2022年08月28日
BARには色んな方が来られる。
暇だったので、表のテーブルに、
座っていたら、何のためらいも無く、
両手が付け根から無い方が、
「えっ、何か?」
「やってますか?」
こちらが、戸惑ってしまった。
どうするんだろうと、
思いながら、オーダーを聞いた。
すると、足を器用に使って、
ウイスキーを飲まれている。
すると「灰皿良いですか?」
えっ!、いや良いですけど、
タバコを吸うのか?
と、見ていたら、片方の足でタバコを掴み、
もう一つの足で、ジッポーに火を付けた。
いや、驚いた。完全に手である。
聞くと、生まれつきなので、
殆んどの事は、足で出来るそうだ。
色々とウイスキーを覚えたいと、
熱心に話を聞かれていた。
私には、両手も、両足もある。
老眼が少しきつくなったが、
それが、どうした。
泣きごとを言う資格も無い、
凄いパワーを貰った気がした。
感謝である。もっともっと、
頑張らねばと、何かが燃え始めた・・・
Posted at 2022/08/28 00:30:01 | |
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BAR | 日記
2022年08月26日

まあ、色々とあった元首相、森友問題等と、
この本をお書きになった。相澤冬樹氏は、
ジャーナリストである。私に従弟の知人で、
一緒に、二度飲みに来られた。
年齢も同じ歳、今日、ニュースで、元首相の、
国葬の賛否を、道行く人に尋ねていたが、
まあ、私の立場で、どうのこうのは、
言えないが、無念な死は確かだろう、
しかし、やるなら、同じような失態は、
絶対に避けるべきである。
又、何かが起きそうで、
心配である・・・
Posted at 2022/08/27 01:07:47 | |
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時事ネタ | 日記
2022年08月26日

少しづつだが、前には進んでいるのだが、
失敗の連続、挙句熱中症になった。
元来、私は不器用なので、
仕方が無いのだが、最近、父を良く思い出す。
父は、私の父なのかと思うぐらい、
器用な人だった。いや、器用を遥かに越えていた。
父は、町の電気店を営んでいた。
私が、幼い時はシャープさんの、
販売店だったが、それ以前は、
まだ、メーカーの量産品等は、
殆どなく、今では考えられないが、
一から、TVやラジオ、ステレオを組み立てる。
まず、図面を買う、そして、部品を揃え、
バルサ材を重ね、枠を作る。
完全な手作りTV、ラジオ、ステレオ、
これが、良く売れたようだ。
と、父の自慢は、無敗神話、
修理で直せなかった物が無いと言う、
直るまで、何度でも通っていた。
問屋さんの社長さんにも、
「修理の神様」と、呼ばれていたぐらいだ。
私なら、すぐに諦めてしまうだろう、
恐ろしいのは、出店で、
針金で作った輪ゴムの銃を売っていたので、
欲しいと言ったら、待ってろと言って、
小一時間程して帰って来たら、
針金を取り出し、同じ物を作った。
までは、良かったのだが、
職人魂に火が付いたのか、
自分でアレンジし、どんどん、凄い物を作り出し、
最後は、輪ゴムの8連発のガトリング銃まで、
行きついてしまった。
かなり大きな物だった記憶がある。
錆びた鉄の破片を2つ持って帰り、
その二つを、ただひたすら磨いていた。
そして、見とけよと言うと、
その二つを重ねたら、
磁石のように、張り付いた。
子供だったので、へぇ~と言ったが、
大人になり、究極にまっ平にしないと、
そんな風にはならない事が解った。
昔の職人さんは恐るべしである。
何でも、一から作り出す。
それに比べて、修復如きで、
失敗続き、何たる体たらく、
父の足元にも及ばない、
まあ、父は、粉々に割れた。
瀬戸物の招き猫の貯金箱を、
破片を集め、ボンドとピンセットで、
数日間で、完全修復させた男なので、
比べること自体、間違っているのだろう、
私は、私なりに頑張ろう(笑)
Posted at 2022/08/26 16:27:50 | |
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思い出 | 日記
2022年08月23日

大阪港の近くの、廃墟のような駐車場の
屋上4F、隣が居ないので、
2台分自由に使わせて、
貰っているが、兎に角暑い、
土曜日に簡単な作業を2時間程した。

その日は、曇っていたので、
日陰で休まず、2時間程やり続けた。
が、妙に蒸し暑かった。
作業を終え、店に行き、
普通に仕事をして、
ご飯を食べて眠った。
明け方近く、体の震えで目が覚めた。
寒い、エアコンを切ったが寒い、
すると、猛烈な頭痛が、
と、共に息切れが、
苦しくて堪らなかった。
次は、暑い、ダラダラと汗が出た。
いや、又、寒い、震え出した。
自律神経が、完全に不安定になっている。
まさか、熱中症とは解らず、
コロナに感染したかと、
しかし、息が苦しい、酸素を吸えてないような、
救急車を呼ぼうかと思ったが、
フラフラになりながら、
自販機で、ポカリスエットを2本買い、
がぶ飲みした。
と、鎮痛剤も飲んだ。
少しはマシになったが、
今度は、起き上がれなくなった。
その日は、店を休んだ。
起きれるようになったのは、
次の日の、昼頃だったが、
筋肉は痛い、関節は痛い、
まっすぐ歩けない、
後遺症が残ったようだ。
なので、次の日も店を休んだ。
大反省である。
自分で出来る簡単な事は、
別にして、時間が掛かるような事は、
車屋さんにも依頼しないと、
安く上げる事で、逆に損をする事になる。
しかし、この関節痛や筋肉の痛み、
頭痛は、いつまで続くのか。
不安である。
皆様もお気を付けて下さい!
Posted at 2022/08/23 02:11:00 | |
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雑記 | 日記
2022年08月17日

8月15日 終戦記念日 戦後77年、
Hondaのディーラーから、
数十メートルの場所にある。
大阪は護国神社に行って来た。
終戦記念日なので、
人も多く、賑やかな雰囲気だった。
言っておくが、私には右やら左やらと言う、
思想の欠片も無い、
ブログでも、少し戦争の事を書くと、
コメント欄に、左の槍や、
右の剣が飛んでくるが、
ご苦労さんとしか言いようがない、

ただ、この神社は大晦日から、
元旦になれば、父のHonda CB450の、
後ろに乗せられ、初詣で何度も来た場所、
昭和40年前半、まだまだ戦争と言う物の、
認識が、今とは違う時代、
境内は真っ暗、裸電球がポツンと、
灯っていた。子供だったので、ほぼ恐怖体験に近い、
TVでは、この神社の近くにある。
住吉大社では、多く参拝者や、
出店などが並び、大賑わいの映像が流れていたが、
ここは、誰もいない・・・
父は、巷では弱いと揶揄されていた。
「またも負けたか八連隊」
その大阪八連隊に所属していた。
父曰く、弱いのではなく、
大阪人が多いので、損得勘定が、
働き、損してまでは戦わなかったからだと、
出征先は満州なので、南方に比べれば、
飢餓に苦しむ事は少なく、
帰って来る事が出来たが、
それでも、帰れなかった戦友も居た。
助けようにも、助けられなかったと、
その父も95歳まで生きたが、
数年前に他界した。
真っ暗な境内で「なんで、こんなとこ来るねん」
と、尋ねると「正月ぐらいは、来たらなあかんねん」
と、答えた父、今思えば、生き残ったと言う、
負い目を感じながら生きていたのだろう、

Posted at 2022/08/17 12:07:11 | |
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思い出 | 日記