
海外旅行に行った際には、その国にちなんだ本を読むようにしている。今回はトルコ旅行に行ったので、その一時代を築いたオスマン帝国の本を読んでみた。著者はトルコ研究の第一人者で九州大学大学院人文科学研究院、小笠原弘幸准教授。
今から千年ほど前、モンゴル高原を故地とした遊牧民(トルコ民族)が西進し、ビザンチン帝国(東ローマ帝国)のアナトリア(現在のトルコ)東部にトルコ人を王とする国を建国した(セルジューク朝)。その二百年後、セルジューク朝が弱体する中で台頭してきた別のトルコ系部族の指導者オスマンが建国したのがオスマン帝国の始まりである。
15世紀半ばにメフメト2世はコンスタンチノーブル(現在のイスタンブール)を占領し、ビザンチン帝国を滅亡させた。16世紀のスレイマン大帝時代には最盛期を迎え、領土は東欧から東アフリカ、西アジアにまで広がる広大なものであった。
その治世は、初期の封建的侯国時代から世界の王として君臨する集権的帝国時代を経て分権化が進み、さらに力を付けて来た欧州の列強の影響を受けながら憲政へと変節して来たが、1922年に帝国が滅ぶまで、ひとつの王朝としては類を見ない600年と言う命脈を保った。
このような規模と長命を誇る帝国は如何にして築かれたのか? 王権を支えたシステムのひとつは、即位した王の兄弟を抹殺することで王位継承争いを防いだことである。もうひとつは、奴隷を妃として政略結婚を排した事である。さらには、他部族や奴隷の中から優秀な人材を重用したことも帝国の安定化を図る助けとなった。
帝国はスンナ派イスラム社会ではあったが、非イスラムを平等に扱い、キリスト教徒の少年を兵士に登用し、利子を容認するなど厳密にはイスラム法で許されない行為を実践することで社会の現実的なバランスを取っていた。
長く続いた帝国もその柔軟性や多様性ゆえ、19世紀末から諸国の独立を招き、第一次大戦の敗北により衰退していった。そしてついに1922年、将校ムスタファ・ケマル(トルコ共和国建国の父)を指導者とするアンカラ政府の手により帝国は姿を消した。その後、帝国の歴史も暗闇の中に葬り去られていたが、滅亡後100年を迎える今、偉大なトルコ人の過去として見直されている。
Posted at 2025/06/19 07:37:39 | |
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