
愛媛県野福峠の俵津隧道に行きましたが通行止めになっておりトンネルもボロボロになっていたので記録。
宇和町と明浜町の間に野福峠がありますが現在は新しい2車線トンネルが出来て苦も無く通れますが、昔は狭い峠道で通るのが大変でした、久し振りにと旧道の方を通ってみたらなんとトンネルの入り口が封鎖され通行止めになってしました。

写真は宇和町側のものですが、車が来ないので記念撮影。
ここのトンネルは大正15年の古い素掘りのものですが、坑門が拘った造りになっておりコンクリ作りのトンネルだと全国でも数カ所しかない珍しいものみたいで近代土木遺産に指定されているとか。
たしか内部もコンクリブロック詰み、モルタル吹きつけ、素掘りとなっていました。

トンネル幅は4.6メートルですが、トンネル内部は未舗装で照明もなく時々岩盤の破片が崩落してきて、崩落片が内部路肩に積んであり実際はとても狭く離合が難しかったと思います。
建設当時は庶民がマイカーなんて不可能な時代なので充分な幅だったんでしょうが、路線バス以外はもっぱら歩行者か牛か大八車な年代かな。
折角なので反対側の方にも行きましたがこちらもバリケードで封鎖されて通れず、まあ土嚢積みなので人間は通れそうな具合ですが。
長さは363m、100年前ぐらいに作った時は長大なトンネルで大工事だったでしょう。
内部もそれほど崩壊してないですが吹付のモルタルが剥離崩壊してきていたりしており補修費も無いから通行止めになったんでしょう。
とは言え重機を運んで埋め戻し入り口に蓋して完全に埋める費用も無いのでこんな処置何でしょうが、果たして崩壊まで放置されて自然崩壊を待つのか接続道路が荒廃して廃道になり自然の中に埋没することになるのかはわかりませんが。
過去に作ったインフラが維持できず朽ちて行くと耳にしますが、まずは明治大正に作ったものが駄目になり、その次は戦後昭和のものと言ったぐわいですかね。
30年前ぐらいは主要国道で車がバンバン走ってたなんて夢みたいです、漏水が激しいトンネルで冬になると氷柱が出来て、それを路線バスがバキバキ音を立てへし折りながらながら走ってましたが、今ではすべて昔話。
装飾に富んだ坑門、洋風デザインなピラスターとコンクリ作りなのに豪華な作りです、入り口付近はコンクリブロック積でオシャレ。
今のコンクリ量産のトンネルとは違いますが、隧道を通して交通の便を良くすると言う当時の期待を感じます、車道も車も無い時代なのでとなり町に行くのも一苦労だったでしょう。
建設時の資料も残されています。
工事に3年掛かっています、起工が大正12年(1923年)なので100年以上前の設計みたいです。
この特徴的な坑門を持ったトンネルですが、場所と環境的に保存なんて無理でしょう。
ちなみに道路は荒れ放題で落ち葉や路肩崩壊など酷い状態になってます、元が1車線ぐらいの細い道なのですれ違いは難しいです、通る車も殆どいないと思いますが。
でも昔はこの車幅を大型バスや乗用車が普通に走ってたと考えると大変だったと思いますが、当時は車が小さかったし1車線なんて当たり前な時代だからか何も苦に感じなかったのでしょうか。
もし訪問を考える酔狂な人が居ましたらと書いておきますが、狭い場所だとアウトランダーでこの有様です、傷だらけになってもどうでもいい車なので普通に走りましたが雑草以外に木の枝が大分出ているので大きい愛車に乗っている人はご注意ください。
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Posted at
2024/12/04 04:11:41