
488pista、最初見たときはあのラインがいらないよねぇ、ピロティとか末広がりのデザインも今ひとつ理解できずにいた。しかし見慣れてくると、その一つ一つの造形に意味があり、ラインの連続性とか消失点とかとても凄い作り込みがあって、どの角度、どの距離からみても破綻しない素晴らしさに気づく。
今の488が逆にすごく地味方向に振っているので対象的。
それなら、今まだ注文可能と思われるF8を眺めると、今ひとつスッキリしない。フロント周りのシルエットもすごく格好がいいし、ピスタ譲りのフロントバンパーのくぼみも488の進化型であるのはわかる。このビアンコイタリアの特色は300万を優に超えるオプション。その美しさは近寄るとオーラがでている。
でもなんだか気に入らない部分もあるのは確か。巨大なフロントバンパーはフェンダーの3/1を占めるほど側面に回り込んでいるが、ヘッドライトのボンネット側は逆に延々とAピラーから連続するフェンダーパーツである。この、フロントバンパーとフェンダー、そしてにボンネットの3つの集まるところのチリが全く変。他の車もこれほどではないがちょっと違和感あり。ボンネットの穴の幅も狭い、穴から繋がるラインの消失点が、どこに繋がっているのかわからない
リアのレキサンガラスは軽く、素晴らしい透明度で複雑な形状を許容する。上から覗いてもエンジンの吸気系カバーが芸術作品のように見える。でも、後方視界は最悪。これはマクラーレンGTでも感じたが、後ろがよく見えない車はとてもストレスフル。
それとサイドスカートが途中で消失し、大きさの中途半端なリアタイヤホイール前のサイドスカートとの連続性がないのも気になる。ピスタのは伸びやかなラインと空力をよいバランスでデザインに追い込んでいるし、サイドからの眺めも連続性がわかるように、ラインを入れたりしている。488はサイドスカートを単純な平面としてボディとの影、映り込みの違いで、造形、連続性を保ちつつボディが絞り込まれている印象を強く与えている。
こうやってみていくと、この4灯のリアランプも気に入らない。歌舞伎メイキャップのようなメッシュ部分の造形も奇妙で受け入れられない。
メカニズム的には、微粒子除去フィルターが追加されたにもかかわらず、パワーは720馬力という凄いチューニングだし、あきらかにシャーシ制御も488とは格段にバージョンアップされているのはわかるけど、デザインからピニンファリーナ色が薄れすぎていて、気に入らない部分がたくさんでてくる。近くで実物をみるとカッコいいのだけど、いろいろ深く見ると不満が満載。
そのとき担当が一言。マラネロの彼らは、フェラーリの顧客が惜しみなく払うことを前提にしても、2年待たせたうえに、ちょっとここが気に食わないと畳み掛ける「不満」を商売にしているのですよ。と
なるほど、きっとこの後のV6はすごく格好がいいのかもしれない。
ピスタはサーキットを速く走るために追い込んだ凄みが、純粋に「かっこいい」となるが、オープンでゆったり流すには488スパイダーも最高にクールな一台なんだよね、と思う。
そういえば、昨日辰巳PAでコーヒーで一息ついていたら、小学生ぐらいの子供が何周もぐるぐる車の周りを覗き込んでいた。他にもすごくド派手な車が来ていたのにそちらには目もくれず。色を追加せず、ラインも入れずに自ずと出てくる曲線と直線の交差、光と陰と反射の織りなすコントラスト。何よりもシートを含めた抑えた自己主張は悪くないと思う。
Posted at 2020/12/28 10:10:26 | |
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488 | 日記