トヨタ博物館 クルマ館
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1963年から始まった日本グランプリ。
トヨタは自己の成績に必ずしも納得してはいなかった。
クラウンやコロナなどの乗用車を生産する技術だけでは、世界に認められることは難しい。
そこで企画されたのが、世界に通用するグラン・ツーリスモ、GTカーだった。組織による総合力でクルマを生み出していく通常のプロジェクトとは違い、2000GTのプロジェクトは、少数精鋭のスタッフで行われることになった。
プロジェクトコードは、「280A」。プロジェクトリーダーの河野二郎、デザインの野崎喩、エンジンの高木英匡、シャシーの山崎進一というメンバーが選ばれた。
2000GTは、ヤマハ発動機の協力を得て開発された。オートバイの分野では既に世界的なメーカーとなっていたヤマハ発動機は、以前に日産とのGTカー開発のプロジェクトが頓挫した過去があった。
当時の川上社長がトヨタに対し、共同開発を相談に来たのが発端となって、偶然にもGTカーを計画していたトヨタと手を組むことになった。
それが、1964年秋の話。
トヨタのコアスタッフはヤマハに常駐し、ヤマハのスタッフと共に製作に取り組んでいく。
試作第1号が完成したのが、1965年8月。通常のプロジェクトでは考えられないスピード感で、2000GTは形になっていった。少数精鋭で進行するプロジェクトのメリットを最大限に生かし、さらに2ヶ月後の10月には、モーターショーで試作2号車を展示している。そして、1967年5月発売のために、性能の熟成が行われていく。
世界で通用する本格的GTであることを実証するために必要だったのが、クルマの性能を世界に示す実績だった。
そのため1966年10月1日から3日間に渡って、スピードトライアルを実施する。6時間、12時間、24時間、48時間、72時間の走行時の平均速度や、1000マイル、5000マイル、10000マイルでの平均速度などが、トライアルの種目だった。
3個の世界記録と、1500〜2000CCのEクラス内の国際記録を13個樹立することに成功している。
もう一つ、2000GTの名を大きく広めたのが、映画『007は二度死ぬ』で使用されたことだった。
当時、爆発的な人気を博していた007シリーズが初めて日本で撮影されることになり、2000GTは、ボンドカーとして使われることになった。
正確には、ジェームズ・ボンドの愛車としてではなく、日本の諜報機関のクルマとして、ボンドを助ける“アキ”という女性が乗っていたクルマ。
撮影は、1966年9月に行われたが、撮影の準備期間が非常に短く、トヨタ側はルーフトップを切ったようなタルガトップを提案するが、俳優の顔を撮影しやすくするために制作側はオープンカーを要望した。
ルーフ撤去後の形状バランスを考えて原形より25㎜ほど低く、さらにカメラワークのために取り外し式としたアクリル製のウィンドシールドも新造された。
製作期間は、たった2週間だった。映画封切りは、1967年6月。2000GT発売から1ヶ月後だった。
2000GTには、当時の最先端の技術が込められている。サスペンションは、前後輪ともにダブル・ウィッシュボーンが採用され、操縦性と乗り心地を担保し、ステアリング機構はラック・アンド・ピニオン式、エンジンはヤマハの技術力を結集して、クラウン用のM型エンジンをベースにDOHC化された。
当時の一般的な乗用車が50馬力ほどだったのに対し、2000 GTは150馬力を誇った。
1970年に生産中止。月産は最大で14台、少ない時には10台以下、ほとんど手作りとも言える生産だった。現在トヨタ博物館には、ボンドカーを含めた、5台が収蔵されている。
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