も費用、時間ともかかります💦
なのではらぺこ星人さんと飛行機🛫&レンタカー🚙、フェリー🚢なども活用すべく検討中です。

ちょうど本ブログを作成した時点でこれも読み終わりました。
元就の一代記ですが、大内義隆が家臣の陶晴賢の謀反によって殺害、その陶晴賢軍30,000の大軍を厳島の戦いで4,000で破ったところで終わっています。このとき59歳。
ちょうどこの時に先述の村上水軍も毛利方についています。
その後75歳の生涯をこの郡山城で終えました。
小説、大河ドラマ、映画、コミックなどいろいろなもので歴史が描かれ、脚色もありますが、それらとともに現地を訪れるとまた臨場感もあり、感慨深いものがあります。
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もちろん100名城以外にも素晴らしい、行きたい城もたくさんありますのでからだが元気なうちに再訪問したいとおもいます。


Posted at 2023/08/03 18:48:01 | コメント(4) | トラックバック(0) | | 旅行/地域
2023年07月28日 イイね!

🏯山城攻略〜長門国 萩城 石見国 津和野城〜 

🏯山城攻略〜長門国 萩城 石見国 津和野城〜 いよいよ最終日は長州藩本拠地から

萩城
国指定史跡
築城年 慶長9年(1604)
築城者 毛利輝元
主な城主 毛利氏
日本100名城No.75
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築城者は・・・
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関ケ原の合戦に敗れたのち、かろうじて改易はまぬがれ、山陽・山陰8ヶ国112万石から周防・長門2ヶ国の36万9千石に減封となりました。
新しい居城地として、防府・山口・萩の3か所を候補地として幕府に伺いを出したところやはり毛利氏を恐れたのか、当時その中でもっと鄙びた萩にせよとの命にてここに築城しました。
麓の城と詰めの城があり幅広の堀、二の丸、三の丸を配し慶長期築城であるが戦国期の中世城郭的な構成でありました。
このことからまだまだ戦闘意欲はあったことがわかりますね。
石高も実際は50万石を超えており、幕末期には実高は100万石を超えていたと考えられています。

二の丸南門
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本丸門
奥の山(指月山)が詰めの城です。
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本丸
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志都岐山神社
この鳥居を左へ行くと登山口です。
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山頂まで730m、20分とのことです。
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標高143m、海沿いなのでイコール比高でしょう。
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矢穴のあいた石が・・・
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矢倉門と土塀
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萩城詰丸
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要害門矢倉
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本丸
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石切場
本丸に石切場があるのは初めて見ました。
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埋門
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用水
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日本海の絶景


麓まで降りて・・・

内堀
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天守閣
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天守の上には礎石が
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天守から詰丸(指月山)を望む
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コラボ撮影📷
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戦利品
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続いては石見国(島根県)へ移動です。

津和野城
国指定史跡
築城年 永仁3年(1295)、慶長6年(1601)
築城者 吉見頼行、坂崎直盛
主な城主 吉見氏、坂崎氏、亀井氏
日本100名城No.66




標高362mですが今度はロープウェイで楽ちん山城攻城です👍


本丸まで400m、20分です。


堀切


出丸




平櫓



土塀の控柱



東屋




東門




三段櫓





馬立・台所櫓・海老櫓




二の丸



西櫓門



天守台


三十間台
津和野城では一番の高地が三十間台で天守台が一段低い場所にある珍しい配置となっています。


太鼓丸





人質櫓



三の丸



南門


リスト乗場近くで御城印を
太鼓谷稲成神社


戦利品


再び山から海へと移動します。



Posted at 2023/08/02 20:04:24 | コメント(4) | トラックバック(0) | | 旅行/地域
2023年07月27日 イイね!

🏯城攻略〜周防国 岩国城 大内氏館〜 おいでませ・・・

🏯城攻略〜周防国 岩国城 大内氏館〜 おいでませ・・・さていよいよ本州最西端、山口県へ来ました。
昭和な私としては山口県と聞けば思い出すこのCMフレーズ
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おいでました、山口へ。
というのはどうでもいいので本題に戻りますがその前に腹ごしらえ。

城へはロープウェイで行くのですがその近くで
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そうめん定食とのことで麺と🍙くらいかと思いきや豪勢な感じです。
15分毎のロープウェイに間に合わせるべく10分で完食。
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毛利元就の3人の息子たち
嫡子 隆元 毛利家13代当主 
次男 元春 吉川家へ養子
三男 隆景 小早川家へ養子

今回はこの中の次男、吉川元春の三男で後継者、吉川広家の城です。


岩国城
築城年 慶長13年(1608)
築城者 吉川広家
主な城主 吉川氏
日本100名城No.74
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ロープウェイで山頂まで片道3分(毎15分出発)
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山頂駅から本丸まで10分くらいです。
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旧天守台
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天守(再建)
錦帯橋付近の景観を考慮して旧天守台から南へ50mずらして再建されたそうです。
この絞られたウエストというか出っ張ったというかなかなか特徴的な面白い外観です。
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錦帯橋模型
本物は時間の都合で割愛しますので天守閣からの遠景と詳細はこの模型で確認しました。
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眺望 
錦川にかかる錦帯橋、その向こうに瀬戸内海も確認できます。
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予定が押していたので速攻30分での攻城でした。

戦利品


続いてはさらに西へ移動

大内氏館
国指定史跡
築城年 14世紀末
築城者 大内弘世
主な城主 大内氏
続日本100名城No.174
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百済の王族・琳聖太子の末裔という伝承もある大内氏は150年間この地を本拠地としました。
往時には中国地方西部から九州北部までを治めた大大名です。
こちらは詰めの城である高嶺城とセットでの続100名城認定です。
しかし案内所で確認すると先日の大雨で頂上付近の駐車場(山頂まで15分)までの道が通行止めとなっており、麓の駐車場(山頂まで40分)からしか行けないとのことです。
はらぺこ星人さんとも相談し、時間的(万一のため夏場は16時以降、冬場は15時以降は山城は登らないようにしています)、体力的に断念し、大内氏館のみとしました。
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大内氏館
現在は龍福寺となっています。
山岡荘八著「毛利元就」によると大内義興(義隆の父)はこの地を京の都に似せて町割りし、遷都を計画していたということになっています。
遷都の真偽のほどはともかく、当時の戦火で荒れ果てた京の都よりははるかに雅であったことは確かであったと思われます。

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大内義隆供養塔
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大内義隆辞世の句
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龍福寺本堂
毛利隆元が大内義隆の菩提を弔うためにこの地に再興しました。
かつて毛利元就が大内氏に従属していた際に嫡子隆元を人質として差し出しました。
大内義隆を烏帽子親として元服し、義隆から一字を賜り「隆元」と名乗ることが許された。
そういう関係もあってのことでしょう。
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大内義興公「馬上展望」像
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池泉庭園
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石組井戸
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大路ロビー
大内氏館から徒歩5分ほどです。
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名城スタンプ、御城印、パンフレットなどを入手し、高嶺城の通行止めの情報もここで確認しました。

戦利品
御城印は高嶺城のものも入手しました。
通行止めも一時的なもののようですし、築山跡など周辺にもいろいろとあるようなので再訪問して攻城します。
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これにて二日目攻城終了です。
次なる攻城先の毛利氏最後の拠点、萩まで移動して宿泊です。









Posted at 2023/08/01 22:57:27 | コメント(6) | トラックバック(0) | | 旅行/地域
2023年07月27日 イイね!

🏯城攻略〜安芸国 新高山城、広島城〜 毛利氏の城たち

🏯城攻略〜安芸国 新高山城、広島城〜 毛利氏の城たち中国城巡り2日目です。
今日も朝から快晴☀、猛暑日です。
昨日に続き小早川隆景が三原城の前に居城としていた城です。








新高山城(にいたかやまじょう)
国指定史跡
築城年 天文21年(1552)
築城者 小早川隆景
主な城主 小早川氏
続日本100名城No.173
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登山者無料駐車場
写真奥の岩山が新高山城です。
未舗装ですが広く(20台以上駐車可)トイレもあります。
暑いせいか貸し切りです。
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駐車場から約1,000mです。標高198m/比高186mなのでそんなにはハードではないはずですが・・・
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朝一なのではらぺこ星人さんも元気復活です👍
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登山口の案内板
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最初の遺構、番所まで500mくらいは何もない普通の山登りです。
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番所
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匡真寺跡
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中の丸(二の丸)
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本丸石垣
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本丸
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詰の丸
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ここには珍しく石像がたくさんあります。
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高山城
沼田川の対岸、新高山城の前に小早川隆景が1年ほど入城した城です。
こちらも機会があれば攻城してみたいです。
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音声説明機
アナログですが案内板を読む手間が省けて便利かもです。
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中の丸土塁
このあたりは現地に案内板がなくあとで写真を見てもどこかわかりませんので間違っているかも?
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他にもいろいろと歩き回って撮影しましたが上記同様どこか不明(笑)

ということで下山して駐車場で新高山城をバックにコラボ撮影📷
こうしてみるとすごい岩山です。
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戦利品(パンフレット、スタンプは前日、21:30まで開いてる本郷生涯学習センターにて、御城印は前日三原駅うきしろロビー観光案内所にて)
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小早川隆景に関するパンフレットもありましたので参考までに
毛利元就の三男で小早川家に養子に入り新高山城を築城したのが20歳の時ですね。
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攻城時間往復で1時間強でした。
ホテルの朝食をやめてもっと早朝攻城が良かったかもです。
虫よけ対策のためのロンTはもちろん汗びしょ💦になったので着替えました。

続いては小早川隆景の甥、毛利輝元築城の城へ

今回の中国城巡りでは当然のことながら西国の覇者である毛利氏関連の城が多いです。
ということでその前に予習しておこうと読み始めたのですが読破にはいたらず・・・

毛利元就(山岡荘八著)
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元就の嫡男隆元は早世し、孫が若くして毛利氏の家督を継承しました。

毛利輝元
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若い当主を元就の弟、吉川元春、小早川隆景が支えました。
豊臣政権五大老の一人であり、関ヶ原の戦いでは西軍の総大将。
その時彼が大坂城を出て参戦していれば歴史は変わったかもしれません。
そして徳川政権では長州藩の藩祖となりました。

広島城
国指定史跡
築城年 天正17年(1589)
築城者 毛利輝元
主な城主 毛利氏、福島氏、浅野氏
日本100名城No.73
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裏御門から入城
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広島大本営跡
これがなかったらひょっとしたら城の遺構ももう少し残っていたかも・・・
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天守閣
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板張りの壁が渋くて好みです。
下見板張は土壁の上に板を貼り付けたものです。
その板に煤(すす)と柿渋(かきしぶ)を混ぜて作った墨を塗っています。
織田信長の安土城天主や豊臣秀吉の大坂城、あと岡山城と広島城などの初期の天守では板に「漆塗り」をしていたそうですが、やはり手間と資金がかかるため現在では松本城のみだそうです。
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天守内は撮影禁止です。
天守閣 第五層展望室へ
華頭窓
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眺望
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中御門
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ここから先は平成になって復元された・・・

二の丸
広島城の二の丸はそのものが「馬出」の機能を持っています。
また建物は江戸時代の姿を忠実に木造復元したものです
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太鼓櫓と多聞櫓
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表御門
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これらの中は見学できます。
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御門橋
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平櫓
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多聞櫓、太鼓櫓
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戦利品
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続いては山口県(周防国)へ移動、次も毛利氏の城に向かいます。
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Posted at 2023/08/01 08:33:51 | コメント(4) | トラックバック(0) | | 旅行/地域
2023年07月26日 イイね!

🏯海城攻略〜伊予国 能島城、備後国 三原城〜 

🏯海城攻略〜伊予国 能島城、備後国 三原城〜 四国城巡りで飛び地のためロスしていた城へ

能島城
国指定史跡
築城年 14世紀中頃以降
築城者 不明
主な城主 村上氏
続日本100名城

「中世、村上水軍の一派、能島水軍(野島氏)が水軍城を設けた。この付近の海域は帆船時代、瀬戸内海航路の最も重要な航路の一つであった。しかも宮窪瀬戸の東側で能島と鵜島とが流れをさえぎるような位置関係であることから、干満時には激しい潮流を生み、渦巻く急流は天然の要害ともなった。このため、平時には通過する船に対して水先案内人として行きかう船を案内し、帆別銭(一種の通行料)を徴収、室町期以降この地に能島城を築き、この海域の制海権を掌握していた。能島城には本丸、二の丸、三の丸、出丸などがあり、中世の水軍城としても規模が大きいものであった。なお、能島には水が得られないことから、近傍の鵜島や木浦から補給していたとされる。
戦国末期、村上氏は豊臣秀吉との戦いに参戦したが敗北を喫し、1588年(天正16年)、秀吉の海賊停止令により、水軍の歴史は終わりを告げた。能島城は廃城となり、江戸時代以降無人島となったため、その城塞遺構はよく保存されている。」(Wikiより)

能島城はその名の通り能島という小島にあり、橋も通っていないので船でないといけません。
能島上陸&潮流クルーズが運行中ですが土・日・祝日のみですので今回はここへ 

村上海賊ミュージアム
ルイス・フロイス曰く「日本最大の海賊」村上武吉と息子景親がお迎えです。
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ここで少し豆知識
なぜ「水軍」ではなく「海賊」と呼ぶのか?
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実際ここも2004年の開館以来、「村上水軍博物館」という名称でしたが2020年に「村上海賊ミュージアム」に変更されたそうです。
とてもいい判断ですね~!

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目の前の海に能島が見えます。
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村上海賊の戦績
戦国期には中国地方に勢力を張る毛利水軍の一翼を担い、1555年(弘治元年)の厳島の戦い、1561年(永禄4年)の豊前簑島合戦、1567年(永禄10年)からの毛利氏の伊予出兵、1576年(天正4年)の第一次木津川口の戦いなどが知られる。
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海城の分布
それにしてもいくつあるんだこれ?
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これを見ても島全体が絶壁の砦ですね。
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展望デッキからの眺め
能島城と駐車場の愛車たちとのコラボ撮影📷Part1
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村上海賊の名を一躍知らしめたのがこの本でしょう。
「村上海賊の娘」(2013年和田竜著)
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なんと石碑まであります。
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コラボ撮影📷Part2
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コラボ撮影📷Part3 能島城バックに
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戦利品
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海城もたくさんありますしそれ以外にもしまなみ海道は見どころ、フォトスポット📷満載です。
別途再訪問したい場所です。

ちょうどこのブログを作成している7/31放映
「日本最強の城▼瀬戸内海 城ツアー▼」
で福山城ととも能島城も紹介されますので楽しみです。


しまなみ海道を本州に戻り

三原城
国指定史跡
築城年 永禄10年(1567)
築城者 小早川隆景
主な城主 小早川氏、福島氏、浅野氏
続日本100名城No.172
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今でこそ海とは離れていますが築城当時は三原湾に浮かぶ小島や中州をつないで、いわゆる砦を築き水軍の拠点とした。これが三原城の原型とのことで満潮時にはあたかも海に浮かんだように見えるところから「浮城」の別名があります。
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小早川隆景
毛利元就の三男、次兄の吉川元春とともに毛利両川と称され、毛利氏の中枢を担った。元就死後は早世した長兄隆元の子輝元を支えた。
その後豊臣政権下では秀吉からは「日本の西は小早川隆景に任せれば全て安泰である」と評価された名将、知将であります。
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なので別名小早川氏城ともいわれています。
というかここにある案内板にはすべて小早川氏城が先に記載されています。
やはり地元の方々には小早川隆景の城なんですね。
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広場にも隆景の名が


この城はJR三原駅に隣接というか駅周辺が城跡です。
駅を出たらすぐ天主台石垣です。
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通り丁堀
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天主台
ここでも「天守」ではなく安土城と同じく「天主」という表現で統一されています。
天主台には特に目ぼしい遺構はありませんが
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後藤門
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石列
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周辺遺構

駅高架下の石垣
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鍛冶曲輪
駐車場の段差にも石垣
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戦利品
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初日終了です。
やはり広島に来たので夕食はこれでしょう
店中がカープ⚾の野球中継で盛り上がっていたので勝って平和でした👍
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明日は三原城の前の小早川隆景の居城へ攻城です。


Posted at 2023/07/31 10:19:38 | コメント(6) | トラックバック(0) | | 旅行/地域

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「[整備] #TTクーペ 洗車(2025年10回目)暑さにも負けず・・・ https://minkara.carview.co.jp/userid/3098145/car/2719756/8331059/note.aspx
何シテル?   08/13 17:36
TT-romanです。よろしくお願いします。 2003年、初代Audi TTクーペ(8N)の丸尻ラインに一目惚れし、新車購入して13年間10万キロのりまし...
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アウディ TT クーペ Silver Arrows (アウディ TT クーペ)
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