
時は昭和61年(西暦1986年)
信州北信濃
とある田舎町の街道沿い
プレハブ小屋の古びた中古車屋で「アイツ」に出会う。
街道に面した中古車屋にはピッカピカの本命AE86レビン&トレノが2台並んでた。
当時、走り屋御用達といえば、トヨタの「AE86」
オレにとっても憧れのクルマ。
でもオレが目をつけたのは、ハチロクのせいで店の片隅へと追いやられた「アイツ」
昭和57年式「トヨタ・スターレット」
バイト先へ向かう途中で見つけた赤いKP61。
オレは意を決して店に入った。
中古車屋のオヤジがニヤリと笑ってオレにこう言った。
「兄ちゃん、こんな極上のKPは、もう二度と出て来ないよ!」と...。
...今思えば何とも〝ベタな〟セリフだったが18そこそこのウブなガキにとっては、いとも簡単にハンコを押させる魔法の言葉だったのだ(笑)
そんな訳で後先考えず高い金利で自動車ロ〜ンを組んだのは、懐かしい思い出(笑)
勿論、エアコンもパワステも有馬千円(笑)
ハチロクは高くて手が届かなかったけど、KP61は分相応のクルマ。
めでたく二代目の愛車となった。
オレのクルマ選びの条件は、「軽量」「コンパクト」「マニュアルトランスミッション」
そして何が何でも「FR」!
なぜFRかと言えば、単にドリフトがカッコイイから!(笑)
当時ラリ〜に憧れてたオレは豪快にアクセルを踏んだままカウンタ〜をあて、コ〜ナ〜を横向きドリフトで駆け抜けて行くラリ〜ドライバ〜は理屈抜きにめちゃめちゃカッコ良く見えた。
だからオレもそのテクをマスタ〜するために「FR」が必須条件だったと言う訳だ。
KP61は、その条件をすべて満たしていた。
4Kエンジンは非力だったが、下手クソなオレには丁度いいポテンシャル。
パワ〜スライドは無理でも、ひとたび雨が降ればリアをスライドさせてカウンタ〜ステア!
雪の峠なんかは最高の練習場でもあった。
雪道は万が一イッちゃてもダメ〜ジが少ないので安心だった。
しかもタイヤも減らないので一石二鳥(笑)
ホイルベ〜スが短く、狭い峠のコ〜ナリングでは何度も手に汗握ったが、小さなボディはクイックなハンドリングで正に人馬一体。
最近のクルマと違って、KP61はクルマがテクノロジ〜を主張しないので、上手く走るためにはドライバ〜が「腕」で何とかするもんだ!ということを教えてくれた本当に素晴らしい相棒だったと思う。
ジムカ〜ナやサ〜キットデビュ〜を飾ったのもあの車だった。
イロエロな意味で忘れられない1台なのです。
タラレバですが本当に手放さなければ良かった一台だと思う。
※画像お借りしました((*_ _))
ブログのネタも思い浮かばないのでこんな感じで過去車の思い出話しをシリ〜ズ化しようかと思ってます(笑)
〜追伸〜
てか、みん友サン「0」人でblog投稿してなんか意味あるんかな〜?( ̄▽ ̄;)
Posted at 2024/09/10 07:40:11 | |
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