
自分の人生や気になっていたグルメ等、事柄の大小は様々であれ、どんな人でも一度は想像していた姿と現実の姿にギャップを抱いた経験があるだろう。
GRヤリスは発売当初より興味があった。かつてのアウディ・スポーツクワトロやランチア・037ラリーと同様、競技に参戦するため開発された特別な車だからだ。
この車はヤリスを名乗っているものの、プラットフォームの後ろ半分はカローラのものが使われており、生産場所はレクサス・LFAが製造された工場と同じである。工場では高い工作精度を保つ理由から一部で手組み作業が行われているそうだ。おまけに車体の屋根には贅沢にもカーボンが用いられている。以上の内容を聞けばベース車とは別物だと分かるし、入手するのに天文学的な対価が必要だと考えるのが普通だ。ところが、このRSというグレードの新車当時の価格は265万円である。400万円近い上級グレードのRZと異なる点は搭載されるエンジンとサスペンションの設定くらいで、外観を見ればジョージ5世とニコライ2世を判別する以上に違いを探すのは困難だ。
見た目は変わらず、初期の三菱・ランサーエボリューションと同等の高出力エンジンにも対応する骨格が共通なことから、パワーは控え目でも外乱に強い優れた乗り味が期待できるRSは穴場のような存在だと思っていた。しかし、実際は半分正しく半分誤りであった。
期待通りだったのは峠道や都市高速にあるきつめのコーナーを走った時だ。四輪を路面にがっちり押さえつけながら不安を全く感じさせずにぐいぐい曲がっていくさまは痛快の極みでミニを彷彿とさせる。
またRSのトランスミッションはCVTなのだが、事前知識が無ければトルコンATと間違えそうな位、違和感が少ないし、ステアリングに備わるパドルシフトを使って少々雑にシフトダウンを行った際にはマニュアル車のノッキングのような衝撃がくる手の込んだ作りに驚かされた。
この巧みなトランスミッションと組み合わせられる1.5L 3気筒NAエンジンは、カタログ上120psを発生するとされているが、玩具っぽい触感のアクセルペダルを底まで踏み抜いてもせいぜい1.3Lのコンパクトカーに毛が生えたような加速しかしない。だが3気筒と思えぬ威勢の良い音を発するし、エンジンの性能を存分に引き出したところで点数稼ぎに勤しむ公務員の餌食にならないという大きな利点がある。
期待外れだったのは3つあり、まず見切りが悪いことである。特に交差点で左折する際は横・斜め後ろ方向の死角が多く、目視で何度も確認しても歩行者や自転車を見落としそうで神経を使った。
次に高速域での安定感である。横風には滅法強いものの、路面の継ぎ目を通過した際によろめくような動きが見られ、やや不安を覚える場面もあった。市街地では段差を越えても上屋まで不快な細かい振動が伝わってこないため、標準のヤリスより乗り心地が良く感じられただけに惜しいと思う。
最後に騒音の大きさである。ロードノイズはそれなりだが、風切り音がとにかく目立つ。場所によっては50km/hに満たない速度でもびゅうびゅうと風の吹きつく音が聞こえてくる程で、11年前に登場したマツダ2(デミオ)の方が遥かに静かだ。それらが関係しているのか、100km程度の距離でも体感では250kmは走ったような気がした。思いの外、高速を使っての長い移動にはあまり向いていないようである。
結論を言えばGRヤリスRSはセカンドカーとして街中や近場の峠道で楽しむという使い方が相応しいと感じた。残念ながら現在このグレードは既に生産を終えているため、手に入れるには中古車を探すことになる。2025(令和7)年1月時点で新車の頃とあまり変わらない値が付けられているが、市場にはこれよりも安価で魅力的な車種が販売されており、積極的に選びづらいところだ 。私が勧めたいのはBMW・F20 118i/118dだ。ハッチバックでは世界最後となるFRを採用し、峠道では軽快に高速ではどっしりと安定した走りが行え、長距離移動も巨大なセダンと遜色ない快適さを持つ。加えて信頼性も高いというユーザーの理想を体現したような1台が最終型でも200万円程度で購入できてしまう。
「百聞は一見に如かず」という諺があるように評論家が語る印象や口コミは気休め程度にしかならず、実物に触れ乗ってみなければ気付けない点が多い。だからこそ車選びというのは奥が深くやめられないくらい面白いものなのである。