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2025年10月28日 イイね!

🚗 50代が半数を超えた会社で起きていること──“知恵のエンジン”を止めるな!

🚗 50代が半数を超えた会社で起きていること──“知恵のエンジン”を止めるな!
本日の日経新聞から「社員の2人に1人が50代以上」!

特に自動車業界では、この世代がまさに“日本の技術の屋台骨”を支えてきた人たちです。

でも、いま現場では人件費の上昇が問題視され、
「高齢社員=コスト」と見なす風潮が広がっている。

──ちょっと待て。
クルマづくりって、そんな単純な“数式”で割り切れるものじゃないはずです。

🔧 思考力というトルクをどう使うか

50代以上の社員が持つ経験や判断力は、エンジンでいえば最大トルクの領域です。
この知恵のトルクを使い切らずに「重いから外そう」とするのは、
いわば高回転域を封印して走るようなもの。

たしかに人件費は上がる。
でも、そのぶん彼らの「思考力」「現場感」「判断の速さ」を活かせば、
コストを超えるリターンを生み出すことができる。

人間の頭脳と経験が作り出す力は、
AIやマニュアルには出せない“味”があるんです。

🧩 バトンリレーの現場

大学では、50代以上の教授が“知識の資産”として重宝されます。
一方、企業では経験豊富な社員が「もう古い」と言われてしまう。
この差は単純に、知識をどう引き出すかの仕組みがあるかないか。

クルマの世界で言えば、
熟練メカニックの“手の感覚”を数値化して若手に渡すようなものです。
昔の職人が体で覚えたことを、
データやAIで次世代に“翻訳”していく。
それがこれからの“知恵のリレー”です。

⚙️ クルマも人も、経験で走る

ベテランの知恵は、チューニングのように磨けば必ず活きる。
若手の柔軟な発想と組み合わされば、
それは“新しい駆動系”になる。

会社がこの世代を「コスト」として切るのか、
「知恵のエンジン」として再始動させるのか。
その判断で、組織の未来はまるで違う。

人も機械も、正しく回せばまだ伸びる。
知識を廃棄物にせず、トルクとして使い切る。
それがこれからのモビリティ時代に求められる“思考力の走らせ方”じゃないでしょうか。
Posted at 2025/10/28 14:56:28 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2025年10月26日 イイね!

🚗 「強い経済」は“考える国”からしか生まれない──2050年の日本に向けて

🚗 「強い経済」は“考える国”からしか生まれない──2050年の日本に向けて喫茶店のテーブルに置かれた読了した一冊、
Hamish McRae『The World in 2050: How to Think About the Future』。

そのタイトルを見つめながら、今朝の日経新聞記事を思い出した。

高校生の平均読書時間は1日10分、スマートフォンの使用時間は138分──
半数以上が「本をまったく読まない」と答えているという現実だ。

一方で、高市首相は「強い経済をつくる」と明言している。
だが本当に経済の強さとは、数字や成長率だけで測れるものだろうか。
McRaeが説くように、2050年の世界で生き残る国は「人口」や「資源」ではなく、
“思考の質”を保てる社会だ。
つまり、未来を設計できる国とは、
自ら考え、読み、問い、創造する力を持つ国民が支える国である。

だが、読書10分・スマホ138分という比率を前にすると、
日本は今、“強い経済”を語る前に、
「考える力の衰退」という構造的リスクを抱えているように見える。
情報が過剰に流れる社会では、「思考」はすぐに流される。
だが、経済もまた“思考の産物”である以上、
知的基盤が弱れば、経済の土台も脆くなる。

車の世界に置き換えれば、それはエンジンオイルを抜いたまま
「最高のパフォーマンスを出せ」と言っているようなものだ。
人の思考力や読解力は、社会を動かす“知の潤滑油”にほかならない。

移動時間にオーディオブックを聴く。
信号待ちの間に短いエッセイを読む。
そのわずかな習慣が、国全体の知的エンジンを再起動させる。
“強い経済”は、「考える国」からしか生まれないのだ。


🧮 なぜ「知的基盤」が経済政策とリンクするのか

創造性・応用力の源泉
 高度化・複雑化する経済では、単純労働から脱して、思考・判断・分析・問題解決能力が求められます。読書・継続的な学習習慣はこれらの能力を支えます。

情報リテラシーと質の高いインプット
 スマホ利用時間が長いということは、断片的・速読的・浅い情報接触になりやすく、深い読み・思考・熟考の機会が減る可能性があります。経済も「速さ」だけでなく「質」で勝負する局面が増えています。

人的資本の維持と更新
 人口減少・高齢化の進む日本において、若年層・中年層が強い知的土台を持つことは、技術革新・生産性向上・持続可能な経済成長のための必須条件です。先の読書時間のデータは、潜在的リスクを示しているわけです。
Posted at 2025/10/26 10:57:07 | コメント(2) | トラックバック(0)
2025年10月25日 イイね!

プレリュードはなぜ響かなかったのか?

プレリュードはなぜ響かなかったのか?新型プレリュードの試乗(約30分)を終えたあと、私は深い静けさの中に立ち尽くした。
性能は優れている。乗り心地は上質で、ハンドリングも正確だ。
それなのに——心が動かない。
モータージャーナリストたちは一様に「完成度が高い」「大人の上質なクーペ」と称賛しているが、
なぜ私はその賛辞の輪に加われなかったのだろう。

理由のひとつは、日本的モータージャーナリズムの構造にある。
多くの評論が、車を「製品」としてではなく「企業文化の成果」として語る。
批評よりも調和、個性よりも共感が重んじられる。
したがって、車の“情緒的な未完成”や“人間的な粗さ”に価値を見出す言葉は、
そこにほとんど存在しない。
結果として、「技術的完成=良い車」という単線的評価が支配してしまうのだ。

だが、車が人を動かすのは、数字ではなく感情の共鳴である。
完璧に制御された静けさの中では、心の鼓動が届かない。
プレリュードは美しいが、あまりに整いすぎている。
ハンドルを握るたび、私は「この車に、人間の余白はあるのか」と自問した。

3年前に乗ったシビック Type R には、荒々しさと緊張があった。
わずかな不安と高揚が交錯するその瞬間こそ、「未完成の情緒」だった。
そこには、車と人間が互いの限界を探り合う関係性があった。



一方、プレリュードはドライバーを試さない。むしろ、安心の中に閉じ込める。
それは“優しさ”でありながら、同時に“沈黙”でもある。

ポルシェやBMWの思想は、人間の不完全さを尊重する。
少しの危うさを許容し、感性が介入できる“余白”を残している。
それが走りの歓びを生み、哲学を感じさせる。
対して、プレリュードは人間の感情を「制御すべき変数」として扱っているように思える。
それこそが、「響かなかった」本質的理由だ。

車は、合理の産物であると同時に、感性の容れ物でもある。
科学がどれほど進歩しても、感動は数値化できない。
完璧さを目指すあまり、人間が感じる“ゆらぎ”が失われたとき、
車は作品でなく「静かな機械」へと変わってしまう。

そして不思議なことに、N-ONEで帰路に就いたとき、私はほっとした。
完璧ではないが、心に寄り添う——そんな“共存の静けさ”がそこにあった。
プレリュードが示したのは、技術の到達点ではなく、
感性がどこまで生き残れるかという問いだったのかもしれない。
Posted at 2025/10/25 14:37:13 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2025年10月23日 イイね!

プレリュード試乗!でも感動がなかった!!!

プレリュード試乗!でも感動がなかった!!!

久々に“プレリュード”という名が現代に甦ったと聞き、学術的関心もあって授業の合間に試乗してみた。(笑)

外観は見事である。流線形のプロポーション、低く抑えられたノーズ、光を受けて繊細に表情を変える赤のボディ。デザイン的には、造形美と空力合理性の融合という点で非常に完成度が高い。まるで精密に設計されたプロダクト・アートのようだ。

しかし、ステアリングを握った瞬間に感じるはずの“身体性の共鳴”が、そこにはなかった。

走りは極めて滑らかで静か。制御のアルゴリズムが完璧であるがゆえに、すべてが予測可能で、感情曲線が平坦なまま終始してしまう。プレリュードという名に刻まれていた“情熱の残響”が、どこか電子の膜に吸収されてしまったような印象だ。当然 S+モードも試したが・・・

確かにこの車は優れている——合理的で、静粛で、知的である。
しかし、人間の感覚は論理だけでは満たされない。
わずかな揺らぎや、不完全さの中にこそ、生きた機械としての美が宿るのではないだろうか。

つまり、この新型プレリュードは“完成された作品”ではあるが、“未完成ゆえに心を惹く存在”ではない。

その意味で、多少の荒削りさを残しつつもドライバーの感情を揺さぶる——フェアレディZの方が、むしろ“買い”なのかもしれない。

走りとは、数値では測れぬ情緒の芸術である。

BMWやポルシェはそのあたりの事情をよく熟知している。つまりBMWからプレリュードはあり得ないと確信した一時間であった

Posted at 2025/10/23 11:51:52 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記
2025年10月19日 イイね!

『The World in 2050』を読みながら考える日本の未来

『The World in 2050』を読みながら考える日本の未来静かな午後、コメダ珈琲の木の香りに包まれながら、Hamish McRaeの『The World in 2050』を読み進めた。
この書は、人口構造や技術革新、地政学の変化がどのように世界を再編していくかを描いた一冊だが、特に「Japan – The Elderly Pioneer(高齢化先進国・日本)」の章は深く考えさせられる。

日本はすでに「世界で最も高齢化した社会」であり、2050年には人口が9,000万人を割り込むと予測される。
地方は過疎化が進み、都市には高齢者が集中。労働力不足を埋めるためのテクノロジー依存が進む一方で、社会は次第に“内向き”になっていく。
McRaeは、こうした傾向を「秩序ある静寂(ordered calm)」と呼びながらも、それが国際的な孤立を生み出す可能性を示唆する。


自動車産業を筆頭に日本の製造業は今も高い競争力を誇るが、ソフトウェアやサービス分野では遅れが目立つ。
技術立国の伝統をどう再構築するか――その問いは、まさに次世代のモビリティやエネルギー政策にも直結する。

2050年の日本が「静かなる成熟国家」として新たな価値を世界に提示できるか。

ハンドルを握るたびに思う――未来は遠くの話ではなく、今日の選択の積み重ねなのだ。かつては " JAPAN AS NO.1"と呼ばれた日本の元気はもう a thing of the past 過去の遺産なのだろうか・・・

“Japan as Number One” comes from Ezra Vogel’s 1979 book Japan as Number One: Lessons for America, written at a time when Japan’s post-war economic miracle had made it the world’s second-largest economy. During the 1970s–1980s, Japan’s manufacturing efficiency, education system, and social cohesion were admired globally. It symbolised a model of capitalism that combined discipline, consensus, and innovation — particularly in the automobile and electronics industries.
Posted at 2025/10/19 08:33:44 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「🚗 50代が半数を超えた会社で起きていること──“知恵のエンジン”を止めるな! http://cvw.jp/b/3743672/48735168/
何シテル?   10/28 14:56
大学の教員('ω')ノです。 車歴(すべて新車); EvoⅠ→Golf GTI→ BMW MINI Cooper→BMW(E46)330i→BMW(E92...
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