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石狩港302のブログ一覧

2020年02月01日 イイね!

P10系プリメーラ発表から30周年経過

P10系プリメーラ発表から30周年経過本日で日産自動車から英国日産自動車製造のイギリスをはじめとする欧州では「ブルーバード(T12系)」として生産・販売されたオースター・スタンザ(T12系 最終世代)の後継車で欧州をはじめとする世界戦略車として北米日産では「G20」として海外向けプレミアムカーブランドの「インフィニティ」でも販売されたミドルクラスのDセグメントサルーン(現在のサイズ基準ではBCセグメントに相当)「プリメーラ」の発表(発売は2月19日)から30周年を経過しました。
1989年10月の第28回東京モーターショーに「PRIMERA-X」と言う名称でパイロットモデルを出品、1990年2月に国内仕様の発表・発売、7月には「インフィニティ・G20」として北米仕様の発表、秋には英国日産自動車製造サンダーランド工場により欧州仕様4ドアセダン・日本国内でも前期Ⅱ型発売時に「e-GT (FHP10)」として販売された5ドアセダン・日本国内では「アベニール」として5月から生産開始された5ドアワゴン(W10系)の現地生産開始、同時に国内ではアテーサ4WDを採用する「T4(HNP10)」が販売開始された。
内容としてはシャシーこそは一か月先に販売開始されたサニー(B13系)に近いが足回りにはR32系スカイラインをはじめにZ32系フェアレディZと同様でFF車としては世界初で数が少ないフロントマルチリンクが採用され後輪にはパラレルリンクストラットの独立サスペンションを採用、欧州車同様に前後衝撃吸収性とキャビン剛性を高めたボディ構造、オールアルミブロックで10万キロまでに交換が必要なタイミングベルトではなくタイミングチェーンが採用されたHP10型車には専用チューンが行われたハイオクガソリン指定のSR20DE型とP10型車にはレギュラーガソリン指定のSR18Diと言う2種類のSRエンジンが搭載、コンパクトなボディでありながらキャビン大きくしたキャビンフォワードレイアウト、Cd値0.29を実現したスーパーフラッシュサーフェスボディが採用された。
当時の西ドイツ・フォルクスワーゲンAG・サンタナ(Ⅿ30系)を日産自動車座間工場(一部のみ閉鎖後間事業所として存続 その他敷地はイオンモールに売却後、イオンモール座間として開業)でノックダウン生産を行ったノウハウが当時日産が開発スローガンとしていた「901活動」と同時に走る曲がる止まるの基本性能がボディ・シャシー性能に生かされ、他の日本ブランド車とは違う走りが欧州では評価され欧州カーオブザイヤー2位を受賞、その後発売のR10系プレセアなどの4ドアピラードハードトップがメインだった日本市場でも最小回転の大きを指摘する声もあったが雑誌などで高く評価されバブル崩壊期の日産とRVブームの時期でも高いセールスを記録してプレスドアセダンがインフィニティ・J30として海外に投入されたJY32系レパードJ.フェリー同様にNDI(日産デザインインターナショナル)によるリヤデザインが不評だったU13系ブルーバードを超える人気を獲得、欧州では「カリーナe」として販売された10代目トヨタコロナ(T190系)をはじめに4ドアクーペが「323F(BA系)」として欧州で販売されたマツダランティス(CBA系)などの日系メーカーをはじめとする欧州戦略のCDセグメントカーがP10系プリメーラの影響を受けたと言われて当時の国内メーカーの法人向けを除くセダンでも5年6か月の長いモデルサイクルとなった。
1991年4月に当時のプリンス店と事実上の4チャネル化より一部地域に残るチェリー店だけではなくサニー店(プリンス店と販売車種統合後レッドステージ化と同時に登記上会社名をサティオに変更 現在はブルーステージと販売車種統合化によりレッド&ブルーと同様の1チャネル制に移行)でも販売開始、5月には欧州カーオブザイヤー2位をはじめに欧州各賞受賞記念で専用ボディカラーを用意する特別仕様車のTe-r(HP10)を限定販売、10月には英国製5ドアハッチバックセダンe-GT (FHP10)を輸入販売開始、国内生産のHP/HNP10型2.0にメーカーオプション設定または標準装備される2チャンネルABSとは異なり4チャンネルABSが採用され多くの部品に海外製を使用、同時に前期Ⅱ型への一部改良により前後衝撃吸収性とキャビン剛性を高めたボディ構造後席右左ELR3点式シートベルト全車標準装備だけではなく国内生産仕様にもサイドドアビームをはじめにはハイマウントストップランプを標準装備化。
平成3年度導入の私服用セダン型無線車(1.8級)を日産自動車が落札、ベーシックグレードの前期Ⅱ型1.8Cu(P10)ベースの捜査車両を47都道府県警察に導入、ディーラーオプションのオートエアコンが装着されていてサイレンアンプと脱着式警光灯を装着する覆面パトカー用途への導入が大半だった。
個人タクシーとしても一部地域で使用されようようになった。
1992年9月には英国製5ドアハッチバックセダンe-GT (FHP10)を除き中期型へ全車マイナーチェンジを実施、足周りが低速でも固すぎたことにより一部を除くHP/HNP10型2.0車にフルフレックスショックアブソーバーの採用とHP/HNP10型2.0車のAT車の電子制御化をはじめにP10型1.8車に搭載されるSR1.8エンジンをEGI採用の「SR18DE」に移行、衝撃吸収ステアリングパッドの標準化をはじめに運転席SRSエアバッグのメーカーオプション設定とP10型1.8車へのABSのメーカーオプション設定を行う安全装備の充実化、内外装の変更と同時に一部を除くFF車へも後席調節式ヘッドレストをはじめにトランクスルーとセンターアームレストを採用、一部グレードへのLセレクションとレザーセレクションのオプション設定が行われた。
1993年には1月と11月に「日産60周年記念車」の発売をはじめに5月にエアコンの冷媒を代替フロンへの変更や8月に中期Ⅱ型への一部改良と同時にコストダウンの実施が行われた。
1994年には2月に英国製5ドアハッチバックセダンe-GT (FHP10)を国内製4ドアセダン同様にマイナーチェンジをはじめに9月には2月に英国製5ドアハッチバックセダンe-GT (FHP10)を除き運転席SRSエアバッグの標準装備化と助手席を含めたデュアルエアバッグのメーカーオプション設定と言った安全のより一層の充実をはじめに内外装各種装備などのコストダウンを行う後期型へのマイナーチェンジを実施、11月には「全日本ツーリングカー選手権(JTCC)」出場を記念して日産自動車系特装車メーカー「オーテックジャパン」がHP10型2.0TeベースにSR20DE型エンジンへのチューニングを行い180馬力への引き上げと同時に欧州仕様グリルと大型リアスポイラーとエアロが装着されたオーテックバージョン(HP10改)を発売。
1995年には英国製5ドアハッチバックセダン (FHP10)を国内製4ドアセダン同様に後期型へマイナーチェンジ同時にHP10型2.0Tmに相当する SLX(FHP10)と国内生産4ドアにはSV(P10)を追加、6月には5ドアハッチバックセダン (FHP10)を円高還元で値下げ、8月には9月にはP11系へフルモデルチェンジする関係から初代P10系の国内向け4ドアの生産が終了した。
その後、プリメーラはP11系へフルモデルチェンジを行い経営危機でありながら再び車種拡大を行っていたことからインフィニティG20仕様のフロントマスクのサニー店専売で平成に蘇ったスタンザと評された「カミノ」の発売とアテーサ4WD(HNP11)を除きマルチリンクと言いながら車軸懸架の「マルチリンクビーム」採用により国内ではWP10系ワゴンを発売してもミニバンブームにより販売が低迷、欧州では引き続き好評だった、3ナンバーサイズへ移行した最終世代のP12系は独創的なデザインと「ITドライビング」と言われる独特なインターフェイスが話題になったがさらなる販売の低迷が続き2005年12月にその後のレッドステージとブルーステージの事実上の統合による1チャネル制の日産国内販売網への移行へつながる全店全車種販売制による販売低迷と平成18年以降生産の保安基準に適合しないことにより生産終了、2008年にはルノー・日産の役割分担による選択と集中により英国日産自動車製造サンダーランド工場で生産される欧州仕様も生産終了となった。
個人的には当時の日産はバブル期でも販売網の一部地域を除く統廃合と同時に車種削減と複数チャネル併売化を進めていた関係から無理と言えますがP11系P10系の頃からW10系アベニールベースのプリメーラワゴンではなくP10系プリメーラベースで発売されていればいいと思うことでサードパーティーによる乗せ換え例はありましたがT4(HNP10)にSR20DETを搭載した仕様が純正で用意されていればキャビンフォワードによる狭いエンジンルームと言うことから狭いエンジンルームでありながらWRC(世界ラリー選手権)に出場するために230馬力に出力を上げたSR20DET型2.0直4DOHCインタークーラーターボを搭載した「パルサーGTi-R(RNN14)」同様に冷却効率に手間取ったと言えます。
代表取締役社長兼CEO(最高経営責任者)をはじめに会長兼CEO(最高経営責任者)を務め金融商品取引法違反と会社法の特別背任罪により逮捕・起訴され、出入国管理法違反容疑により再び再び逮捕状が出ているカルロス・ゴーン容疑者逮捕後、日産ブランドは「セダン拡充宣言」と言って北米と中国では再びセダンに力を入れるようになって日本国内でも北米では「セントラ」、中国では「シルフィ」として販売されるサニー系統の型式を受け継ぐB18系シルフィの国内販売が来年度に予定されているがプリメーラ系統を受け継ぐセダンは東欧を除く欧州での日産ブランドでのセダンの販売撤退から年数を経過していることから実現しずらいと言えます。
どっかの人間のように「5ナンバーセダンを復活しろ!」と言う無謀なことは言いませんが個人的には次期レヴォーグ(VN系 仮型式)の対抗車としてP30系プリメーラワゴン(仮称 仮型式)を次期エクストレイルベース(T33系)で発売すれば新しい日産ファンだけではなく旧来の日産ファンもユーザーとして取り戻せると言えます。
今回の画像については本日に発表(発売は2月19日)から30周年を経過した日産プリメーラ(P10系)を特集します。
1枚目の画像についてはP10系プリメーラでも1990年10月発売(海外では1991年発売)の「アテーサ4WD」採用の4WDモデル「T4」で1994年9月のマイナーチェンジにより助手席を含めたSRSエアバッグの標準化と同時にデュアルSRSエアバッグのメーカーオプション設定が行われ、コストダウンが行われた日産プリメーラ2.0T4後期最終型(HNP10)です。

2枚目の画像については同じくP10系プリメーラでも1990年10月から英国日産自動車製造サンダーランド工場で生産が開始された5ドアハッチバックセダンで1991年10月の前期2型と言われた一部改良と同時に日本国内に正規輸入販売された日産プリメーラ2.0e-GT前期型(FHP10)です。

Posted at 2020/02/01 17:05:03 | コメント(0) | トラックバック(0) | 90年代の車 | クルマ
2019年12月09日 イイね!

今年の総括 (90年代の車)

今年の総括 (90年代の車)今年の総括、第三回目は90年代の車です。
今年も1990年代の車を多く見かけましたが4月30日の元号が「平成」のうちと元号が令和に変わってからは「悪夢の10月」と令和恐慌の始まりの言われた10月1日からの消費税10%化のスタート前に残存車の一部の買い替えが進み、平成終焉期の4月に発生した元通産省官僚(現 経済産業省)飯塚幸三院長が運転する自動車により2人が死亡・10人が負傷する東池袋自動車暴走死傷事故が発生、それにより高齢者の運転問題が大きくクローズアップされ高齢者の運転免許返納が大きく進み、その影響から古いクルマを見る機会が少なくなりました。
中古車の台数についても昨年同様に初年登録25年以上であればアメリカへの輸出が緩和されることからスポーツカーを中心に値上げが進んでいてほとんど解体されてエコカー補助金開始以前でも市場に出回らなかった一部の実用車が「応談」という形で市場に出るケースもあるようですが昨年に比べて少なく「悪夢の10月」と言われる消費税10%化後は沈静化が進んだと言えます。
「悪夢の10月」と令和恐慌の始まりの言われた10月1日からの消費税10%化と同時にそれまで行われていた自動車取得税廃止による燃費によってナンバー取得時の消費税以外の税金を課税する「環境割」の導入と10月以降の普通乗用新車から自動車税の減税など自動車関連税制改革が行われましたが来年からは高齢ユーザーに対する「サポカー」と言われる衝突回避やアクセルとブレーキの踏み間違えによる誤発進を防ぐ運転支援装置搭載した安全アシスト装置付き新車に対する補助金が行われると思われることと高齢ユーザーの引退が進むことからより少なくなっていくと言えます。
まだ確定はしていませんが自動車の前車検時と次車検時の走行距離によって行われる予定の「走行課税」の導入も検討されていることから初年登録13年以前の既存車両と13年以上の既存車両の課税格差を減らすことが今後の課題といえます。
本文と関係ない話ですが。 来年度以降からから2009年4月からのエコカー減税により自動車取得税・重量税新車登録時に100%免税とされていた平成21年排出ガス規制適合クリーンディーゼル乗用車(LDA‐)が初年登録から12年を経過することによりクリーンディーゼル乗用車に対しても従来型ディーゼル乗用車もしくはディーゼル商用車・特殊車両同様に初年登録11年以降の自動車税重課が適用されるのかハイブリッド車同様に自動車税重課適用除外対象にされるのかどのような扱いにされるのか今後を見守っていきたいと思います。
今回の画像は発売20周年の1999年(平成11年)1月から12月に発売した車を特集します。
1枚目の画像については1999年6月に日産自動車から発売した長年続く高級サルーン「セドリック・グロリア」の最終世代でセドリックとしては10代目モデル(グロリアはプリンス自動車から数えて11代目)でセドリックはブロアムシリーズを引き継ぐラグジュアリー志向、グロリアがグランツーリスモシリーズを引き継ぐスポーツ志向に変化と同時にFRNA車には「NEO-Di」と言われる平成12年排出ガス規制適合のVQ直噴エンジン搭載と平成12年排出ガス規制適合のVQ30DET搭載車(HY34)の一部には(11月発売)FR車では世界初でベルトを要しないかわりに二つのディスクにパワーローラーを押し当てて駆動する「エクストロイドCVT」と言われるトロイダル式無段変速機を搭載することが話題になった日産セドリック(MY34前期型250LVと思われる)です。

2枚目の画像については1999年6月に日産自動車から発売したワンボックスミニバン「セレナ」の第2世代目モデルで初代C23系のC22系バネットベースの縦置きFRベースのMRからM&SプラットフォームのFFに移行と同時にデュアルスライドドアとハイパーCVTが採用された日産セレナJ Vパック4WD標準ルーフ前期型(PNC24)です。

3枚目の画像については1999年9月にトヨタ自動車から発売した伝統のある高級車「クラウン」の直6最終世代となる11代目モデルでJZS160系アリストから採用されるエンジンの後退化と同時に燃料タンクをシート下に収め重量配分を適正化した新世代FRプラットフォーム採用とパーソナルモデルであっても同時に5代目から長年続いたサッシュレスドアのピラードハードトップからピラードハードトップから受け継ぐスタイリッシュなサッシュ付きセダンに移行と同時にラグジュアリーなロイヤルシリーズをはじめにプレステージモデルのマジェスタと新たにスポーツモデルのアスリート用意された1JZ‐GTE型を搭載するハイパワーモデルのトヨタクラウンアスリートV前期型(JZS171)です。

4枚目の画像については1999年にイタリアアルファロメオSAがアルファロメオのフラッグシップサルーン「164(164系)」の後継車として発表・発売、日本では1999年9月からフィアットオートジャパン(現 FCAジャパン)により輸入販売が開始されたアルファロメオ1663.0V624Vスポルトロニック(936A11 2002年モデルと思われる)です。

5枚目の画像については1998年4月のニューヨーク国際オートショーにより北米フォード・モーターの高級車ブランド「リンカーン」のEセグメントエントリーモデルとして発表、発売当時はフォード・モーター傘下だったイギリス・ジャガーのEセグメントサルーン「Sタイプ(J01系)」とプラットフォームを共有モデルとして1999年4月に北米で発売され、日本では1999年10月からフォード自動車日本と旧オートラマのフォードセールスジャパンの業務を継承する米国・フォード・モーターの100%出資の米国法に基づく直轄子会社「フォード・ジャパン・リミテッド」により(撤退済み VTホールディングス傘下のピーシーアイがフォード・サービス・ジャパンとしてアフターサービスを実施)V8(1LNAM87)とV6(1LNSM86)右ハンドルのみの輸入販売が開始されたリンカーンLS3.0V6(1LNSM86)です。
1999年発売の車については安全性だけではなく平成12年(2000年)10月以降の新型車(継続生産車と国内メーカーを含めた海外生産車は2002年9月以降 GH規制 低排出ガス認定車はTA/LA/UA規制)に義務化される「平成12年排出ガス規制」により平成12年排出ガス規制前倒しクリアをはじめに当時の直噴はリーンバーン方式ということで超低排出ガス規制対応により一時的に廃れたがその後ストイキ化よりに現在では一般化したエンジンの直噴化と変速ショックのなさから今でも違和感を持つドライバーも多いCVTの採用、より全高が高くなり、コンパクトカーの発売が多かったことに後席中央部の3点式シートベルト・独立式ヘッドレストはまだ一般化は進みませんでしたがこの年に発売された排ガス規制は適合できて5年以上のモデルサイクルに移行したモデルも多かったがマーケットの変化によりこの世代を最後にモデルサイクルを終えた車も多かったと言えます。
1999年1月から12月の日産自動車については1998年同様に積極的に新車をリリースしていてBNR34型スカイラインGT‐Rはシャシーの進化により2世代目GT‐R第一世代目のBNR32型を超える速さと走りだったがサイズの大型化により不評を買ったBNCR33に比べてダウンサイジングとさらにすべてを進化させて人気となりましたが思ったほど先代以上に販売登録台数が増えず、平成12年排出ガス規制により2002年8月に生産中止、S15型シルビアは3ナンバー化によりドリフト族などの走り屋から不評を買い継続生産中のRPS13型180SXに人気が流れたS14系とは異なり大ヒット作のS13/RS13系シルビア・180SX同様の5ナンバーに回帰して人気が上がったが若者向け人気車種がミニバンやSUV、ステーションワゴンのスポーツモデルに移行して販売登録台数に伸び悩み平成12年排出ガス規制により2002年8月に生産中止、Y34系セドリック・グロリアについては秋からスタートする「ブルーステージ・レッドステージ・レッド&ブルー」という販売会社チャネル三系統化(現在は全車種取り扱いの1チャネル制)に合わせてセドリックはブロアムシリーズを引き継ぐラグジュアリー志向、グロリアがグランツーリスモシリーズを引き継ぐスポーツ志向に変化しましたがVQ30DET搭載車(HY34)の一部にはFR車では世界初のCVTでベルトを要しないかわりに二つのディスクにパワーローラーを押し当てて駆動する「エクストロイドCVT」と言われるトロイダル式無段変速機を搭載することが話題になったが従来と異なるラインナップで客を戸惑わせ改良と特別仕様車を投入したがそれでも低迷によりセドグロはY34系でフェードアウト2004年にフーガ(Y50系)に移行、C24系セレナについては初代C23系のC22系バネットベースの縦置きFRベースのMRからM&SプラットフォームのFFに移行、初期のころはRF1/2型ステップワゴンに比べればハイパーCVTの不具合の多さから低迷したが後期はエンジンを入れ替えるビッグマイナーチェンジによりにC25系以降のミニバンナンバー1昇進するくらいに販売を伸ばした、Y11系ウイングロードは初期型はサニーカリフォルニアのビッグマイナーチェンジ版だった先代のY10系同様にライトバン仕様のADバンに外見が変わらなかったことにより低迷したが2001年11月発売の後期型はビッグマイナーチェンジにより販売を伸ばし、U30系プレサージュのレッドステージ版のJU30系バサラはベースになったU30系プレサージュ同様に販売の低迷が続いた。
特に日産自動車問題については世界的タイヤメーカー「ミシュラン」出身でその後に日産自動車の親会社となったルノーSAにヘッドハンティングされ1990年代後半の日産自動車経営危機時にルノーとの資本提携を行いアライアンスを締結、その数か月後に日産の代表取締役社長兼CEO(最高経営責任者)をはじめに会長兼CEO(最高経営責任者)を務め金融商品取引法違反と会社法の特別背任罪により逮捕・起訴されたことにより経営陣から解任された現在保釈中のカルロス・ゴーン被告がCOO(最高執行責任者)として就任、世界的に工場等の事業所閉鎖をはじめに車種や販売網の削減を行う「日産リバイバルプラン」を実行しました。

Posted at 2019/12/09 11:00:12 | コメント(0) | トラックバック(0) | 90年代の車 | クルマ
2019年11月08日 イイね!

G50系インフィニティQ45の発売から30周年 その後の日産フラッグシップサルーンの迷走

G50系インフィニティQ45の発売から30周年 その後の日産フラッグシップサルーンの迷走本日で日産自動車から北米日産をはじめとする当時の西ドイツのダイムラー・ベンツ(その後のダイムラー・クライスラー ダイムラーAG ダイムラーHD・メルセデス・ベンツ)の主力ブランド「メルセデス・ベンツ」をはじめにBMWや同時期に参入したトヨタ自動車のレクサス、日本メーカーのプレミアムブランドとしては第一号の本田技研工業のアキュラなどに対抗する海外向けプレミアムカーブランドの「インフィニティ」のFセグメントフラッグシップサルーン「Q45(G50/HG50型国内仕様車検証上の車名欄はニッサンと表記 G50/HG50/BG50型北米仕様)」の日米同時発売(発表は10月)から本日で30年経過しました。
G50系Q45は1988年12月に初披露、1989年1月のデトロイトモーターショーで披露され、6月北米でインフィニティのブランド発表と同時に1990年モデルとしてG50系Q45を発表、10月に国内仕様車発表、11月には日米同時発売されました。
内容としてはQ45と一目でわかるグリルレスのフロントマスクをはじめにスペック面では自然吸気でありながら280馬力を実現したVH45DE型V84.5エンジンが全車に搭載と同時にR32系スカイラインをはじめにZ32系フェアレディZと同様の4輪マルチリンクサスペンションと専用開発の新世代FRシャシーと前後の衝撃吸収性と剛性を高めたインナーサッシュドアと極太Bピラーを備えたボディが採用され、3チャンネル4WAS搭載の4輪ベンチレーテッドディスクブレーキ、HG50型車の足回りには4輪マルチリンクサスペンションにコイルバネを使用しない油圧アクティブサスペンションを採用、北米仕様のQ45tにはスーパーHICASが採用、漆塗りのKOKONインストメーカーオプション設定、ディーラーオプションでは18金製のゴールドキーも用意された。
同時期に参入したレクサスのFセグメントフラッグシップサルーン「レクサスLS400(UCF10/11型 日本ではセルシオとして販売 40系からレクサスの日本展開によりレクサスLSシリーズとして販売)」に比べて開発期間が短いことにより熟成されていないことが指摘され販売面では大きく水を上げられ低迷が続いたと言えます。
1990年にプレジデントがG50系ベースの3代目JHG50/JG50系にフルモデルチェンジ同時にサイドドアビームの標準化とをはじめにV‐TCS(ビスカスデフ付きトラクションコントロール TCS装着車はABSは4チャンネル式と思われる)のメーカーオプション設定するなど安全性の充実。
1991年にホシノインパルから後付け用グリルが発売。
1992年2月にプレジデントにQ45と同一ホイールベースのプレジデントJS(PG/PHG50型)が発売。
1993年6月にはビッグマイナーチェンジを実施、フロントグリルの装着をはじめにボディカラーをはじめに本木目パネルの新採用など内外装の変更や前席プリテンショナーシートベルトの標準化と助手席SRSエアバッグのメーカーオプション設定、「IVMS」という多重通信ネットワークシステムの採用、グレードをタイプR(G50型コイルサス)とタイプV(G50型コイルサス HG50型油圧アクティブサスペンション 後席装備充実のGパッケージを設定)に変更、海外仕様も1994年モデルに一新。
1994年10月に一部改良、4インチAVシステムを新設定。
1995年に一部改良、ボディカラーの一新。
1996年に北米仕様が生産終了、1997年モデルからFY33系シーマベースにフルモデルチェンジ。
1997年8月に生産終了、兄弟車のプレジデント(JHG50/JG50型)・プレジデントJS(PG/PHG50型)は2002年夏まで継続生産。
G50系インフィニティQ45の失敗はグリルレスのフロントマスクと分かりにくい高級感と言われますがUCF10/11型セルシオに比べて税制面ではワンランク上のVH45DE型V84.5エンジンと高額な交換費が必要な油圧アクティブサスペンションが一番の理由で後期型はグリル装着でマイナーチェンジ初年度の新車登録台数は少し増えたが日産の経営危機による改良時のコストダウンと発売から5年以上経過したことにより古さが隠せなくなったこともあって前期型以上に末期は低迷が続いていたようです。

セドグロから発展するシーマについてもFY31系セドリック・グロリアシーマのころはハイパワーに対してピラーレスハードトップでボディ剛性の低さとセミトレーリングサスペンションの限界能力の低さが指摘されも「シーマ現象」と言われるくらい大ヒットしたがプレスドアのセダンに転換した2代目のFY32系をはじめに3代目のFY33系はFY32系の途中から3.0V6DOHCターボ(FPY32型VG30DET型エンジンを搭載 FHY33型VQ30DET型エンジンを搭載)が用意してもVH41DE型V84.1エンジンをメインにすることからV8でも税制面では有利の1UZ-FE型エンジンを搭載する歴代セルシオをはじめにクラウンマジェスタに水を上げられいて、F50系もUCF30/31型セルシオに見劣りする部分が多く、今年度で販売終了の報道が出ているショーファードリブンに徹したHGY51型は大きく苦戦を余儀なくされているようです。
セドグロもY33系まではVIPカーとして根強いファンも多く、Y32系前期ではリヤのテールランプが不評だった140系クラウンロイヤルを超える新車登録台数となったがY34系は話題になっても人気が低迷、「インフィニティⅯ」としてグローバル展開される後継車のフーガもY50系の頃はまだ人気があったが今月で発売から10年経過して現在ではインフィニティ・Q70と同一外装に変更されていて2020年モデルから北米市場を撤退するY51系は税制面で不利なVQ37VHR型をメインすることもあって苦戦を余儀なくされています。
歴代で一貫性のないレパードについてはインフィニティ・J30として海外に投入されたJY32系J.フェリーは北米では好調でも国内ではF31系以上に苦戦を余儀なくされ、最終世代のJY33系は特徴が無さすぎることから1999年に生産を終了した。
G50系インフィニティQ45の失敗だけではなく多くの車種自体が一貫性がなくバブル崩壊後の経営不良をはじめにルノーとのアライアンス参加後の伝統ある車種名の変更や販売網の1チャネル化と同時にミニバンをはじめにコンパクトカーの販売強化、日本でのインフィニティチャネルの展開も予定されていたがリーマン・ショックによりお蔵入りされそれ以降から国内市場軽視によるモデルサイクルの長期化、代表取締役社長兼CEO(最高経営責任者)をはじめに会長兼CEO(最高経営責任者)を務めたカルロス・ゴーン被告の金融商品取引法違反と会社法の特別背任罪による逮捕を初めに不正報酬疑惑により代表取締役社長兼CEO(最高経営責任者)を務めた西川廣人氏の辞任などの経営陣の各種問題により長年にわたり日産のフラッグシップサルーンの迷走が続いていると言えます。
日産ブランドは「セダン拡充宣言」と言って北米と中国では再びセダンに力を入れるようですがインフィニティブランドについては対照的に日本ではフーガとして販売されるQ70(Y51系)の販売を終了して「QX55」というクロスクーペを発売してセダンは日本ではスカイラインとして販売され国内仕様は2019年7月にビッグマイナーチェンジされ日産マークに変更されたQ50(V37系)のみになるようですがインフィニティブランドは欧州から撤退すると同時に国内ではミニバンをはじめにコンパクトカーや軽自動車、電気自動車の販売に力を入れているだけにだけにQX55の国内向け正規販売は現状では期待できないと言えます。
今回の画像は日産のフラッグシップサルーンの画像を特集します。
1枚目の画像については1989年に発売された海外ではインフィニティブランドのフラッグシップで、日産のパーソナル向けフラッグシップサルーンとして国内向けが発売され、1993年6月から後期型が国内販売された日産インフィニティQ45(HG50後期型タイプVアクティブサスペンション装着車だと思われる)です。
2枚目の画像についてはY31系セドリック・グロリアの3ナンバーワイドボディ版として1988年1月に発売して「シーマ現象」という流行語を生みだすぐらいに大ヒット商品となった日産シーマ後期型(FPY31型セドリックシーマタイプⅠと思われる)です。
1980年代発売の車ですが発売ですが1990年以降の生産年数が長い事から今回の記事は90年代の車としてカテゴライズします。
Posted at 2019/11/08 16:55:28 | コメント(0) | トラックバック(0) | 90年代の車 | クルマ
2019年10月14日 イイね!

1990年代中半のフォードジャパン(オートラマ)簡易カタログ・パンフレット

1990年代中半のフォードジャパン(オートラマ)簡易カタログ・パンフレット今回はオークションで入手した当時の米国・フォード・モーターの日本法人・フォード自動車(日本)が輸入を行い(日本製フォード車はマツダが製造)、その後にフォードセールスジャパンに名称変更したオートラマがプロモーションとディストリビューターとフォード店(旧オートラマ店)の統括を行っていた1990年代中半のフォード車のラインナップカタログとパンフレットを特集します。
1冊目は「FORD ′96 CATALOG」です。
1FASP系トーラスが発売された1996年2月当時の北米(アメリカフォードをはじめに欧州(ヨーロッパフォード)やマツダ製の日本フォード車フォード店(旧オートラマ店)の統括とフォード車をのプロモーションとディストリビューターを行うオートラマが取り扱うフォード全車種が記載されているラインナップカタログです。
2冊目はWF0系モンデオ発売前ティザーカタログです。
1993年に欧州で4ドアセダン・5ドアセダンと5ドアステーションワゴン発売され、日本では1994年6月にステーションワゴンとセダンの輸入販売開始されたDセグメントカー「モンデオ(WF0系)」が発売される前の1994年3月に発行されたと思われる先行予約用カタログで「ドイツフォードモンデオ上陸」とワゴン(WF0NNG/WF0NRK)とセダンWF0FNG/WF0FRK)が記載されている表紙から始まり、走りや使い勝手をはじめにセーフティゲージボディとデュアルSRSエアバッグ、プリテンショナーシートベルト言ったパッシブセーフティや4W‐ABSといったアクティブセーフティとアフターサービス網の充実が他メーカー車種との比較とスペックや価格、諸費用、オプションパーツが記載されました。
3冊目は米国製輸入フォード車のラインナップカタログです。
「新しいフォード伝説。」とエクスプローラー(FMUX4)の表紙から始まって、トラス(FA5)の安全性とユーリティー、スペック概要表とスペック概要表の説明、エクスプローラー(FMUX4)の安全性とユーリティの説明、国内外のライバルクロカンRVのスペック比較、プローブ(1ZVTB)の紹介が掲載されていました。
1990年代中半は日本国内におけるフォード・ビジネスに戦後では最も力を入れていた時代で円高を背景にチャネル名をオートラマ店からフォード店への変更と同時に海外製輸入フォード車低価格の低価格化を行い同時にマツダ(現在では資本関係解消)とのアライアンスを生かし右ハンドル車を積極的に投入するなど日本向け車種を販売していたが1999年にフォード自動車(日本)とフォードセールスジャパンの業務を引き継ぐ、米国・フォード・モーターの100%出資の米国法に基づく直轄子会社フォード・ジャパン・リミテッド(FJL)への移行と同時にディーラー運営会社とのフランチャイズ契約解除による店舗網縮小により日本向け右ハンドルも用意されていたが2002年にエスケープ(EP末尾F系)を除くマツダ製フォード車の販売終了以降から大幅に縮小された。
VTホールディングス傘下のピーシーアイの「フォード・サービス・ジャパン」によりアフターサービスこそは継続されていますが個人的にはフォード・モーターの日本事業(フォード・ジャパン・リミテッド)が撤退する報道を聞いたには残念と思いましたが今月からスタートした「悪夢の10月」と言われる消費税10%を考えれば3年2週間前の2016年9月30日をもって日本市場撤退を行ったことは仕方がないと言えます。
今回の画像については1990年代中半のフォード日本向けラインナップ・ティザーカタログ3冊です。
Posted at 2019/10/14 19:10:15 | コメント(0) | トラックバック(0) | 90年代の車 | クルマ
2019年08月28日 イイね!

エコカー補助金から10年 残ったクルマと少なくなったクルマ

エコカー補助金から10年 残ったクルマと少なくなったクルマ第45回衆議院選挙により自由民主党と連立を組む公明党が歴史的大敗により発足した民主党政権発足から今月で10年と言うことで同時期に経済政策として行われた2009年4月から2010年3月と2010年4月から9月に行われた第一期エコカー補助金後に現在では限りなく少なくなったが補助金政策から数年後に残ったクルマと補助金政策により少なくなったクルマを特集します。
エコカー補助金については平成21年度一次補正予算により排出ガスと平成22年度以降の燃費基準基準を満たした車とクリーンディーゼルや電気自動車などの次世代自動車に適用されるエコカー減税と同時に実行され平成21年4月以降の新車登録・検査付き届出車の車検証上使用者が受給申請対象者となりました。
乗用登録の場合は新車ナンバー取得からガソリン普通車では当時自動車税が10%増税対象となった13年以上経過した車を「スクラップ・インセンティブ」と言われる下取り永久抹消廃車にして燃費基準基準を満たした新車に乗り換えた使用者が受給対象の25万円(軽自動車は12万5千円)とそれ以外の使用者が受給対象の10万円(軽自動車は5万円)がありました。
それにより2009年5月にトヨタ自動車が発売した普通新車№1となった3ナンバーハイブリッドカー「3代目プリウス(ZVW30)」が予想以上の大ヒットとなって注文から登録・納車まで1年近くかかることも多かったようです。
平成21年(2009年)8月30日に行われた第45回衆議院選挙により自由民主党と連立を組む公明党が歴史的大敗により政権が民主党となってからも第一期エコカー補助金が継続され平成22年度に移行した2010年4月から9月までエコカー補助金が継続されましたが予算満了から早期終了になりました。
その後も東日本大震災時の経済施策として平成24年度にも2012年4月から9月までまで第二期のエコカー補助金が行われましたが支給対象が厳格化されスクラップ・インセンティブを行わない10万円(軽自動車は5万円)のみでした。
それにより「平成9年式」と言われる1997年12月以前に新車ナンバー取得をしたクルマから燃費基準基準を満たした新車に乗り換えた使用者が25万円(軽自動車は12万5千円)の受給対象でそれにより下取り永久抹消廃車となり「平成9年式」と言われる1997年12月以前に新車ナンバー取得でも量販実用車のように極端に少なくなったクルマもあればスポーツカーやRV車のようにその後も比較的残っているクルマもあるようです。
今回の画像は新車ナンバー取得から13年以上経過した車を「スクラップ・インセンティブ」と言われる下取り永久抹消廃車にして燃費基準基準を満たした新車に乗り換えた使用者が25万円(軽自動車は12万5千円)の支給対象となった「平成9年式」と言われる1997年12月以前に発売した1990年代の少なくなったクルマと残ったクルマの画像を特集します。

1枚目と2枚目は補助金政策により個人的に少なくなったと思うクルマ 1枚目は日産グロリアV30ツインカムターボ グランツーリスモアルティマ後期型(PBY32) 2枚目はホンダアコードワゴン2.2Vi前期型(CE1)です。


3枚目と4枚目は補助金政策後も個人的に残ったと思うクルマ 3枚目はトヨタマークⅡツアラーV前期型(JZX90) 4枚目はマツダランティス4ドアハードトップクーペ2.0V6タイプR(CBAEP前期Ⅰ型)です。
今年の10月1日から実施される消費税10%化後の経済政策としてクリーンディーゼル車やプラグインハイブリッド車に現在行われているクリーンエネルギー自動車導入事業費補助金だけではなく衝突回避やアクセルとブレーキの踏み間違えによる誤発進を防ぐ運転支援装置を搭載した2020年(令和2年)以降の燃費基準適合車やクリーンエネルギー車に対する補助金を行う経済界で提案もあったようですが現段階では不明です。
Posted at 2019/08/28 21:42:35 | コメント(0) | トラックバック(0) | 90年代の車 | クルマ

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