戦跡巡り◇体当たり勇士の碑
投稿日 : 2013年05月28日
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2012年9月30日(日) 雨/曇り/晴れ
北九州市八幡西区の『体当たり勇士の碑』に訪れました。
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『神風特別攻撃隊』誕生の二ヶ月前、昭和十九年八月二十日午後五時、真夏の太陽が西に傾きかけた頃だった。
中国四川省成都を発進したB29大型爆撃機が、高度7千メートルの対馬海上より北九州の軍需工業を攻撃目標として侵入。
下関・小月基地の陸軍第十九飛行師団・飛行第四戦隊は「敵機迫る」の情報を受け迎撃戦闘機が発進。
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北九州上空に迎撃態勢を完了した間もなく西の彼方に米空軍空の要塞といわれたB29大型爆撃機80余機が、地平線上に現われ数個梯団となって北九州を目標に来襲して来た。
B29編隊の一部は既に八幡市街に投爆を開始。
その内の一編隊が折尾上空に差掛った時、飛行第四戦隊所属の野辺重夫陸軍准尉・高木傳蔵陸軍軍曹が搭乗する二式複座戦闘機「屠龍」は敵の第二梯団長機に対し第一撃を指向。
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三十七粍砲の第一弾を発射したが撃墜には至らず、このままならば敵機は北九州に爆弾投下は必至と察知し、これまでと決意軍人精神を胸に秘め「野辺今から体当り」の一語を残し敵機のやや斜め前方より第二梯団長機を目がけまっしぐらに、自らの意思で壮烈果敢な体当りを敢行。
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一瞬彼我両機は一塊となって空中に浮かび、B29は火を噴き錐揉状態になって落下、その爆破片と火塊が後続機の別のB29の翼に触れ瞬時にして空中分解し現在の永犬丸小学校運動場あたりの谷間に激突・爆発炎上した。
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一機を以って敵機二機を葬り日本戦史を飾る、身機一体壮烈なる戦死を遂げた両名は、身をもって皇土を防衛すべく烈々たる責任観念に透徹し、その崇高なる精神と壮烈なる行動をもって皇国軍人の真面目を遺憾なく発揮し国軍の亀鑑となった。
このことは早速上聞に達し、野辺高木両友は二階級特進の栄誉に輝き、悠久の大義に殉じこの地に永眠されることとなった。
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両勇士の功績を称えて二人の愛機が落ちた墜落の地に、折尾の町民、中学生、小学生がこぞって、海岸より砂利などを運び手造りで建てたのがこの慰霊碑である。
この戦闘は空中戦だったため、その様子は多くの人に目撃され当時の映像も現存するそうです。
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毎年8月の第1日曜日には地域の自治区会の皆さんや当時の少年飛行兵の皆さんによって清掃作業が行われ、折尾神楽が慰霊奉納されています。
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