
「興味あるかしら?」
2月下旬、20年来の友達WさんからLINEが届いた。
「うん、行く行く!」
ということで「王義之と蘭亭序(おうぎしとらんていじょ)」展へ行くことになった。
これを読んだ多くの人は、たぶん「?」だと思う
さあ、ちょっとだけ書道の世界に触れてみましょう。
(もちろん興味がなければスルースルーでOK!)
【書体とは】
字の書き方の種類のことで、書道の漢字には大きく分けて5つの書体があります。
古い順に、
篆書(てんしょ)、隷書(れいしょ)、草書、行書、楷書があります。
<篆書(てんしょ)>
時 期:秦の時代(紀元前221年~206年)
きっかけ:中国を統一した秦の始皇帝が、文字の統一を図るため制定した
特 徴:左右対称・縦長・静かで無表情
(例えば「皇」「天」の字は完全に左右対称になる)
生息場所:印鑑やパスポートの「日本国旅券」、切手の「日本郵便」など
<隷書(れいしょ)>
時 期:漢*の時代(紀元前202年~西暦220年)
きっかけ:篆書(てんしょ)が書きにくかったので、漢代の下級官吏の間で発明された
賤しい者が使う文字という意味で「隷書」
(あ、だから「隷」なんだと、今回調べて納得!)
特 徴:左右に波打つような筆使い(はたく=波磔という)
生息場所:紙幣の「日本銀行券」「壱万円」や新聞の題字、看板など
*前漢と後漢の二つの王朝を総称して漢という。
<草書>
時 期:秦の時代に原形が成立し、漢の時代に発展
きっかけ:隷書のなかでも使用頻度の高い文字から単純化されていった
日常用の早書きで使われる
特 徴:点画が大きく省略。読み解きには専門知識がいると言われる。
生息場所:書道の展覧会(?)
<行書>
時 期:西暦100年代半ばの後漢時代(西暦25年~220年)に初期の形が成立
きっかけ:隷書の速書きから生まれる
公務や祭礼など正式な場で使われ、随・唐時代(西暦589~907年)にかけて標準的な書体となる
特 徴:一筆書きのような筆記だが、読みやすい
生息場所:看板やのれん

みんカラではお馴染みのマーク
<楷書>
時 期:西暦200年頃の後漢から三国時代(西暦220年~280年)に初期の形が成立
きっかけ:隷書から転じたもの。
唐(紀元後618~907年)の初期に書体が確立する。
特 徴:文字を崩さずに、一画一画を正確に丁寧に書く
生息場所:あらゆる場所で

右から左の順に書体が誕生していった
紙の普及により、筆と墨で文字の美を追求する高度な文化として「書」が確立する。
つまり、それ以前の竹簡や木簡では美を表現するにも限界があったということ。
草書、行書、楷書は隷書から派生したが、それぞれの表現方法を磨き上げていったのが五胡十六国時代の
王義之(おうぎし)である。
3月初旬、WさんとはJR鶯谷駅で待ち合わせた。

CANNONBALL DINER (キャノンボール ダイナー)というお店で、まずは腹ごしらえ

アボカドバーガーをオーダー
ランチを楽しんだ後、台東区立書道博物館へと向かう
歩きながら、Wさん相手にぽつりぽつり王義之にまつわる思い出話をした。
大阪で高校生になったときの話である。
芸術クラスを美術、音楽、書道から選択することになり、はたと困った。
音楽はオンチだから、ムリ!
美術は絵も下手だし、ロクに仕上がったためしもないから、やめておこう。
書道は字も下手だから、やめておこう。
選択必修科目なので、何かしら選ばないと…
でも、選びようがない!
じゃあ、字を書くだけで済むから、ということで書道クラスにした。
しかし、現実は甘くはなかった。
私以外のクラスメートは皆、達筆。
自分の字のあまりのヘタクソさぶりに、劣等感にさいなまれることとなった。
書道の先生は、
「書道は芸術やから字のうまさ云々より、どれだけ個性が出せるかやで」
とやさしく言う。
いやあ、そうは言いましてもね…
書の基本があって、初めて芸術なんじゃないの?とイジケていた。
字を書くのは好きじゃなかったけれど、それでも楽しかったことは2つあった。
一つは篆刻を彫ったこと。
自分の姓名の最初の一字ずつ篆書の字体で、二つの大理石に刻んでいった。
無心になれて、これはこれで楽しかった。

HPより拝借。もう一回り大きな石で、何時間もかけて彫った
もう一つは書道の歴史を学んだこと。
先生が薄めの教科書を片手に、「王義之(おうぎし)」だとか「蘭亭序(らんていじょ)」、「顔真卿(がんしんけい)」などと語っていた。
しかも何度も何度も、熱を込めて。
刷り込み効果なのか、単語だけはいまだに覚えている。
だから、Wさんに誘われたときに、ピンときた!
せっかくだから、行ってみよう。
「でもさ、むちゃくちゃ混むんじゃないの?」
2019年冬、顔真卿(がんしんけい)の肉筆が東京国立博物館で公開されたときの大混雑ぶりを思い出して尋ねてみた。

おそらくもう二度と見られない作品がやってきた!
なんせ台湾国内でも非公開の代物が公開されたのだから、中国系の人たちの間でも大騒ぎだった。でもビザの発給が間に合わず、実際は日本在住者しか見学できなかったとか。
現場はかなりの熱気に包まれ、延々と長い行列が続いたそうだ。
私も珍しいもの見たさに行こうかと思ったけれど、都合がつかなかった。
「大丈夫!絶対混まないから」
力強くWさんは言う。
そうなのかなぁと半信半疑だったけれど、建物と周りの環境を見て納得。
これは地味だ、目立たない。

「台東区立書道博物館」は路地裏に立地している
王義之について、もう少し情報を追加すると、
・五胡十六国時代(西暦303~361年)の東晋時代の人で、「書聖」と仰がれる
・流麗で清爽な書法
・肉筆はない!
あまりに古い書だから、やっぱり現存は難しいのでは?と思うかもしれない。
実はそうではない。その300年後、唐の太宗皇帝(598~649)が王羲之の書を愛するあまり、執念をもって散逸していた書を収集し、挙句、自分のお墓まで持っていってしまったからだ涙
・その代わり、太宗が作らせた精巧な複製が残っている。
これらの複製が現在、奇跡的に世界で10例伝わっているという。
そのうち4例も日本にあるというのがスゴイ!

デザインがおしゃれー
王義之の「蘭亭序」について
西暦353年3月3日、王羲之は会稽山陰の蘭亭に41人の名士を招いて詩会を催した。
水の流れに盃を浮かべ、詩を吟ずる宴、「曲水流觴の宴」である。
せせらぎに浮かべた杯が流れ着く前に詩を吟じ、詩ができなければ罰として酒を飲む文人の雅宴である。三十六人が詩を吟じた。
この詩集に叙した序文が王義之の傑作と言われる「蘭亭序」である。
酩酊したまま書いたとされ、のちに何度も清書するものの、それ以上の出来にはならなかったという。
行書で書かれた書である。
ところで「曲水の宴」を聞いたことはあるだろうか。

HPから拝借。和風の蘭亭序といったところか。
平安装束を身にまとった人々が小川のそばで和歌を詠むという、平安絵巻物さながらの行事である。
蘭亭序は男性のみの参加だけど、平安時代ものなら女性を抜きにしては成り立たないのがイイね。
高校時代の教科書に載っているのを見て、平安時代をこよなく愛する私はいつかは見に行ってみたいと思っているうちに、かなりの年月が経ってしまった…
今回調べてみると新たな発見があった!
京都のどこかでやっているとばかり思っていたら、大宰府天満宮が1963年(昭和38年)に再興したのが最初とのこと。
今では京都で3か所、そのほかにも全国いろんなところでやっているらしい。
知らなかった!
最後に、王義之と双璧をなす「顔真卿(がんしんけい)」について触れておこう。
・中唐時代(西暦766年~835年)の人
・力強さ、穏やかさを兼ね備えた独特の楷書を書く。
行書・草書も文句なしの賞賛を受けている
・肉筆は数例現存するのみ
・明朝体は顔真卿の書風を基に作られた

博物館の中庭より
「王義之と蘭亭序」というタイトルの展覧会とは言え、王義之の作品は一切なし。(しつこいけど、太宗がすべて墓場へ持っていってしまったから)
後世の人々による「蘭亭序」の複製を見比べたり、「蘭亭序」に着想を得た絵画をじっと眺めた。

博物館のイメージキャラ?
展示数もそれほど多くないし、Wさんの断言どおり人もまばらだったので、ゆったりのんびり眺めることができた。
博物館を後にし、いよいよお楽しみのお茶の時間に入る。
今回はすべてWさんがプランを練ってくれたので、ものすごく楽ちんなお出かけだ。
ドラマ「孤独のグルメ」にも登場した喫茶店「DEN」へ連れていってくれた。
入るのに少々戸惑うような、しぶーい外観の喫茶店である。
五郎さんはグラパンとコーヒーフロートを頼んだらしいけれど、メニューの写真の鮮やかなグリーンに惹かれて、クリームソーダにした。

HPより拝借。五郎さんの頼んだコーヒーフロート
いつもはこんな色付きなんて…思うんだけど、
出されたクリームソーダは、それはそれは美味しかった。

こっちのほうが断然おいしそうに見えた
ソーダの緑色も味も、控えめでさっぱりとしている。
ソフトクリームは濃厚なのにすっきりとしている。
量もたっぷりで満足だったんだけど、季節柄、寒くなってきた!
帰りがてら上野公園までお散歩した。

中学校の塀から顔を出していた紅梅

上野公園の寒緋(かんひ)桜

水をつかって即興でイラストを描く人がいた
思った以上に運動不足で、足が重たくなってきた。
じゃあ、そろそろ帰りましょう、ということで上野駅から電車で帰宅した。
Wさんとも久しぶりに会えたし、充実した一日を過ごせてよかった!