
タイトルの件ですが、ご存じの方もおられると思いますがアイルトン・セナが亡くなって今日5/1で20年です。
セナがF1で残したものについては私が書くまでもないと思いますので、あのサンマリノGPについて、20年前の記憶を辿って書いてみます。
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このGPウィークは後に「悪夢の週末」と称されたくらい、本当に色々な事がありました。
予選1日目に、R.バリチェロ(ジョーダン)がクラッシュして負傷。
そして2日目にはR.ラッツェンバーガー(シムテック)が大クラッシュし事故死。
(GPウィークでは12年ぶりとなる死亡事故で安全神話が崩れ去った瞬間でした)
決勝レースでもスタート直後にJ.Jレート(ベネトン)とP.ラミー(ロータス)がクラッシュ。マシンのパーツが観客席まで飛んで負傷者が出るなど、混乱が相次ぎました。
上記、クラッシュ後にセーフティカーが入り5周後にレースが再開されその2周目(計7週目)のタンブレロ・コーナーであの大クラッシュが発生しました。
当時、F1中継は日曜深夜25:00くらいから放映されていたため、実際には直前に終わったレースの録画という形式でした。そのため、アイルトンのクラッシュの時間帯は日本は22:00過ぎで、NHKのサンデースポーツの放送中に、”アイルトン・セナ、クラッシュ。ヘリコプターで病院へ搬送。”と速報の形で入りました。
*その時、私はそこまで深刻な状況であるとは思ってませんでした。
(詳細情報がなかったというのもあります。ただ、普段F1をそんなに取り上げないNHKでニュース
速報を出すのに違和感を感じましたが。)
その後、F1中継前のフジTVのニュース(プロ野球ニュース(当時)だったかも)で、意識不明の状態で搬送されたとの報道があり、深刻な状況であることが判明。
そして、F1中継そのものもイレギュラーな形で始まりました。
冒頭部分で、いきなりレース終了直後の現地生中継が入り、実況の三宅アナ、解説の今宮氏、ピットリポーターの川井氏の3名が沈痛な面持ちで改めてセナの状況について説明があり、この日の放送はレース中継を放映しつつ、速報が入り次第生中継に切り替える、との形になりました。
中継録画が入って30分くらい経過した頃だったと思います。生中継に切り替わり、遂にその報告が入りました。
現地も、TV視聴者もその宣告はもう時間の問題と感じつつも、それでも万が一、その宣告は無いかもしれないという微かな期待は持っていただろうと思います。
しかし、現実はシビアに、その事実が伝えられました・・・
この時の生中継で印象に残っているのは、堪えきれずに声を詰まらせた今宮さんもそうですが、それ以上に、自身の感情を抑えて事実を視聴者に伝え、そしてコメントを伝えた三宅アナ、川井氏のプロ意識の高さです。
*後に、何かの雑誌のコラムで今宮さんはその中継について、「感情を抑えきれず取り乱して
しまい、事実をしっかりと伝えるというプロのジャーナリストとしての職務を全う出来ず視聴者に
申し訳なかった」と書いてました。
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このシーズンはレギュレーションが大きく変わり(アクティブサス、トラクションコントロール等のハイテク禁止)、開幕前からクラッシュが相次ぎ、このサンマリノ以降も深刻な事故が続きました。
これ以降、F1の安全性について取り上げられるようになり、ドライバー同士の話し合いの場が(GPDA:グランプリ・ドライバー・アソシエーション発足)設けられ、レギュレーションも段階を追って変更されていきました。
この94年以降20年間、F1GPウィーク中の死亡事故は無く、現在も継続中です。
(尤も、現在のF1マシンは当時よりも多くのマシン情報がデータ化され監視しているので、決定的な破綻に至らないのかもしれませんが。)
こう書いている私ですが、実はセナ派ではありませんでした。
それでも、この20年経った今現在も、大きなインパクトとして残っています。
そして、20年経過して思うのは(当時も思っていたかもしれませんが)トップ周回中にそのまま逝ってしまったというのは、不謹慎かもしれませんが、セナ”らしい”生涯の最後だったのかもしれない、ということです。
それによって、誰も追いつく事が出来なくなってしまったのだから。
ミハエル・シューマッハーでさえも。
*余談ですが、そのミハエルが現在、別の形ですが意識不明の状態に陥っているというのは何とも
数奇な運命のような物を感じます。(現在の容体については様々な憶測があるので言及しません)
以上、長々と乱文失礼致しました。
↓私自身最も印象に残るレースの92年モナコGPでのN.マンセルとのバトルです。
Posted at 2014/05/01 12:52:27 | |
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