
うちの職場は変わっていて、未だに旅行届という風習が残っており、一泊以上を伴う外出には必ず事前の届出報告が必要です。これは墓参や親戚訪問、家事連絡でも変わりません。
という訳で、能登まで墓参に向かうのに、午前3時に名古屋を出て日付が変わる前に帰宅する強行軍で行きました。
日帰りなら届出の必要無いもんね♪
写真は午前5時のひるがの高原SAです。
まもなく日が昇ります。

順調に旅程をこなしていたのですが、高鷲を越した辺りで濃霧が現れました。

霧で前方が見えません。
iPhoneはお節介にも霧を除去して撮影してくれましたが、ホントはもっと白い壁になってました。

やっと城端SAまでたどり着きました。ここは行きも帰りも立ち寄り地にしています。
ハイウェイオアシス内にあるP.A.WORKS本社に黙礼です。
別の意味で聖地巡礼です。

穴水町の墓所に着いた頃にはすっかり日が昇っていました。
真夏の青空がまだまだ広がっています。陽射しが皮膚に噛みつくようです。

木々の向こうに海が見えます。
ところで、ここまで来るのにのと里山海道を通りました。
報道では全区間通行可、とありますが実情は、無理繰り通れるようにしました感でいっぱいです。
何せ、この道が通らないと復興はおろか日常生活も観光客誘致もままならないからです。
現状はこんな様子でした。

道路が陥没したのを無理やり坂道で繋いでいます。
東京競馬場のゴール前もかくや、です。

速度抑制の段差じゃないですよ。自動車専用道路にこのレベル差の高低があります。
それでも他所と比べてまだ影響が少ないので、手当ては後回しのようです。

崩落により寸断、迂回路がシケインになっています。上下のうねり付きです。

左側、崩落した元の道路にブルーシートがかけられています。

ここも元の道路が崩落ですね。

迂回路が大きく取れなかったようで、現道路の脇に被災道路が見えます。

左から陥没、右から崩落の間を通っています。

残っている元道路にも、ひび割れがあります。
元道路の白線が割れてるのが分かりますか?

全区間開通、の報道は被災地の活力になったことでしょう。
反面、部外の人々には、もうすでに復興は終わったかのような誤解を与えてしまったのではないでしょうか。
発災からすでに1年半が過ぎた令和7年8月、現状はまだまだこんな感じです。
この現状を前にして、私たちに何が出来るか、私たちは何をしたら良いのか分かりません。
ただ、全国の皆さんにこの様子を知ってもらいたくて、このブログを残します。
とりあえず私は、少しでも経済復興に貢献出来るよう、地産地消を腹一杯と、お土産いっぱい買って帰りましたよ。
皆さんも能登へおいでまっし!
のと里山海道は全線無料やさけーぇー、あちこち見て周るんに降りたり乗ったり出来てーぇ便利やねんぞ!
ボラ待ち櫓を前にして。
Posted at 2025/08/18 07:33:50 | |
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