2008年03月07日
「見たことないからあり得ない」
というような主張をするなとは言わない。
しかし、類似する現象のレポート等を提示できない(レポートが存在しない)ことと、絶対に起こり得ないと言い切ることの間には、今回の場合は物理学や自動車工学といった理論がある以上は、越えなければならない壁がいくつもあるはずで、本来は断言するのを躊躇するか、因果関係を論証すべきところだ。
今回の被告人側の交通事故鑑定人は、その因果関係を述べずにそれをあっさりと言い切ってしまったところで、私は彼が被告人側の人間になりきっていることを確信している。つまり、中立的な立場からの鑑定は放棄していると言って良いと思う。
今回私は、あのスリップ痕様の軌跡が描く可能性があることを、carview掲示板の論客たちのおかげで仮説を組立て、高校物理レベルの計算式を使って証明することができた。もちろん、私はその道のプロではないので細かい計算の部分で穴はあるだろうが、物理的・数学的にあの軌跡を描く可能性の大筋は揺るがないと確信している。
あり得ないものはあり得ない、それを証明せよと言うのは、悪魔の証明だ。
そんなことを言われるかもしれないが、とりあえず、私がここで書いたことを否定することは、「あり得ない」とするための第一歩であることは間違いないだろう。つまり、理論的に間違っている箇所や数学的に間違っている箇所があれば、そこを指摘し、ストーリー全体を崩せば良いのだ。
ここでの仮説や計算結果を、新興宗教だと言われても構わないのだが、私は直接的な根拠もなく検察の物証を捏造だと主張する方がタチが悪いと思う。検察の主張が物証と理論に裏付けられているのなら、まずはその主張を論理的かつ理論的に、できれば物証を以って地道に崩さなければ、裁判では「あり得ない」ことにはならないのだから。
「幽霊は見たことがないから信じない」と言うことと、
「あのようなスリップ痕は見たことがないからあり得ない」と断言することの、どちらがまともで、論理的ですか?
Posted at 2008/03/07 01:37:01 |
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鑑定について | その他
2008年03月07日
裁判であろうとなかろうと、鑑定というものは本来、中立の立場で行うべきものであると思う。判決に影響するかどうかとは無縁の立場で行うべきだと思う。
そして、交通事故鑑定は、事故状況に対して行われるべきものであり、その根拠となる物証を最初から疑うといった鑑定は交通事故鑑定としてやることではないと、私は断言したい。
もし、根拠とする物証が怪しいと思っても、まずはその証拠を元に推論を組立て、理論的に裏付けてみる。それに対して、現実的な状況か否かを判断し、鑑定とすれば、説得力はかなりのものになるはずだ。
その推論に必要な理論と物証が矛盾すれば、背理法で証明できるというわけだ。
実際には、この事故の鑑定人は、被告人の主張に沿ってバスの急ブレーキにこだわり、テレビで見られたような実証実験を世に晒している。
何度でも言うが、あれは交通事故の鑑定ではない。他人の鑑定結果のあら探しを鑑定とは呼ばないだろう。鑑定結果の鑑定、というより、その鑑定結果を信頼するかどうかの判断は裁判官の仕事だから、被告側がやっても意味がないことは明白だ。
今回の場合、あの交通事故鑑定人が裁判やテレビ番組でやるべきだったことは、自分の立場(被告人側であること)を一旦は忘れ、本来の交通事故鑑定を行い、その結果と検察の鑑定結果との食い違いを解説し、検察の鑑定の信頼性を落とすことだったのではないのか。
Posted at 2008/03/07 01:32:40 |
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鑑定について | その他
2008年03月07日
交通事故鑑定というのは、現場検証などで得られた情報や供述を元に、事故状況を論理的に組立て、それを理論的に、ときには過去の事例や実験結果も添えて裏付けるという過程を経て、鑑定結果として仕上げるものだと思う。
それに当てはめて考えると、検察側の主張が論理的には妥当でも理論的には的を外していることは、いろんなところで実証されているのでここでは触れない。一方の被告人側について言えば、一審では科捜研の鑑定結果に対して理論的な突っ込みをほとんどしていないという失態を犯していると私は思う。
また、テレビ等でいろいろやっていたブレーキ痕の話は、その失態を取り返そうと交通事故鑑定人を雇ってやっていたことだと思うし、新たな鑑定結果が出てきたわけではないことには皆が気づくべきである。
単に、バスが走行中だったか止まっていたかだけを証明しようとしているだけであって、事故全体の鑑定や実証ではない。
結局、交通事故鑑定人でありながら、交通事故の鑑定はしていないように見えるのだが、この交通事故鑑定人は被告人にとって本当に必要で頼れる存在となったのだろうか?
Posted at 2008/03/07 01:29:24 |
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鑑定について | その他
2008年03月07日
私はここで取り上げている事故の件でテレビに出てくる被告人側の鑑定人を、テレビで見た人たちはどのように思っているのか気になる。
かの鑑定人は被告人側に付いていることによって、すでに客観的立場を放棄していることに関係者以外の人間は気づくべきであるが、それをあえてテレビ報道などでは無視している。テレビ局の担当者は演出と考えているのかもしれないが、そうなるとそれは報道ではなくワイドショーであり、テレビ局の担当者も中立的な立場にはない。
鑑定人であることを前面に出せば、なんとなく客観的な立場で事故を分析・鑑定してくれると錯覚しそうになるが、その実、テレビでやっている内容は検察側が提出している証拠などのあら探しに過ぎないことに、いったいどれくらいの人が気づいただろう。
ああいうのは本来、交通事故鑑定とは呼ばないはずであり、すでに被告人側に有利になるように証言しているに過ぎないのだが、交通事故鑑定を生業としている人がやったことであるがゆえに、もっともらしく聞こえている人は多いと思う。
交通事故鑑定を生業とされているようですが、今回の件の彼の鑑定結果はどうだったのでしょう。
Posted at 2008/03/07 01:27:38 |
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鑑定について | その他