
進化論の知られざる歴史(ダーウィンとその先駆者たち)
英国の作家、イースト・アングリア大学名誉教授、レベッカ・ストットの著作。ダーウィンは生物進化のプロセスを明らかにしたことで有名であるが、本書ではその陰に進化論に繋がる多くの先駆者たちがいたことを教えてくれる。
ダーウィンが「種の起源」を出版した19世紀中頃の西洋では、未だ神が1週間でこの世界を作られたと言う聖書の記述、天地創造が広く信じられていた。即ち、生物の種は最初からこの姿で固定されているものであると。しかしながら、それ以前から生物は変異していると考える者も多くいた。
古くは紀元前4世紀に遡る。ギリシャの哲学者アリストテレスは、多くの動物を観察・解剖することにより、動物と植物の境界について考えを巡らせ、彼の著作「動物誌」において「自然は、非生命体から生きていながら動物でないものを経て動物へと連続的に移行する」と書いた。
9世紀のイラクでは、多芸な著作者ジャービズが進化と自然選択の理論にもう少しのところまで迫っていた。アッバース朝イスラム帝国の栄華を極めていた当時のバグダッドには帝国の隅々から多種多様な動物が輸入されていたが、新しい住まいに適応するものと死んでしまうものがいた。彼の著書「動物の書」の表現から、彼が、動物とその周囲の世界が相互に関連しあっている生態系を理解し、適者生存も理解していたと思われるが、彼は神による天地創造を信じ、進化を解明しようとは試みていなかった。
自然科学が急速に発展していったルネッサンス期以降では、フランスの陶工パリシー、スイス出身の家庭教師トランブレー、医者であったダーウィンの祖父など、決して少なくない者が生物の自然発生や変異について述べていたが、自然選択の考えに辿り着いた者はおらず、環境に適合するように生物が進化すると言う考えであった。
ダーウィンは、自然は生き残るのに最も適したものを選択することによって発展してきたと言う自然選択の考えに辿り着いていたが、当時のキリスト教世界において異端視される事を恐れ、長い間発表を躊躇っていた。そうこうする内に英国の標本収集家ウォーレスも同じ考えに行き着き、論文発表の準備をし始めた。
この事を知ったダーウィンは慌てて自説の出版を急ぎ、1959年「自然選択による種の起源」の出版に漕ぎつけたが、直後から進化論の先駆者たちの亡霊に悩まされるようになった。著書は大きな反響と称賛を得た一方、この考えはどれほど独創的なのか、新しいのかと疑問や批判も多く寄せられた。幸い、ダーウィンはウォーレスより早く自然選択の理論を考案したと正式に認められたが、次々と現れる先駆者候補に悩まされ続けた。
本書は単なる科学史ではなく、ダーウィンの苦悩が手に取るように、又、進化論の先駆者たちの物語がまるでその場にいたように描かれており、読み物としての完成度も非常に高かった。お勧めの一冊である。
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2025/07/02 18:03:14