今回はみん友&城とものアクアファンさんが四国遠征に行かれるとのことで、その中で私もぜひ行きたいところもありましたので一部お供しました。
前日(7月17日)仕事終えてから270km西へ移動しました。
最初の攻城先がしまなみ海道を通るので尾道に泊まりたかったのですが手頃もしくは馴染みのホテルがなく三原まで足を延ばしました。
三原城天守は三原駅の北側に面していますが南側にも遺構がありました。

三原城臨海一番櫓


ホテルの♨大浴場でゆっくり疲れをいやして明日に備えます💤
翌朝(7月18日)遠征攻城時の朝の楽しみ、バイキング👍

おそらく人生初しまなみ海道です。


見どころは山ほどありますが今回は🏯城巡りに絞ってドライブです。
まずは因島から

日本遺産「“日本最大の海賊”の本拠地:芸予諸島-よみがえる村上海賊“Murakami KAIZOKU”の記憶-」の構成文化財です。


こちらで遠路はるばる岐阜から来られたアクアファンさんと合流しました。
私より若いとは言え相変わらずタフです。
片苅城
所在地 備後国(広島県尾道市)
築城年 不明(南北朝時代)
築城者 不明
主な城主 清原守高




隅櫓

ここの展示は無料ですが9時オープンです。

「日本唯一の水軍城」でもあります。

模擬天守
こちらは資料館になっています。
有料で9時オープンです。


資料館内部には詳細資料があるのでしょうが、外壁にイラストと説明文があり、これが結構わかりやすいです。








青陰城・白滝山
攻城はしていませんが、これらも日本遺産の構成文化財です。



遊歩道を通って村上水軍の墓に向かいます。

普通に金蓮寺の墓地で最近の墓の中で村上と銘打ったものが複数ありましたが、特に村上水軍の墓と説明されたものは(たぶん)ありませんでした。

次にこれまた日本遺産の構成文化財である城に向かいますが、アクアファンさんにはそのあとの時間の都合で、村上海賊ミュージアム(私は前回に見学済み)に直接向かってもらいました。
次の城は伊予大三島の東岸、甘崎集落の約130m沖に浮かぶ古城島を全面的に城塞化した海城です。
甘崎城
所在地 伊予国(広島県今治市)
築城年 不明(戦国期)
築城者 不明 改修 藤堂高虎
主な城主 村上吉継、藤堂高虎


陸繋島のため、干潮時には歩いて渡れます。
春と秋の大潮のときのみなので休みのタイミングが合えば再訪して上陸挑戦してみたいと思います。

コラボ撮影📷

生口島と多々羅大橋をバックに📷

戦利品
城サイトでの「築城名人 藤堂高虎」バッチを獲得しました。


続いて大島へ向かいます。
下記ブログのように2023年07月26日に村上海賊ミュージアム訪問して続100名城スタンプ、御城印はゲットしましたが能島城へは上陸できていませんでしたのでやっと念願叶いました。
🏯海城攻略〜伊予国 能島城、備後国 三原城〜
能島上陸&潮流クルーズ
村上海賊ミュージアムの向いの能島水軍から船で上陸です。


能島城
国指定史跡
所在地 伊予国(愛媛県今治市)
築城年 応永26年(1419)
築城者 村上雅房
主な城主 能島村上氏
続日本100名城

「中世、村上水軍の一派、能島水軍(野島氏)が水軍城を設けた。この付近の海域は帆船時代、瀬戸内海航路の最も重要な航路の一つであった。しかも宮窪瀬戸の東側で能島と鵜島とが流れをさえぎるような位置関係であることから、干満時には激しい潮流を生み、渦巻く急流は天然の要害ともなった。このため、平時には通過する船に対して水先案内人として行きかう船を案内し、帆別銭(一種の通行料)を徴収、室町期以降この地に能島城を築き、この海域の制海権を掌握していた。能島城には本丸、二の丸、三の丸、出丸などがあり、中世の水軍城としても規模が大きいものであった。なお、能島には水が得られないことから、近傍の鵜島や木浦から補給していたとされる。
戦国末期、村上氏は豊臣秀吉との戦いに参戦したが敗北を喫し、1588年(天正16年)、秀吉の海賊停止令により、水軍の歴史は終わりを告げた。能島城は廃城となり、江戸時代以降無人島となったため、その城塞遺構はよく保存されている。」(Wikiより)
フェリーではないので愛車は駐車場でお留守番です。

赤□のところから乗船して赤〇の小さな島へ、島全体が能島城です。
今回は28名の乗客でした。
1便/9:45 2便/11:45 3便/13:45 (12~2月は2・3便のみ運航)とあるのですがすべて予約制で1週間前に10名以下の場合は欠航となります。
この日は我々が利用した1便以外は欠航でした。


潮の満ち引きで海流が段差のように流れています。こんなのは初めてみました。


上陸です。
Posted at 2026/07/26 17:27:53 | |
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