
巷ではアニメ「葬送のフリーレン」に出てくる「断頭台のアウラ」というキャラクターが人気であるらしい
それに乗っかるという訳でもないがフェラーリを駆るレーシングドライバーが斬首されるに至った事故やその周辺のお話などをつらつらと
レースでの斬首事故と言えばF1では1960年のクリス・ブリストウや1974年のヘルムート・コイニクが有名であるが、
オープンスポーツカーレースの分野でもかなりの数起きていた模様

1951年 フェラーリ212 エクスポートC(シャーシNo.0078E)でル・マン24時間に出場したフランス人ドライバーのジャン・ラリヴィエールはスタートからわずか6周目のテルトル・ルージュコーナーでコントロールを失いコースアウト
その先にあった有刺鉄線の柵に突っ込んだラリヴィエールは憐れ首を切断され即死してしまった
白いボディが吹き出した多量の血液に染められた凄惨な写真が残されている

1965年 当初フェラーリ330Pとして出荷された後にエンジンの載せ替えにより365P2へとバージョンアップされた車(シャーシNo.0824)の供給を受けたプライベートチームのスクーデリア・フィリピネッティからル・マンの前哨戦であるモンツァ1000kmに出場したスイス人ドライバーのトミー・スパイシガーはその34周目、
モンツァ・サーキットの裏ストレートから高速で進入する最終コーナーのパラボリカをブレーキトラブルから直進しコースアウト(因みに1970年にはロータスF1のヨッヘン・リントも同コーナーでのブレーキトラブルから死に至っている)
コース脇の土手を乗り上げた先にある森に突っ込んだ車は横倒しになった上に出火し全焼
ドライバーのスパイシガーはといえば土手へと乗り上げたショックでプレクシグラス(ポリカーボネート)のフロントウインドウに頭を突っ込み首を切断されており出火する前に既に死亡していた

事故前の写真
腰のベルトはあるのかも知れないが少なくとも肩のベルトは見当たらない
その為に衝突による急減速時に頭が前方へ持っていかれたと思われる
余談だがこの10年も前にはジェームズ・ディーンがポルシェ550スパイダーに乗りレース参加のため会場のサーキットへと遠征する途中で他車へ衝突する事故を起こし、
同様に前方に頭を持って行かれステアリングに頭を激しく打ち付けて首の骨を折り死亡しているのだが、
ことオープンスポーツカーレースの分野において4点式以上のシートベルトの普及はその後10年間ほぼ進んでいなかった事になる
…とまあフェラーリにまつわる恐ろしい事故の話を並べたが、
もっと恐ろしいのはこの2台ともがヒストリック・フェラーリとしてそれぞれオーナーの所有の下で現存しているという事だ(敢えてシャーシNo.を書いたのはそれによって履歴が追えるからだ)
1台目の212は車の損傷自体は軽微で事故の翌年には早くも後のF1チャンピオン フィル・ヒルの手に渡ったのを始め、
幾人ものオーナーを経て現在はアメリカのとあるエンスージアストの所有との事
(さすがに色は赤く塗り直されている様である)
2台目の365P2は全焼にまで至ったシャーシがフランスのコレクターの下で保管された後1990年になって元レーシングドライバーのデビッド・パイパーの手に渡り、
新造されたボディ/シャーシにオリジナルのエンジンを載せるという形で復活しヒストリックレースイベントで活躍
1998年にはオリジナルシャーシが修復成りオリジナルエンジンはそちらへ移植された
更に新造シャーシの方には別の同型エンジンが載せられた結果、同じシャーシNo.0824の2台のフェラーリ365P2(新造の方はレプリカに当たるのだろうが)を一人のオーナーが同時に所有するという奇妙な状況が出来上がってしまっているとの事である
因みに現在93歳のデビッド・パイパー氏は主にスポーツカーレースで活躍したレーシングドライバーであるが、
映画「栄光のル・マン」の撮影にカメラカーへと改造されたポルシェ917のドライバーとして参加した際に片脚を切断するほどの大事故に見舞われレーシングドライバー引退を余儀なくされた為に映画のラストで名指しで謝辞を捧げられている事の方が有名かもしれない
そんな経験を経た人ならば縁起の悪いヒストリーを持った車との関わりは普通避けて通りそうなものだが、
前述のフィル・ヒル然りレーシングドライバーや真のエンスージアストとはそんなヤワな神経では務まらないものなのかも…
あ~こわ
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2024/03/20 19:57:53