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miffyruruのブログ一覧

2008年06月15日 イイね!

逝ってきました。昌平

(* 画像はありません)

私の犬の散歩の通り道にお店があり、前々から気になっていたのに、自宅から近くて何時でも行けるという思いもあり、なかなか行けませんでした。が、昨日、うちの奥さんと一緒にお昼時にはじめてお邪魔しました。

店の看板に「川越 昌平」とうたっており、内装は小京都の愛称で有名な埼玉川越にありがちな古民家風でした(常連さんらしき他の客との会話を盗み聞きしていたところ、店主は川越在住だか川越出身だかのようです)。

メニューとしては、いかにも蕎麦屋のメニューという感じで、それほど奇をてらったものは置いてありません。

基本となるせいろは1枚700円ですが、2枚セットだと1200円になるのでそれなりにお得です。昼間だけご飯セット(ご飯、香の物、おかず)がプラス300円で付けられます。

私は勿論、せいろ2枚とご飯セットを、奥さんは天せいろとご飯セットを、それぞれ注文しました。

まず、せいろ1枚だけでもそれなりに分量があり、2枚だと女性は確実におなか一杯になりそうです。てんぷらもさくさくして揚げ方が上手でした。

肝心のおそばですが、ここは店が休みのときに前を通るとでっかい臼が置いてあり、看板にも「手打ち」と出ております。恐らく、手打ちであることは間違いないのだと思います。

はっきりいって、うまいです。

私は日本そばにはそれほど知識があるわけではありませんが、そばの命はいうまでもなく原料の蕎麦粉と水だと思っております。そうすると、こんな東京のど真ん中、首都高のすぐそばにある店ですから、水道水を使っているようではまず味に期待できようはずがありません。ところが、ここのそばは都内で私が食べた日本そばの店では、間違いなく3本の指に入るくらいのうまさでした(といって、そんな大した経験はありませんが)。

こんな近いところに、こんな店があるとは脱帽です。

場所は、かえってご迷惑になってもまずいので正確な住所は記しませんが、港区芝公園2丁目で、川沿いの一方通行の道沿いにあります。目の前には住友系の高層ビルが建っております(例えば、有名なコーンズ屋さんからいえば、徒歩5分といったところです)。

店の方にきちんと確認を取ったわけではないのですが、日曜日は休みだと思います。
Posted at 2008/06/15 19:34:03 | コメント(0) | トラックバック(0) | グルメ/料理
2008年06月09日 イイね!

あれ つけました。

あれ つけました。(← * すいません、全然見えませんね。なので、詳細はフォトギャラリーにアップしましたのでそちらをご覧下さい。)

911乗りの諸兄は皆様あれに悩み、色々と試された方、或いは既に諦められた方もいらっしゃると思います。

ちょっと前の話ですが、ご報告します。

私はケチですが、しかししつこいので、何とかして安上がりであれをあれしたいとずーっと考えておりました。

そうしたところ、ワーナーというブランド(?)で、中古のフットペダルセット(A、B、C、フットレスト)が¥11000位で出ていたので、それをネットで購入しました。とりあえずAペダルだけで良かったのですが、人気のアイメック製だとAペダルは新品で8000円くらいするらしいので、まぁ良いかと思い購入しました。

材料としては、このペダルセットと木材の端切れと針金程度なので、締めて¥12000程度です(何と安上がり!!)。

針金で足置き板を締めたのは、今年10月に車検が来ますが、その際ディーラーから外せといわれるだろうと観念しているからということと、何時この911を嫌になって手放すかお金がなくなってこの911を差し押さえられるか(競売にかけられるか)分からないので、ともかく傷をつけたくない、少しでもリセールバリューを下げたくないという、実に庶民的で安易貧困な発想からです。

で、ともかく完成しました(不慣れなため、装着になんだかんだ30分くらいかかりました。首が死にました。)。何とか都合2センチくらい、アクセルペダルが近くなりました。それで、少しはあれがやりやすくなりました。

針金もがんじがらめにしておりますので、走行中に外れるということはまずないと思いますし(まぁ、あっても自己責任ですから)、見栄えは悪いですが、特に私以外が運転するわけでもないので、まぁ気にしない気にしない。

でも、クラッチペダルが相対的に遠く、ブレーキペダルが相対的に近いという911独自のポジションには当然ながら何らの変更もないわけです。以前に乗っていた34GT-Rは素の状態ですんなりとあれが出来る絶妙なポジショニングだったので、それに比べればまだまだという感じです。

これを根本的に解決するためには、クラッチペダルをもう少し近づけるようにして、その分シートを後に下げて、右足の曲がりが少なくなるようにしないといけません(そうでないと右足をスムースに回転できない)。

この点を今後の課題とさせて下さい。

気持ちよくあれ出来るかどうか。いやぁ~実にあれはディープですね。
Posted at 2008/06/09 18:12:22 | コメント(4) | トラックバック(0) | 911 | クルマ
2008年06月03日 イイね!

あいつとの別れ #番外編・3(R35へのエール)

あいつとの別れ #番外編・3(R35へのエール)平成14年の排ガス規制。

こうして我が国の自動車産業は華々しさを欠くこととなりました。スポーツカー(スポーティーカー)が絶滅し、代わってミニバンなる新種が世を謳歌するようになりました。右を向いても左を向いても冷蔵庫が走り回っているのですから、スポーツカー好き、車好きにとっては将に悪夢としか言いようがありません。

とりあえずミニバンに乗ってさえいればみんなが幸せになれるという幻想に囚われた時代。しかしそれでいて、親が子を、子が親を殺す話が日常茶飯事である時代。

ミニバンなど、自動車メーカーが勝手に作った一過性のブームに過ぎない。そんなものは、今までに我々が愛してやまなかった本物の車では決してない。しかし自動車メーカーは、このような安易な商品を売り続けることで、ますます人々の自動車に対する健全な興味も失われていく。

こんな時代であればこそ、若者が車に興味を持たず携帯に走ることも当然です。日本からスポーツカー(スポーティーカー)が消え、それとともに夢も希望もなくなったのです。

しかし、2007年秋、GT-Rが第三世代となり満を持して復活しました。これに呼応するかのように、2010年頃までに、スープラ、NSX、セブンなども復活を控えているようです。



これは第三世代GT-Rについての話ですが。

GT-Rとは日本人一人一人の、最後の希望。勇気。

自動車産業が、日本の基幹産業である状況は当面続くものと思われます。

ご承知のとおり、日本の車産業は多品種大量生産であり、安かろう良かろうと言われて世界を席巻しました。しかし、足元を見ればすぐ韓国車、中国車が迫ってきております。これまでの安かろう良かろう製品をこれからも作り続ければ未来は安泰だとは必ずしも言い切れなくなりました。

そこで、日本の生きる道は過去の枠にとらわれず、新たな付加価値をつけた自動車を生産することでしかあり得ません。

例えばプリウスのようなハイブリッド車然り、レクサスのような今までにない高級車、プレミアムカーなるものも然りです。そしてまた、35GT-Rのように、1000万円前後で購入でき、しかもその性能は今まで当たり前のように2000万円、3000万円の対価を要求していた高級スポーツカーに勝るとも劣らない超ハイパフォーマンスカーというベクトルもありでしょう。

日本の自動車生産、もの作りは既に新たな局面に入りました。そして、それこそが日本という国家が、我々一人一人の日本人が、世界において今までと同じような地位を占めることが許されるのかどうかの試金石になるのです。

だから、GT-Rとは我々日本人の最後の希望であり、勇気です。



35GT-Rについては、私のような既存のGT-R乗りからも、またそうでない人々からも多大な注目を集めました。その内容については、勿論賛否両論あると思います。

でも、280馬力規制やスカイラインという呪縛など、過去の全てのしがらみを断ち切って新しい第三世代が誕生しました。

280馬力規制がなくなった今、各メーカーはプライドをかけて大パワー競争に参戦しなければならないこととなりました。敵は日本ばかりでなく、世界です。しかし、たゆまぬ技術革新こそが発展への道です。

GT-Rは、スカイラインという出自を捨てました。その点についても勿論賛否両論あるでしょうが、私は正しい選択だったと思います。GT-Rはスカイラインというブランドに収まるにはあまりに大きくなりすぎました。だから、スカイラインに何時までも拘っているようでは、所詮その程度の内容でしかないことになります。

良いか悪いか、買うか買わないかは別としても、35GT-Rは世界で雄々しく羽ばたいて欲しいと期待しております。我が国が、技術大国として復権する狼煙になって欲しいと希望しております。


(ようやく終わり)
Posted at 2008/06/03 16:36:52 | コメント(3) | トラックバック(0) | GT-R | クルマ
2008年06月03日 イイね!

あいつとの別れ #番外編・2(スカイラインの追憶・2)

あいつとの別れ #番外編・2(スカイラインの追憶・2)鉄仮面のあと、日産はスカイラインをフルモデルチェンジしました。それが、確かセブンス・スカイラインと呼ばれるモデルだったと記憶しております。



このセブンスは、前型と比較して一回り大きくなりました。その理由は、4ドアがマークⅡ三兄弟対策として大きく豪華さを追求する必要があり、2ドアもそれに引きずられたのです(あとから考えれば、このような豪華さを追求したことは大失敗であり、日産が倒産寸前まで追いやられる原因の一つになったのでしたね)。

ただ、大きくなったといっても、矢張り2ドアモデルはスポーティーであり、若者の心をとらえるスタイリングであることには変わりありませんでした。それとともに、例えばGTオートスポイラー(一定速度になると、フロントのチンスポイラーが開閉する)などのギミックも当時、注目を集めました。更に、このセブンスの時から、スカイラインに伝統の6発が復活したのだったと記憶しております。

そのため、このセブンスにはモデル末期に、GTS-Rという特別仕様が設定されました。市場ではGT-Rの復活を熱望する声が大きかったのですが、桜井さんらはこの内容では未だGT-Rを名乗れないと考えており、苦肉の策として中途半端なネーミングのモデルを生んだのでしょう。

でも、このGTS-Rは、例えばステンレス製のエキマニを装備していたりとか、特別感がビンビン備わったものだったと記憶しています。この当時、私は大学3年生くらいでしたが、(買えないけれど)本当に憧れました。

このように、第2世代GT-Rが復活するまでの期間、日産の走りを代表する車は誰が何と言ってもスカイラインだったわけです。そしてまた、我が国にもスポーツカー(スポーティーカー)と呼ばれる車は多々あれど、スカイラインの伝統がもっともまぶしく燦然と光輝いていることは、否定しようもない事実です。

実はGTS-Rが登場したこの当時、既に32型の開発がすすめられるとともに、GT-Rを復活させることが本決まりになっていたのでしょうね。GTS-Rの搭乗後、程なくしてスカイラインは32型となりました。今までの鈍重な図体を反省し、今度は二回りも一挙に小さくなったため、市場からは驚きの声をもって受け入れられました。豪華な路線はローレル、セフィーロ、マキシマなどに委ねることとして、スカイラインはもう一度走りのモデルに戻ることを目指したのですね。

そして、それからまた程なくして、GT-Rが第2世代として本当に復活しました。車関係者や日本の車好きがどれだけ大騒ぎをしたか、今更語るまでもありません。

でも、日産は、GT-Rが名声を得れば得るほど、GT-R以外のスカイラインモデルは存在価値が薄れていくという矛盾を抱えることとなりました。2ドアでいえばせっかくGTS-Tという、平時なら素晴らしく評価されて然るべきモデルも、GT-Rの陰に隠れてしまったのです。そしてまた、4ドアモデルも、ある意味覚悟のうえで豪華さを捨てたのですから、その存在価値にも疑問符がついてしまいました。

今でこそスカイラインブランドは生き残っておりますが、R34とV35との間で断絶が存在することは、誰でも知っていることです。そしてその大きな原因の一つはGT-Rの存在です。端的に言えば、第2世代GT-Rは自らの出自を崩壊させたのです。

これは良いとか悪いとかではなくて、第2世代GT-Rの存在があまりにも大きすぎたため、スカイラインという出自に収まりきれなくなったからであり、至極当然のことです。

しかしまた、第2世代は32、33、34と代を追いましたが、基本設計そのものは32の時代から殆ど変わりませんでした。32GT-Rがアテーサハイキャスその他の先進技術をこれでもかと詰め込みすぎたことと、32以降、日産の屋台骨が傾き、ハードウェアを改変することもままならなくなったことがその原因と思われます。

そしてまた、それまで全く相手にしていなかった格下のランエボインプSTIといったフォロアーが台頭し、第2世代GT-Rの立ち位置を根底から脅かすようになりました。土俵次第では、34GT-Rはそれら2リッター勢に太刀打ちできなくなっていたのです。こうなると、600万円前後の新車価格にも説得力がなくなってしまいます。そして、これだけ入れ込んでいる私から見ても、はっきり言って34GT-Rは青息吐息でした。このままフルモデルチェンジをしても、ますますその名前と過去の栄光にすがって細々と生きているという状況になることは目に見えておりました。

34GT-Rは、平成14年、排ガス規制のため、スープラセブン(FD)などの他のビッグネームとともに眠りにつきました。でも、今から考えれば、これは晩節を汚すことなく引退することが出来たという良いきっかけになったものと考えます。



(神様、あともう1回だけ)
Posted at 2008/06/03 16:19:50 | コメント(1) | トラックバック(0) | GT-R | クルマ
2008年06月03日 イイね!

あいつとの別れ #番外編・1(スカイラインの追憶・1)

あいつとの別れ #番外編・1(スカイラインの追憶・1)(このブログは、資料を調べるのが面倒なので、全く記憶に頼って綴ります。なので、ところどころ誤記が混入している虞もありますが、ご容赦下さい)


私が生まれてから小学校に上がるくらいまでの頃、うちの父親はアメ車にはまっていました。リンカーンとかマーキュリーとかビュイックとか、それこそ1年もしない間にとっかえひっかえしておりました。私が車輪馬鹿なのは、そのDNAを引き継いだのかも知れません。

ところが、その筋の方々がアメ車に乗るようになり、うちの父はアメ車を降りました。代わって、クラウンやセド・グロに逝きました。

最初はクラウンをとっかえひっかえしていたのですが、その後、うちの父親はグロリアに逝きました。私も中学生の頃、しばしば父親に連れられてプリンス店に行きました。

私は日産といえばプリンス店しかご縁がありませんが、その理由はこの頃からプリンス店に行くようになり、刷り込まれたからでしょう。それとともに、私の中では日産の高級車といえばセドリックではなくてグロリアですし、若者向けのスポーツカーといえば(S13以前は)シルビアではなくてガゼールを思い浮かべるのも、それが理由です。更にいえば、私がそれほどにはZに心ときめかせたことがないのもそれが理由かもしれません。

話を戻すと、中学生だった私がプリンス店に行ってもグロリアに興味を持つことはなく、代わって興味を持つようになったのはスカイラインでした。また、その頃初めて、スカイラインには桜井真一朗というエンジニアがいて、よく分からないけれどそのおじさんが凄いらしいということも知りました。

この当時、即ち今から25年ほど前のスカイラインといえば、俳優のポール・ニューマンがイメージキャラクターでした。私は、中学生の男の子にして、ポール・ニューマンってなんて格好いいおじさんなんだと思っておりました(因みに、この当時日産は外タレ(?)が好きだったようで、我が家の愛車もグロリアのジャックニクラス・バージョンでした)。そんなことから、このときのスカイラインは一部でニューマン・スカイラインなんて呼ばれていたようです。

このニューマン・スカイラインは、それ以前のジャパンなどと比べて全長も長く、極端なウェッジシェイプをしておりました。それが子供心に格好良いなと思ったのです。

実際、それから数年後に初代ソアラが発表され、流れるようなラインもソアラが人気を博した原因だったと思います。でも、そのデザインの源流は、実はこのときのニューマン・スカイラインにあったのではないかと勝手に解釈しております(本当のところ、ソアラより少し前に初代レパードが発表され、個人的にはそのデザインが無茶苦茶格好良いなと思っておりました。でも、さすがトヨタですね。ローレルという先行者にマークⅡ三兄弟をぶつけるのと同様、後追いでレパードのコンセプトをパクリ、レパードが開拓したハイソクーペという新しいジャンルを独占してしまったのだから、笑いが止まりませんね。その数年後、お陰でレパードは孤独死を迎えることになりました。もっとも、日産は起死回生の策でレパードを刷新して2代目をデビューさせますが、そのデザインは初代ソアラのパクリだと酷評されました。最初にパクったのはソアラのほうなのに、気の毒です。ただ、この2代目レパードはあぶない刑事にも使用されており、矢張りそれなりの人気があったと思います。私は勿論2代目レパードのほうが好きでした)。

話を戻します。

ニューマン・スカイラインは、確か西部警察にも使用されていたと思います。だから、それなりに若者の心をとらえることができたと思います。

このニューマン・スカイラインは、やがて何回かの(フル?マイナー?)チェンジを経たりして、例えば鉄仮面などと呼ばれるモデルも生まれました。そのグリルレス(正確に言えばレスではない)の顔は斬新で、確かに西洋の仮面などを連想させるような個性の強いものでした。この鉄仮面の時に、確かターボCとかいうグレードができたと思います。2リッターのインタークーラー付ターボで初めて200馬力を超えた(但しグロス値)なんて話題になっていました。

ニューマン・スカイラインのときに、RSというグレードがあったと思います。エンジンの形式名称はFJ20。この当時のスカイラインは、既に伝統の6発を封印していたため、FJ20も6発ではなく4発でした。ただ、私もその後、初めて車を買おうとするときにこのRSを候補に挙げ、試乗したことがありましたが(結局ご縁がなく購入には至りませんでした)、アイドリングからあたかもチューニングエンジンのように排気音が野太いもので、回転数も一定せず、しかし踏めば身震いを伴って鋭くレスポンスするエンジンでした。

その時初めて、日産ってこういうエンジンを作るんだなということと、だから日産って熱いファンがいるんだなということを、少しだけ理解できた気がしました。実際、FJ20はRB26DETTほどではないにしても、歴史に残る傑作エンジンの一つであるようです。



(続く)
Posted at 2008/06/03 15:56:28 | コメント(1) | トラックバック(0) | GT-R | クルマ

プロフィール

横浜に生まれ育ち、10年ほど前から東京23区内に在住の40代のおやぢです。子供のころから乗り物が大好きで、自転車、原付、オートバイ、車と正常な(?)成長を遂げま...
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