2013年11月29日
写真はトヨタ・ソアラのTVコマーシャル。かつてのハイソカーブームで一世を風靡した象徴的な名車です。しかし最近のTVコマーシャルは・・・・・軽自動車ばかりだと思いませんか?
あれれ・・・・大型の4ドアセダンは消えたのか?
実は国内自動車販売は以下のように大きく変貌していたのでした。
年度 合計 普通車 軽自動車
1996年 708万台 537万台 170万台
2009年 460万台 292万台 168万台
2010年 495万台 322万台 172万台
2011年 421万台 269万台 152万台
2012年 521万台 323万台 197万台
1996年から普通車の市場はビックリの4割減!軽自動車は1割アップ!です。ちなみに中国の市場規模は2000万台ですから、世界の自動車メーカーにとって日本は全然魅力がない市場ということがわかります。その証拠に、東京モーターショウの規模は広州モーターショウの1/5に過ぎず、ローカルのちっぽけな展示会になっているのです。もはや日本経済規模と購買力の凋落は隠しようがありませんが、日本のマスコミは不都合な事実は決して記事にしませんので、アンテナ感度の悪い人はその事実を知る由もありません。
話を元に戻すと、日本の普通車市場は年々縮小を続けながら、確実に普通車離れが進んでいることがわかります。また普通車の半分がコンパクトカーになっていますので、今やコンパクトカーと軽自動車しか売れなくなっているのでした。TVから普通車のコマーシャルが消えてしまった理由がわかりましたでしょうか。
発展途上の国では普通車は増加しますが、日本はその逆で「日が沈む国」であることが自動車販売からも読み取れます。現在の無責任なリーダー達がこの世にいないであろう30年後、日本は良くなっているでしょうか?
Posted at 2013/11/29 22:27:28 | |
トラックバック(0) |
明日の視点 | 日記
2013年11月28日
いよいよ受験シーズン本番突入です。ワンランクでも上の学校へ進学することがとても大切と繰り返して来ましたが、この期に及んでしまうと「志望校の高望み」は逆に危険です。特に15歳の春に志望校へ進めなかった場合は、本人のダメージは大きいはずです。本番シーズンまでに十分な学力を貯金できたかどうか、この点が非常に重要と言えるでしょう。
さて本題。我が家の娘達は通塾なしでも高い学力を形成しています。どの程度高いかと言うと「大手塾のトップクラス」と同じ程度のレベルです。生まれ持った資質や才能にとびきり恵まれたという訳ではありません。我が家の経済力も高くはありません。それでは普通の子供達と何が違うのでしょうか?
それは・・・・「生活のリズム」です。
長女 就寝21:00~22:00 起床03:00~04:00
次女 就寝21:00~21:30 起床05:00
典型的な「早寝早起き」です。「三度の食事」と「早寝早起き」が子供の人間形成に非常に大きな影響を持ち、その一部である学力にも影響を及ぼします。生活のリズムはすぐに作り変えることができませんし、毎日の繰り返しです。子育てにおいて母親の果たす役割はとても大きく、地道な努力とその手間ひまは大変なものです。この手間ひまなくして、立派な人間を育て上げることは、至難の業だと思っています。母親の就業率が上がり、その結果、子供達の通塾率が上がるというのが現代の皮肉な実態です。受験突破目的の学力はお金である程度買えますが・・・・その学力だけで立派な人間ができることはありません。
これからは寒さが増す季節。それでも早寝早起きを続けることが大切です。
Posted at 2013/11/28 10:18:09 | |
トラックバック(0) |
子育て | 日記
2013年11月23日
大学の易化が進んだと言われますが、今と昔ではどの程度違うのでしょうか。
年度 学生数 大学数
1988年 200万人 500校弱
2014年 120万人 800校弱
ご覧の通り、状況はとても大きく変わりました。大学は全入時代に突入して久しく、学習意欲の低い学生も大学に進学してしまうという悲劇が常態化しています。また旧帝大レベルでも一段階程度の易化が進んだと言われています。
さてここからが本題「就職」ついて考察します。
18歳人口約120万人に対して主要企業1000社の新卒採用枠は約10万人。主要企業の門戸は12人に1人という狭き門になっています。残りの11人は二流・三流企業、非正規雇用、もしくはニートになっていきます。内訳を見ると、高卒の採用枠は1万人。高卒50~60万人のうち上位1万人。大卒では6人に1人しか主要企業に就職できないのが現実です。大卒6人の上位1人のポジションは偏差値60以上の大学生となり、具体的には関関同立や国公立大学ということになります。それ以下の大学に進学してしまうと、よほど秀でた実績や才能がないと主要企業への就職はアウトということです。
国公立大の学生は高校時代から真面目にやっていることが証明されているので、企業の人事採用者は安心して採用できます。しかし、関関同立・早慶マーチになると・・・もはや玉石混交。指定校推薦や内部進学などが混ざっているので、かなり慎重に学生の素性を見極めた上で採用することになるのです。またそれ以下の大学からは、よほど見るべきモノをもつ学生のみしか採用されません。主要企業に入社できず、給料が低いとか待遇が悪いとか文句を言っても後の祭りです。小中高時代をのんびりと楽しく過ごしてきたツケ(=借金)は大きく、一生を通じてそれを返済しないといけない訳で、現実は本当に厳しいということを認識しておくべきです。(両親が競争のない安楽な世界で生きていると、現実の厳しさがわからないかもしれませんが・・・)
繰り返しますが・・・・人事採用者にとって、「大学の偏差値と在学中の成績」は頭の良し悪しを判断するものではなく、努力の度合いを推し測るものです。人間としてのキッチリ度を見分けるだけです。人間性の評価(面接)は偏差値&成績評価(履歴書審査)の後だという事も認識しておかねばなりません。偏差値の低い大学へ進んでおいて「私はこれだけ努力できる人間です!」と自己PRしても大人の世界では一切通用しませんが、実際は書類審査で不合格になり自己PRの場すら与えられません。努力を怠ったら「負け組」になるだけなのです。
◆まとめ
イラストは中学~高校~大学~就職の進路イメージ。中高生は頑張って学力を高めることで,上位大学へ進み、主要企業に入って活躍する可能性を増やすことができます。しかし大学生になってから努力しても逆転はほぼ不可能です。就職へ続いて行く進路に決定的な影響を与えるのはやはり高校と言えるでしょう。最後に、同程度の学力で進学できる大学の場合、就職では圧倒的に「国公立>>>私大」となります。この点についてはまたの機会に述べたい。
Posted at 2013/11/23 09:55:14 | |
トラックバック(0) |
子育て | 日記
2013年11月04日
つづき
日本は経済的に再度浮上しなければならない。それができないのであれば、教育の現場も良くなることはない。貧困層が増加し、教育が荒廃していくのは確実だ。しっかりとした教育が受けられなかった人間ができる事は、その多くが単純労働だけになる。思考能力が劣るので、流行や雰囲気に流されやすい人間になっていく。また文字通り「思慮が足りない」人間が増えるので、爆発的な暴力や短絡的な事件も加速度的に増えていくことになる。下層社会に、暴力が渦巻くようになるのは、どこの国でも同じだ。昨今のスマートフォンの爆発的な流行も考えれば怖い。
教育がなければ生活の質を向上することはできない。単純労働ではその日暮らしが精一杯になる。必死で働いたところで、もはや手遅れなのだ。そんな環境に置かれたとき、人間がどのように退廃していくのか・・・。
この事は日本人の誰にとっても他人事ではない。教育と常識を学ぶことができず、短絡的な思考しかできなくなった人間がまわりに溢れ始めているからである。日本の社会はそういう人間を大量に生み出すようになってきているので、貧困社会の次は暴力社会がやってくることをよくよく覚悟しなければならない。
将来に希望が持てない人間は、毎日毎日を挫折感と折り合って生活しなければならない。そこに芽生えてくるのが自暴自棄な感情と反社会的な破壊欲求だ。自暴自棄になった男は酒と麻薬に溺れ、女は身を持ち崩して水商売や売春へと向かっていく。そして、努力するよりも、「手っ取り早く金を儲けたい」という気持ちになっていくと、投機・詐欺・強盗という行動に移っていく。最近のニュースではこのような事件が日常茶飯事になった。
貧困層の中では麻薬が蔓延し、強盗・詐欺が横行し、貧困地帯の一角は必ず売春する女性が巣食うような場所ができる。それは先進国でも後進国でも同じで、やがて日本もそうなっていく。
日本がいつまでも豊かな先進国のつもりでいても、ニート、引きこもり、生活保護受給者がどんどん増えていることを見ても分かる通り、今後の日本は底辺層が増加し続け、想像以上の人達が貧困に追いやられていくことになるだろう。
国の借金は莫大に積み上がり、その借金を払わない老人達が増え続け、負の財産を若者へ押し付けていく。もはや日本に景気回復や経済成長が起きるなどと、甘い夢を見ていてはいけない。それよりも、衰退と貧困と暴力社会がやってくると覚悟しておかなければならない。
Posted at 2013/11/04 17:20:02 | |
トラックバック(0) |
明日の視点 | 日記
2013年11月03日
「読書の秋」「物書きの秋」です。「日本が陥っている国家崩壊への道程」について勝手気ままですが・・・カキコしてみます。
格差拡大は低所得者の生活を追い詰めるが、その子供達もまたその影響から逃れることはできない。格差が広がると教育現場は崩壊していくことになる。
欧米を見ればわかる通り、国の衰退と教育の劣化は、比例して進行していく現象だ。日本のように教育費がかかる国であればあるほど崩壊は鮮明で、教育衰退は国家の衰退へと確実につながっていく。教育の衰退で、必然的に秩序が乱れ、学校内が学びの場でなくなっていく。誰でも受け入れなければならない公立校でその事態は深刻化することになるので、公立校は暴力にまみれていくことになる。公立校で学級崩壊が頻繁に発生する原因はここにある。
日本はゆとり教育を実施したために塾へ通うことが当たり前になり、塾通いは教育費の増大へとつながっていった。一方で学校現場では体罰が禁止された。体罰については賛否両論あるが、それが厳格に禁止されてしまうと、秩序を乱す生徒がいても教師は最後の手段が取れない。口で言っても言うことを聞かない子供は、どこにでも一定数はいる。そういった暴力傾向の強い子供たちを放置する事は、学校を無法地帯にするということ。生徒を退学させることができない公立校は暴力教室へと変貌していくことになるだろう。そういった環境での教育は質の低下が著しいのは言うまでもない。
自分が住んでいる地区の公立校が上記のような状況では、教育を満足に受けさせるためには私立校へ進学させざるを得ない。しかし、私立校進学こそが教育費の増大に拍車をかける。デフレ経済下で賃金低下が顕著になると、私立校通いが負担になる家庭が続出した。その結果、低所得の家庭では荒廃した公立校に通わせる以外に進路はなくなり、質の悪い教育しか受けられなくなっていく。それは「人間の質の低下」に直結し、教養のない人間を社会へ送り出すことになる。持たざる者の子供は良質な教育を受ける事ができず、親から子へ負の連鎖が続いていくことなるのである。
~長くなったので、つづく~
Posted at 2013/11/03 20:52:13 | |
トラックバック(0) |
明日の視点 | 日記