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TT-romanのブログ一覧

2024年12月11日 イイね!

🏯山城攻略〜備後国 相方城〜 総石垣造り、瓦葺の城

🏯山城攻略〜備後国 相方城〜 総石垣造り、瓦葺の城今回最後の攻城は石垣が見事とのことで評価の高い城なので私としては見過ごせません。
標高191m、比高170mですが山頂まで狭い道をクルマでいけるみたいなのでととにかく現地で確認してみましょう。






相方城(さがた)
築城年 16世紀前半
築城者 有地元盛
主な城主 宮氏、有地氏、毛利氏
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「この城は戦国時代に芦田川を挟んで反対側にあった亀寿山城を本拠地として備後南部に勢力をもっていた国人領主の宮氏や、相方城より南の地域(現在の福山市芦田町)を本拠地としていた有地民部少輔元盛(有地姓の3代目)によって16世紀前半には山城として整備されていたといわれている。
1552年(天文21年)に宮氏滅亡後は、有地氏が相方城を支配の拠点としていたが、有地氏も毛利氏によって出雲国に移され、その後は毛利氏の直轄城となった。毛利領の東方備えを目的とした近世城郭として整備が進み、山頂付近に空堀や曲輪群などの城郭が築かれ、打込接の総石垣が築かれた部分もあった。また瓦葺の櫓や城門も建造されており、中世城郭から近世城郭への過渡期の山城ともいわれている。
相方城は関ヶ原の戦い以後に廃城となった。城門や櫓はふもとの戸手(現在の福山市新市町戸手)にある素盞嗚神社に移築された。伝相方城櫓と呼ばれた櫓は1970年代に焼失したが現在も移築されたとの伝承のある城門2門が現存する。」(Wikiより)

麓の工業団地を超えるとすぐに登城口の駐車場である猫地蔵となります。
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最初はとりあえずこちらに停めて歩いて登ろうと思いましたが、久しぶりの長距離ドライブで腰に不安があったの楽するために落葉🍂でほとんど路肩が見えない道をいきました。
思えば今回は高嶺城、鞆城への旧道と狭い道路走行ばかりです。
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徐行運転で5分ほどで頂上、西側郭群第9郭下です。
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ここから東側郭群へ向かうと大好物の石垣のオンパレードです💛
この左側は崩れていますが堀切でしょうか?
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第2郭(たぶん)
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矢穴があいた石がいいポジションにあるので未完成の城であったのかも・・・
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第1郭(主郭)と思われるところには電波塔が鎮座しております。
考えてみればこういう施設があるから狭いながら舗装道路が整備されているわけですが・・・
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主郭の端は断崖絶壁です。
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下の第5郭にも構造物が
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主郭への石段
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第5郭へ向かう主郭下の石垣
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第5郭下の石垣
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元トイレ
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第7郭から第5郭下の高石垣、主郭を望む
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鏡石??のような巨石
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駐車場所まで戻って第9郭
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こちらにも石垣が
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なんとか無事コースアウトせず帰還したので紅葉とコラボ撮影📷
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移築門がある素盞嗚神社(すさのお)へ向かいます。

素盞嗚神社(すさのお)
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そしてここの北門が移築された
相方城城門
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もう一棟、こちらの門も移築されました。
残念ながら焼失してしましたがかつては櫓も移築されたそうです。
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ここから自宅まで200km以上ありますので、これにて今回の遠征攻城終了!

今回もドライブパスを利用しました。
佐用ICから最初の目的地である防府東ICまで通常なら7,860円。2日間ドライブパスは8,000円なのでほぼ半額で済みました。
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さらに平日特別キャンペーンもあります。
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2日間で975km、今年一番のロングドライブとなりました。
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翌日も早朝6:00から仕事なので私としてはこれくらいが限界でしょうか?
2日目歩数は意外と少なかったですが帰宅後3日ほど背中・腰痛でした😢
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自宅周辺はこれから本格的な冬となり、天気予報では毎日、最高気温10℃以下、最低気温はマイナス、⛄マークも出だしたのでスタッドレスを履いていない愛車では遠出は厳禁です。
近場の単独攻城計画作成と溜まってきた戦国・🏯城関連書籍📖で妄想します。








Posted at 2024/12/16 17:46:35 | コメント(3) | トラックバック(0) | | 旅行/地域
2024年12月11日 イイね!

🏯城攻略〜備後国 鞆城、大可島城〜 鞆幕府の城

🏯城攻略〜備後国 鞆城、大可島城〜 鞆幕府の城
鞆の浦の歴史は古く大伴旅人などによる万葉集に詠まれるように、古代より「潮待ちの港」として知られていました。
今も鞆の浦の港町である鞆には古い町並みが残り、1992年には都市景観100選に、2007年には美しい日本の歴史的風土100選にも選ばれた。また、1927年に日本二十五勝の海岸景勝地として、「鞆の浦・屋島・若狭高浜」が選ばれた。江戸時代の港湾施設である「常夜燈」、「雁木」、「波止場」、「焚場」、「船番所」が全て揃って残っているのは全国でも鞆港のみである。江戸時代中期と後期の町絵図に描かれた街路もほぼ全て現存し、当時の町絵図が現代の地図としても通用する。そのような町は港町に限らず、全国でも鞆の浦以外には例がない。(Wikiより抜粋)
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なのでクルマのない時代のものなのでとにかく街中は道路が狭い💦
離合場所がいたるところに設けられているので大丈夫ですが・・・
なんとか観光案内所でマップを入手してこの後、赤丸の部分を回りました。
まずは城巡りから
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鞆城
築城年 天正4年(1576)
築城者 毛利元就、改修 毛利輝元、福島正則
主な城主 毛利氏、足利義昭、福島氏、水野氏
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「この城跡は港を見下す要害の地にあり、しかも町の中央に位置する孤丘で格好の地理的条件を具えている。
起源については明らかでないが、村上水軍がこの地に城を築いたと考えられている。また毛利氏が将軍足利義昭を鞆に迎えた時は城が存在していたものと思われる。
 この城が現在のような形にととのえられるのは、慶長5年(1600年)安芸・備後の領主となった福島正則が重臣大崎玄蕃を配し、三層の天守を築いて城郭をととのえたことによる。
 元和元年(1615年)一国一城令により築きかけた天守は三原城へ移し,福島正則の後をうけて入封した水野勝成は長子勝俊の居館をここに置いた。勝俊が福山藩主となって以来は,ここに町奉行所が置かれ明治維新まで鞆の管理がなされた。
 現在は本丸(東側最高所にあり、約2,500平方メートルの郭)、二之丸(本丸西側に接する約1,200平方メートルの郭)の一部と石垣等を残すのみとなっているが、かつては北部に三之丸があり、ここに町奉行所が置かれていた。」(福山市HPより)

築城 毛利元就、改修 毛利輝元、福島正則と戦国武将のBIGネームが並んでいますが、私としては鞆城の一番のイメージは室町幕府第15代将軍足利義昭が京と追われて、毛利輝元ら毛利氏に庇護されていた場所というところです。
それは後の世に「鞆幕府」とも呼称される時期であります。
義昭と言えば「どうする家康」ではこの方(結構ファンです)が最高に気持ち悪く怪演していましたね~(ちなみに誉め言葉です(笑))
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鞆城の本丸は現在鞆歴史民俗資料館となっています。
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石垣と刻印
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残念ながら当日は臨時休館でした💦
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本丸の石塁
あまり痕跡がありませんが・・・
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正一位早毛利神社
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しかし何といってもこの眺望が当時からの最高の遺構でしょう。
あいにくの天気で四国は見えませんでが
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続いては当初予定にはなかったのですが

大可島城
築城年 康永元年/興国3年(1342)
築城者 岡部出羽守
主な城主 岡部出羽守、桑原氏、足利直冬、村上氏
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現在は円福寺となっています。
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何となく虎口を思わせる石垣ですが近世のものでしょうね。
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この先には

船番所
江戸時代の初め、最初の鞆奉行・萩野新右衛門重富によって造られたものです。船の出入りや安全を管理・監督する設備で、今で言う港湾管理事務所にあたります。
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現在、見られる船番所跡の建物部分は、大正年間に新築され、昭和30年頃に建て替えられたものですが、その下にあるどっしりとした石垣は江戸時代のものです。
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現在はカフェ☕になっています。
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ではせっかくなので街並みを散策します。

まず駐車したのが平成いろは丸渡船のりばの駐車場
これで弁天島を眺めながら仙酔島(写真奥の島)まで行けます。
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国指定史跡福禅寺対潮楼
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太田家住宅
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常夜燈
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いろは丸展示館
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坂本龍馬の隠れ部屋
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入江豊三郎本店(保命酒)
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こちらで戦利品を購入しました。
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室城はどこにあるか店の方もわからないとのことでした。
あとで調べると少し離れたところにあるようですが特に目ぼしい遺構はなさそうです。
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りっぱな福山市鞆支所の屋上に展望所があるようなので
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右から
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最後に少し移動して鞆城(クルマの真後ろ)と大可島城(写真右端)をバックにコラボ撮影📷
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続いては最後に同じ福山市内で100名城ではないものの城専門サイトなどで評価の高い山城へ向かいます。


Posted at 2024/12/16 15:53:08 | コメント(2) | トラックバック(0) | | 旅行/地域
2024年12月10日 イイね!

🏯城攻略〜周防国 大内氏館、山口城〜 

🏯城攻略〜周防国 大内氏館、山口城〜 続いて前回訪問しましたが・・・

大内氏館
国指定史跡
築城年 14世紀末
築城者 大内弘世
主な城主 大内氏
続日本100名城No.174(高嶺城とセット)
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前回は館内部だけだったので今回は周辺遺構を中心に
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土塁
当時は周囲をぐるりと土塁と堀で囲まれていました。
こちらはまだ低いですが後ほどもっとすごいのが・・・
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石組溝
排水溝ですね
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西門(復元)
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枯山水庭園
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土塁
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そして大内氏館の裏手にあるのが
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築山(現八坂神社)
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土塁
当時は土塁を石垣で覆っていたようですが、写真で見える土塁下の石垣は近代のもののようです。
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築山神社
毛利輝元が大内義隆を祀るために建立したものとのこと(当初は多賀神社境内)
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市川元教の墓
毛利氏家臣、高嶺城城代、山口奉行
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八坂神社
大内弘世が京都から勧請したもの
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隣接するこちらは現在発掘調査・保存整備中です。
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ついでに当時の築地敷地内にある
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大内氏館の方に戻って
再び土塁
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石組かまど
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塼列建物
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池泉庭園
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最後に大内義興公にご挨拶して
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館前の紅葉🍁がキレイでした。
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続いてすぐ近くにある

山口城
築城年 元治元年(1864)
築城者 毛利敬親
主な城主 毛利氏
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明治維新まであと4年、山口城は萩城に代わる居城として、毛利氏13代・毛利敬親によって築かれたいわゆる西洋式城郭です。
城内はあまり遺構はなさそうなので割愛しました。
その代わりにコラボ撮影📷
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この後は東へ広島まで130kmほど戻って宿泊です。
15,000歩、今日は意外と歩かなかった代わりに久しぶりに600kmほどドライブしたので肩と腰がパンパンです。
にんにく増し増し餃子🥟とホテルの大浴場♨で疲れを癒します。
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明日は広島城ではなく、朝からさらに東へ移動して100名城以外の城を攻城します。







Posted at 2024/12/14 16:37:40 | コメント(1) | トラックバック(0) | | 旅行/地域
2024年12月10日 イイね!

🏯山城攻略〜周防国 高嶺城〜 やり残したことを・・・

🏯山城攻略〜周防国 高嶺城〜 やり残したことを・・・山口県再訪問へ
前回は2023年07月27日にはらペコ星人さんと攻城しました。
🏯城攻略〜周防国 岩国城 大内氏館〜 おいでませ・・・

その際、時間切れで攻城を断念したところが私としてはずっとやり残しリストにありますので再訪問します。

山陽自動車をひたすら西へ430km走る道中に・・・

宮島SA
厳島神社が見えないかなと思い立ち寄りました。
まああのあたりかと・・・
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そして期間限定(2023年12月13日~2025年8月31日(予定))でこんなイベントが・・・
ピクミンテラス in 宮島SA

今回も持参していたミニマム愛車とコラボ撮影📷
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今回の訪問箇所は下記のピンクマーカー部分
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まずは腹ごしらえ
山口名物の店へ(上記地図の☆印)
瓦そば柳屋
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「なう」でもコメントしましたが見た目より量は少ないのでセットメニューがいいかもです。
最初は柔らかいけどざるそばでもなく、最後はパリパリになるけど焼きそばでもないですが私は好みです👍
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店の前には一の坂川が流れており風情があります。
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そしてまずは情報入手のために観光案内所へ
向かう途中で銀杏並木でコラボ撮影📷
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観光案内所のあるJR山口駅
再び「おいでました山口へ」
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大内氏ラッピングのコミュニティバス🚌も👍
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案内所でどこまで城近くにクルマでアクセスできるかを確認しましたが行ったことがないようなのでまずは「おとどいやま森林公園」駐車場(26台)まで行ってからそのあと電波塔まで行けるかは自分で判断です。
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高嶺城(こうのみね)
国指定史跡
築城年 弘治2年(1556)
築城者 大内義長
主な城主 大内氏
続日本100名城No.174
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なんとか行けそうなのでコースアウトしないようにゆっくり一番上の電波塔まで行きました。
極狭で道路脇にはガードレールは無く、山側には溝があり、落ち葉で幅が確認しにくいです。
舗装路だったが幸いでした。
イメージは先日開催されたラリージャパンでしたが(笑)
さすがにもっと狭い道でしたので徐行で・・・
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ここからは500m歩いて攻城開始です。
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山城なのであたりまですがそこそこの傾斜です。
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休憩所からの展望
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赤丸のところが大内氏館です。
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大曲輪
瓦が出土しているのでここに館があって居住もできるようにしていたようです。
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主郭(下側)
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石垣(主郭南側)
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主郭
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眺望
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礎石
この主郭に目いっぱい2棟の建物が建っていたようです。
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残りの井戸と石垣方面へ
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井戸
山城では命綱ですね。
手動ポンプが設置されているのでまだ現役のようです。
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石垣(北側)
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の破片が置いてありました。
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降りてきて電波塔の裏側にも展望できる曲輪があるのに気づきました。
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この下にも曲輪がいくつか続いています。
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電波塔からの攻城時間は往復35分ほどでした。
それでは下山です。
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下山時にこの下の駐車場近くで登ってくるタクシーが来ましたが、タクシーがバックしてくれたので助かりました。(さすがプロ👍)
きちんとした離合箇所もほとんどないのでワイド&ロー車と車幅感覚の鈍い私には要注意ですね。
冬場、平日で人が少なかったのが幸いでした👍

このあとは見残した箇所のある大内氏館を再攻城します。




Posted at 2024/12/14 16:12:46 | コメント(2) | トラックバック(0) | | 旅行/地域
2024年12月03日 イイね!

🏯城攻略〜下総国 佐倉城、本佐倉城〜 

🏯城攻略〜下総国 佐倉城、本佐倉城〜 佐倉城
築城年 天文年間(1532-1552)、慶長15年(1611)
築城者 鹿島幹胤、土井利勝
主な城主 土井氏、石川氏、松平氏、堀田氏他譜代大名
日本100名城No.20
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まずは自由広場の駐車場に停めて佐倉城址公園センターで予習と名城スタンプ押印です。
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佐倉城址公園となっています。
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空堀
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まずは御城印を購入のために
国立歴史民俗博物館
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その前に立派な
角馬出空堀
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椎木門
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佐倉城の礎石
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二の丸御殿
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台所門(不明門)
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本丸
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隅櫓(三階櫓)
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一の門
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土塁
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銅櫓
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天守
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二の門
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公園になっているのでご近所の方や季節柄、🍁紅葉🍁観賞のための方が多かったです。
一応何枚か撮影しました。
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堀田正睦公像
第16代佐倉藩主、日本を開国に導いた老中でもあります。
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戦利品
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続いては15分、5~6kmのところにある城へ
到着時3時前、飛行機は晩の便なので十分ありますが一番日没早い時期なのでそちらの方が心配です。

本佐倉城
国指定史跡
築城年 文明年間(1469-1487)

築城者 千葉輔胤
主な城主 千葉氏
続日本100名城No.121
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東山馬場


東山虎口
高さ5m以上はある見事な虎口です。


東山の上から



月星紋盾(千葉氏家紋)
こういう盾などの再現設置はイメージがわくので私は好きです💛


Ⅳ郭虎口



大堀切



城山通路



城山虎口



城山郭
いわゆる本丸です。
発掘調査の結果、主殿、会所、台所、築山、園池などが確認されています。



城山門



主殿


茶室



築山
ここに庭園があったということですね。


奥ノ山



妙見宮



空堀





3時半、結構日が傾いてきました。


オプションで近場の師戸城も予定していましたが日没4時半前なので無理せず案内所でビデオ観賞です。







戦利品


これにて千葉県100名城3城、攻城コンプリートです。
これで関東では残すところ栃木、群馬です。


日帰り弾丸ツアーでしたがなんとか当日中には帰宅できました。


今回上手く寒波の合間の暖かい日(千葉は最高気温20℃)に攻城できて、歩いているときは長袖シャツ1枚で💦汗ばむ陽気でした。
本ブログ作成時(12月7日)は当地は最高気温10℃ちょっとと冬空ですが、天気を見ながら年内にもう1回攻城を企んでいます。





Posted at 2024/12/07 16:15:57 | コメント(3) | トラックバック(0) | | 旅行/地域

プロフィール

「[整備] #TTクーペ 洗車(2025年10回目)暑さにも負けず・・・ https://minkara.carview.co.jp/userid/3098145/car/2719756/8331059/note.aspx
何シテル?   08/13 17:36
TT-romanです。よろしくお願いします。 2003年、初代Audi TTクーペ(8N)の丸尻ラインに一目惚れし、新車購入して13年間10万キロのりまし...
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