師匠滞在2日目
この日は午前11時頃までグ~スカと寝てまして、ろなうどは昼過ぎに大きく変わった大阪駅へ鉄道界の師匠であった小山(おやま)115系Y391氏(以下 師匠)を連れて行くことにしました。
ろなうど宅の最寄り駅である片町線「鴻池新田」駅近くにある321のリパークまで車で行き、(所謂「Park and Raid」)そこから京橋方面に向うのですが、ココでプチ撮鉄を...
鴻池新田から207系に乗ること約10分に京橋駅に到着し、ココから環状線内回りに乗って1と1/4周回って約50分で大阪駅に到着しました。
外回りには途中天王寺ですれ違った103系(LA1編成 元モリ28編成)が到着しました。
現在環状線に走る103系は大阪駅リニューアルした去年から運用本数が減り、現在7編成(4M4T車 LA1~5,6M2T車 SA1~2)が環状線内をルーレット族の如くグルグル回っています。(笑)
この車輌はオール体質改善40Nで、8両全部がフルリニューアル車です。
画像のクハ103-834は昭和55年7月に兵庫の川崎重工で製造、新製配置は阪和線の日根野電車区で元々スカイブルーを纏ってました。環状線の森ノ宮電車区に転属したのは平成14年4月となってます。
しばらくリニューアルした大阪駅を徘徊する ろなうどと小山師匠。
南口の駅ビル旧アクティ大阪の増床部にオープンした東急ハンズへ行き、公営銭湯によく置いてある
ケロリンの風呂桶を見に行きました。(何でw?)
そのあと、大阪駅横にあるJR貨物梅田貨物駅も見に行きました。
ココの貨物駅は、大阪駅北口再開発に伴い、3月15日を以って営業を終了します。
138年という長い歴史のある貨物駅だけあって、無くなるのは非常に淋しいもんです。
3月一杯までは全て撤収すると思いますが、今後は再開発2期工区として緑地公園に整備されるそうです。
いつの間にかオレを撮ってるよぉ~ (画像提供 小山115系師匠)
合同通運(合通)が所有するコンテナトレーラー
うしろの全国通運(全通)のU48A型ウイングコンテナを積むトレーラーのタイヤに注目。
60扁平の22.5インチタイヤ(265/60R22.5)を装着しています。
初期型のいすゞギガ(50系)で日本初の総輪同一サイズの4軸低床に使われたものと同一です。
梅田貨物駅にある11.5トン~30トンクラスのフォークリフトやトップリフターも沢山ありましたよ~
デカイですねぇ~
このリフトはアタッチメントが2つ装備されていて、一つはシフトフォークと言って、フォーク(爪)が左右独立して動きます。もう一つはサイドシフトと言って、バックレストが左右に動き、コンテナを貨車に載せる時や、コンテナの上に重ねて載せる場合の左右微調整が出来ます。
コンテナ取り扱い場所では最低サイドシフトだけは装備されてます。
大阪駅北口も大きく変貌し、第一期の再開発は殆どその姿を見せています。
ココから全国各地へコンテナ列車が発車して行きます。
このシーンも見られません。
日本フレートライナーの大型トラック
面白いコンテナ発見www
こんなの有るんですねぇ
ココは元々紙などを取り扱ってるのでしょうか。
昔この駅に2軸の有蓋貨車(ワム80000形など)も入ってた記憶があります。
ロール紙を掴む為に、ロールクランプのアタッチメントをつけたリフトもありました。
138年の歴史に幕を閉じる目前に訪れた師匠も懸命に写真撮ってました。
午後6時過ぎ、梅田貨物駅を後にして大阪駅に戻ります。
ここから画像はありませんが、このあと大阪駅から環状線(外回り)に乗りました。
来た電車は103系(SA1編成)で、体質改善40Nのフルリニューアル車且つ武蔵野線を彷彿する6M2Tを組む強力編成車で、元々USJフルラッピング編成を組んでいた車輌です。
ろなうどと師匠は、うしろから3両目の中間電動車に乗りましたが、師匠も103系に久々に乗れて大満足。
ろなうども103系の中間車に乗る自体久しぶりで、MT55A形モーターの甲高いサウンドを久々に聞きました。
京橋駅から片町線に乗ります。
来た電車は321系。初めて乗る師匠も大興奮。
僅かの区間ですが、321系の乗心地を確かめながら、午後7時過ぎに鴻池新田駅に到着しました。
このあと一旦自宅に戻り、午後7時半過ぎに、ろなうどの弟(
モニカ@atsuo)宅へ師匠と訪問、ココで一緒に食事をしたり、午前1時までワイワイガヤガヤと駄弁ってました。
師匠滞在3日目
ろなうどは午前10時頃に起床、既に師匠は起きてました。(早っ!)
この日は師匠が埼玉の自宅へ帰る日で、帰る支度も含め家で色々と駄弁ったりや○○ったりして遊んでました。(謎)
昼過ぎには近くのラーメン屋で滞在最後の食事を取り、そのあと師匠の90VitzRSに燃料を補給して一旦家に戻りました。
家の中で何だかんだと掘出し物を整理してる中、ろなうどがリバウンド前に着用したサイズの小さいオーバーオール(Lee製)や、Gパンなどを彼に差し上げました。早速試着する師匠です。
別れる時間が迫るにつれて、ろなうども段々彼と別れるのが辛くなっていきます。
師匠も ろなうどと別れるのが非常に辛く、別れ際には泣いてた程でした。
家にある29型のブラウン管テレビを処分する為に、一緒に廊下へ運ぶのを手伝ってくれたあと、
ろなうどは彼に「そろそろ出発だな」って彼に言ったとたん、ろなうどは思わず大粒の涙が出ました。
午後4時すぎ、師匠を見送る為に下に降りる ろなうど。
「また大阪に絶対お出でな」って師匠に言って硬い握手を交わし、午後4時9分、師匠は涙を出しながらウチのマンションを後にしました。
年末年始に行った時の1月2日に ろなうどが埼玉の師匠のアパートを後にする時も、彼は涙を流しながら見送ってました。それだけ ろなうどの事を思ってくれたらしく、別れるのが辛かったんだと自分も思わず貰い泣きしました。
彼とは数年前からとある鉄道系サイトと服飾系サイトで知合い、スタンス、そして過去にあった事情など 、ろなうどとよく似ている所から意気投合、暫くはメールで遣り取りして2年前の
4月16日に埼玉県大宮市内のコンビニ(ろなうどが行くB系ショップの真ん前のファミマ)で初めてリアルに会いました。
そこから何回も関東へ行っては彼の家に遊びに行き、現在も一緒に撮鉄などしています。
愛知・稲沢を拠点とし、カズくんや芸術丸ちゃん、そしてこーたろーちゃんを始めとするsunshine car clubのメンバー達とは約185キロと近い故にしょっちゅう会えるのに対し、彼の場合はオレの住む所から約550km離れた埼玉県さいたま市、そんなしょっちゅうは会えない故にどうしても別れは辛くなるものです。
これは山口に住むウチの親も然りです。
1日目は桜井線をメーンにコロコロさんと合流して共に行動し、105系や221系を乗車体験。
2日目は環状線に走る201系や103系などの国鉄型車輌に久々に乗れた事。
また京橋駅では3月いっぱいで完全引退する京阪旧3000系が見れた事。
リニューアルされた大阪駅や、3月15日で終了する梅田貨物駅を見納めたなどを含め、師匠も今までにない最高の思い出が出来ただけに、ろなうどと別れるのも人一倍に辛かったんだと思います。
逆に ろなうども彼が大阪に来てくれたことだけでも最高の思い出であり、やはり別れが辛かったです。
ろなうども最近涙もろいせいか、師匠を見送ったあと、暫くの間家で、そして職場で一人淋しく涙流してました。
最後ですが師匠、また大阪にお出でな!!
おしまい