
アルバムから車とバイクの写真を撮影して保存していたので、記録しておきます。
バイクとの出会いは中学生の時、祖父のお葬式で高校生だった
いとこのお兄ちゃんがバイクに乗ってきて、後ろに乗せてもらったのが最初でした。
風とエンジン音にものすごく興奮したのを覚えています。閉校した小学校のグランドでクラッチミートの練習をさせてもらいましたがなかなか難しく「絶対免許を取るんだ」と決意をしました。
その後16歳になり原付の免許を取得してスクーターのホンダスカイに乗っていました。
写真はありませんでした。
17歳になり小型自動二輪を取得して、乗ったのがホンダCB125Tでした。
自転車屋さんの軒下でボロボロになっていました。全身ペンキまみれになっていて
俗にいう「〇車」と言われていた車体で4万円で購入しました。
このバイクのペンキを剥がしたりなんなりして乗れるようにして、
やまちゃん少年は苫小牧発ー仙台行きフェリーに乗り関東へとツーリングを果たします。ツーリングの後に中型自動二輪を取得しましたが、当然お金が無くこのバイクで道内の峠などに仲間達と出かけていました。
高校はバイク免許の取得についてそんなにうるさくはない時代でしたので同級生も免許を持っていましたし、私自身はバイク通学をしていました。
その後、高校時代に自動車免許を取得し、関東へ進学して初めて購入したのが
日産パルサーでした。19万円で売られているのを友人が見つけてきて購入しました。写真の赤い車です。

この車、購入してしばらくしてクラッチが滑って坂を上ること
が出来なくなりました。坂の上での信号機などで止まると迷惑車両になるので信号機との間合いを意識して緊張して運転していました。そんな車ですが1度、盗難に会い車両発見の連絡があり帰って来たときは鍵穴がボロボロになっていたものです。
しかしこんな車でしたが欲しいという友人がいて4万円で手放した記憶があります。
次に購入したのが、VT250Fです。友人から15万円で購入して毎月1万円で15回払いでした。日常の足がわり通学用に使用していました。
この時代に千葉県の坂月試験場に通い限定解除を果たします。
事前審査2回目、本審査4回目で合格しましたが試験官に「これからはライダーの見本となってください。 合格です」と告げられたとき一緒に受験している仲間達の拍手で我に返り感動しました。これは一生忘れないと思います。その日20人位受験して合格2名でした。
その後に埼玉に進学した高校時代の友人から先輩が要らない、バイクをあげるという話しがあり有難くいただきました。VF750セイバーです。
このバイクがきたのでVT250Fは後輩に数万円で売った記憶があります。
私の体格にもあっていたのか、ものすごく乗りやすいバイクでしたが、卒業とともに廃車にしました。
パルサーを手放した後に購入したのが三菱コルディアでした。
葛西付近の中古車屋さんで50万円位でしたがとてもうれしく乗っていました。

仲間と白馬、志賀などへスキーによく行きましたし北海道に帰省もしました。
就職しても乗っていましたがターボが故障してディーラーで見てもらった時に
ショッキングな事を告げられます。「ここ見てください。普通ここに溶接しません。この車事故車です」と
そんなわけで廃車となりました。
次がカリーナEDとなります。会社近くの車屋さんで70万円でした。
納車の日この車に乗って当時付き合っていた相模原に住む奥さんのお家に飛んで行き箱根にドライブしてボートに乗りました。

この写真は軽井沢だったと思います。
バイクですがまだ子供がおりませんでしたのでわがままを言い、昔からの憧れだったCB750Fを購入します。会社の後輩が出入りしているバイク屋さんで購入しました。24万円でした。
憧れていたバイクでしたしとてもうれしく会社への通勤などで乗っていました。
その後長男が誕生し、引っ越しも重なりましたので手放しました。オークションで12万円で松戸の方へもらわれていきました。
次はステップワゴンです。新車で200万円丁度でした。
この車はその後に娘も誕生して家族とあちこち旅行やキャンプ、部活の送迎など懐かしい思い出が一杯できました。
以上が現車前に乗り継いだ歴史となります。
ただ、北海道に単身赴任で6年いた間はリースで三菱ディオン、日産ウイングロード、プリウス、などに乗りました。
Posted at 2025/03/20 14:17:28 | |
トラックバック(0) | 日記