衝突前のバスの位置はどこだったのか? それがごく自然な位置なのか否か?
そして、バスのバンパー破壊状態(横方向、上方向に変形)や白バイの部品
飛散状態、白バイ隊員の投げ出し位置、白バイの回転状態などを再度考察し
私なりに考える事故の全体像の推察によるシナリオを書いてきました。
この事故に関するブログへの書き込みは、これが最後になると思います。
これらの「横滑り仮説」によって、当事者の過失の程度とか、裁判への
実益実害、罪状への結論などを導くことは現状できないものだと思います。
その役割は、あくまで司法制度(刑事裁判)の争点整理によってのみ果たす
ことになるはずで、決められた枠組みの中では何の意味もない検証であること
も理解する必要がありました。
そのことに関しては、カービュー論客の重鎮だった「バイク乗りさん」の
まとめ検証サイトの中でも『無知であった』と自己批判されています。
私も軽々しく「この仮説が支援になれば……」と発言していましたので
ある意味では批判されるべき同類だったと思います。
重大案件事件において、人が人を裁くということは、今後の裁判員制度では
重くのしかかってくるはずですが、この事故に関して事実認定も最終判決も
覆すことができずに時とともに風化してしまうことは、関係者の方々にとって
耐え難い憤慨となることは想像にかたくありません。
このブログが、もしや支援関係の方々が寄せる期待には答えることができない
ものだとしたら、大変申し訳なく思います……
検察側に偏った下級審が破棄され、本当の意味での事故の真相究明がなされて
十分な再審理を経るならば、立場の違いはあっても、誰もが納得いく理想的な判決
になるはずですが、夢は夢、現実は現実、そのギャップが大きければ大きいほどに
交通事故の裁判の理不尽さを感じてしまうかもしれません。
あえて個人的意見を書くならば、スクールバスの過失(刑法上の安全義務逸脱)は
かなり小さいのではないかと思っています。情状酌量の余地もない実刑相当の過失
責任を背負うには、あまりにも重すぎる理不尽な1審2審判決だと感じています。
免許失効の行政処分にしても同じ思いです。証拠隠滅や逃亡のおそれがない状況での
被疑者逮捕移送、現場検証において被疑者が事故現場の実況を確認できなかったこと
なども、警察捜査手法への不信感(捏造疑惑)を募らせる一因になっているようです。
そのような意見が一般市民にあることに耳を傾けるべきだとも思います。その警察
不信感があればこそ、最高裁上告に際してたくさんの署名が集まったのだと思います。
善良なシビリアンパワーが存在することは賞賛に値するものと感じます。
たとえ、その善意が意図した策の中にあったとしても……
しかし、1審からの裁判の戦い方などを考えると、判決に至るまでの裁判官の作業量
裁判官の裁量にゆだねられた心証主義という裁判システム、司法判断上の限界という
現行の枠組みの中では、そのような結果は当然だという見かたがあることも理解して
います。つい最近、医療事故における第三者機関の設置試案が出されたと聞きます。
従来の医療事故の調査は、医療関係者(いわゆる身内)による調査報告が真相解明の
ネックになっており、原告側が関係者の過失を証明することの困難さがあるという
不公平な構図を解消するための画期的なしくみが作られることが期待されています。
警察がらみの事故事件においても同様の構図(公権力側の捏造や冤罪を証明するのが
困難)があるわけで、今後、冤罪を一件でもなくすためには、場合によっては外国にも例が
あるような第三者機関設置による検証システムが必要だと感じます。
そのようなシステム作りのための社会的コストの負担増、事案に応じた第三者の人選
をどうするかなど課題は多いのかもしれませんが、公正な社会の実現には必要なもの
だと感じてしまいます……