
今日で10年になるのかと、
少し驚いた。光陰矢の如し、
あの日は、試飲会があり、
早くから店に来ていた。
その時に、連絡があった。
桑名さんに長く仕えていた。
友人でもある。夏吉さんからだった。
変な冗談を言う人物ではなかったので、
すぐに全てが飲み込めた。
病院を聞くと、かなり近いので、
「すぐに行きます」と、車を飛ばした。
既に、裏口には多くの報道陣が居たが、
その間を通り抜け、夏吉さんの案内で、
病室に、そこには人工呼吸器等を繫がれた。
親愛なる兄貴、桑名正博氏が、
横たわっていた。
飲んでるか、食べてるか、怒っているか、
笑っているか、歌っているか、
そんな場面しか見た事がなかった。
10数年のお付き合いの中で、
横になってる。眠っている等、
見た事が無い、それが、
最初で、最後だった。
ベットの横で、完全に放心状態となった。
すると、後ろから、車いすに乗られた。
お母様が、声を掛けてこられた。
「よう、見てあげて下さい」と、
が、金縛りにあったようになり、
全く言葉が出て来なかった。
情けない話だ・・・
2000年のオープン時から、
一時期、毎晩のように来てくれていた。
丁度、その年に、お父様の会社の整理で、
少し、音楽活動を休止されていたのと、
桑名さんの練習スタジオが近かったのと、
桑名さんがお世話になっている社長さんの、
隠れ家も店から近かったと、
色んな事が重なった為だが、
私の移転前の店は高架下で、
周りが全てコンクリートだったので、
機械を通さない、生の声が、
良く解ると、来ると、私のギターを弾き、
歌い、それが帰るまで続くのだが、
殆どが、朝方まで、一度、昼までもあった。
まあ、一緒に良く飲んだと言うか、
飲まされた。亡くなられる少し前は、
「月のあかり」というコラボ焼酎を、
飲まれていたが、その当時は、これだ。
クエルボ1800 流石にこれを、
一本飲んだ時は、店の横で倒れていて、
お腹が痛いから、目が覚めたら、
桑名さんが、ブーツで腹を蹴って、
「アホか!こんなとこで寝たら、
風邪ひくやろ!」と、怒鳴っていた。
桑名流のやさしさである。
まあ、エピソードを書けばキリが無い、
電気屋さんに、二人で買い物に行った事、
焼肉屋さんに連れて行って貰った事、
真夜中に、良く肉を買って来いと、
電話があった事、岩風呂を洗いに来てくれ等々、
中でも、B`zが京セラドームで、コンサートがあると言うと、
その場で、松本さんに電話してくれて、
私の店の宣伝をしてくれた。
この時、初めて知ったのだが、
松本さんは、桑名さんのバックバンドで、
ギターを弾いていた事があると、
暫くすると、35周年記念のアルバムの、
発売が決まり、その中で新曲があった。

15 「Dear My Friend 我が親愛なる友へ」
この曲を、私の店で熱心に練習されていた。
私は、この曲が出来上がる過程を、
ずっと、目の前で見ていた。
と、この曲、当時はまだオフレコだったが、
昔からの盟友、西城秀樹さんとの、
デュエットソングだった。
それが、正式に決まった時は、
かなり喜んでいたのだが、
その直後、秀樹さんが病気に、
その時の、悲しい表情は、
忘れられない「秀樹が倒れたんや・・・」と、
デュエットソングで発売されていたら、
かなり話題性もあったのだが、
残念である。
桑名さんと過ごした10数年と、
桑名さんが亡くなられてからの、
この10年は、私にとっては、全く違う物になった。
私と、桑名さんは10歳離れていたので、
奇しくも、今の私の歳が、
お亡くなりになった歳と同じである。
倒れられた時は、雑誌のフライーデーの、
取材は来るわ、ファンの方々も、
尋ねて来られ、大変だったが、
まあ、お通夜も参列させて頂いたが、
大変な大騒ぎだった。
10年経ったが、写真と、
愛用されていた灰皿は飾ったまま、
10年一昔と言いますが、今日ぐらいは、
少しでも思い出してあげて下さい、
親愛なる兄貴 桑名正博と言う、
偉大なミュージシャンを・・・
「Dear My Friend 我が親愛なる友へ」
Posted at 2022/10/26 00:26:48 | |
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