
クルマというのは、気づけば私たちの生活の奥のほうに静かに入り込み、長い時間をかけて「習慣」という名の層をつくる。
三木清は『人生論ノート』で、習慣とは単なる反復ではなく、人間の内部に沈殿する“時間の構造”だと言っていた。白いN-ONEで過ごしたこの五年間は、まさにそんな時間の層を私の生活にひっそりと積み上げていたのだと思う。
朝、まだ世界が少し湿ったような匂いを残している時間帯に研究室へ向かう道。講義を終え、学生たちの発した言葉が胸の中でまだ揺れている夕暮れ。コンビニの駐車場で缶コーヒーの温度を確かめながら、ふとフロントガラスに映る季節の移り変わりを眺めた午後。そうしたささやかな場面のひとつひとつが、知らず知らずのうちにN-ONEという小さな車体に落ち着いた居場所をつくっていった。
三木はまた、別離について「悲しみだけでなく、思索への入口になる」と書く。あと一か月でAQUAに乗り換えると決めた今、私の胸にあるのもその言葉に近い感覚だ。もちろん、五年間寄り添ってくれたクルマを手放すことに特有の寂しさはある。しかし、それ以上に、“次の生活の層へ移っていく静かな準備”のような気持ちが、薄い膜のように心の奥で広がっている。
新しいAQUAは、効率性や静粛性の面で申し分なく、おそらく私の日々のリズムにも素直に馴染んでくれるだろう。
そこには、三木のいう「自己を作りかえる意志」がある。習慣は人をつくるが、その習慣を更新することもまた、人を前へ進める力になる。N-ONEからAQUAへ移るという行為は、単なる買い替え以上に、私の生活が静かに方向を変えていく、その自然な運動のように感じられる。
駐車場でN-ONEを見つめていると、枝に残った紅葉がひとひら、ゆっくりと落ちていった。季節は循環しているようで、実は決して同じではない。三木が「時間には深さがある」と語ったように、過ぎた時間は私の内部で層となり、それを下支えにして次の時間が積み重なっていく。
N-ONEとの五年間は、私の生活の中にたしかな深さを残した。その深さの上に、これからAQUAとの新しい季節が重なっていく。
ありがとう、N-ONE。
あなたがつくってくれた習慣と時間の層は、これからも私の中で静かに光るだろう。
そしてAQUA――新しいページをめくる音を、私はもう聞き始めている。
Posted at 2025/11/13 08:58:00 | |
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