
タイトル写真は王滝川の支流の濁川に新たに作られた砂防堰堤(柳ヶ瀬4号砂防堰堤)
王滝村へ訪れたので以前から気になっていた濁川温泉の場所を探して見ました。
御嶽山の災害と言えば10年前の2014年9月に起きた御嶽山噴火が記憶に新しいですが、40年前の1984年9月に起きた長野県西部地震により誘発された御嶽山山体崩壊(御嶽崩れ)による土砂崩れにて多数の死傷者が出ています。

その際に濁川の傍らにあった一軒宿の濁川温泉が土石流に巻き込まれ旅館の経営者家族4人諸とも土砂に埋没した悲惨な出来事がありました。
濁川温泉は含鉄泉で電気も車道も通っていない秘境のような温泉宿だったらしいですが、遥か四半世紀以上前の出来事にて当時の記録しか知る手立てはありません。
あまりにも痛ましい災害と温泉宿が丸ごと地中50mに没すると言う自然の恐ろしさを感じる出来事にて記憶に残っていましたが、その濁川温泉の場所が分からず地図上で見てもイメージ出来なかったので近くを通ったため現地の大分手前ですが濁川の合流地点に向かいました。
王滝川の支流の濁川の分岐の先にタイトル写真の砂防堰堤(砂防ダムより小規模なもの)が今年令和6年6月に出来たとの事で立ち寄りました。

ここもかつては綺麗な渓谷だったようですが土砂で埋まって何十メートルも高くなっているようです。
古地図を見るとこの渓谷沿いを歩いて登り濁川温泉まで行けたみたいです、ただし現在の王滝川沿いの車道は当時は森林鉄道だった為、山側の林道から下って温泉に行くの一般的だったらしいみたいです。

新しい堰堤の向こうにも別の砂防ダムがあります、写真で見るより現物はずっと巨大です、黄土色に変色しているのは川の水に鉄分が含まれているのか含鉄泉の臭いがしていました。
この砂防ダムの数キロ奥の場所に件の濁川温泉が存在したようです、これ以上は進めませんのでその場所は見ることができませんが現地に行って大体の地理が分かれば想像しやすくなりました。
土砂崩れ前の1977年時と現在の写真を比較し恐らくの濁川温泉位置が分かりすっきりしました。
滝越地区との位置
また、濁川と王滝川の合流部付近に慰霊碑がありました、「鎮め観音」と言うらしく土砂崩れでご遺体が見つからなかった方の慰霊として建てられてそうです。
濁川温泉の犠牲者も含まれているのでしょう。

かつての渓谷は遥か地中の底で、この河原も何十メートルに積みあがった土砂の上なので全く自然は恐ろしいものです。
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2024/08/28 14:17:34