午後のゼミ室は、いつもと同じように少し乾いた空気が流れていた。
ホワイトボードには未完成の議論の痕跡が残り、窓の外では季節が静かに進んでいる。そんな、どこにでもある大学の一室で、思いがけずクルマの話が始まった。
4年生のゼミ生が二人。
一人はロードスターに乗っていると言い、もう一人は86だと言った。
私はその瞬間、彼らの言葉の「重さ」が、少しだけ普通と違うことに気づいた。
単なる車名ではない。
それは、選択の結果であり、時間をともに過ごしてきた相棒の名前だった。
「ロードスターは、やっぱり軽さですよね」
「86は、踏み込んだときのあの感じが……」
「そういえば、先生の初めの愛車はなんだったんですか?」
私はうなずきながら、少し考えたあと、静かに言った。
「私の最初の愛車は、ランエボだったんだ」
すると、空気が変わった。
二人の表情が、ほんの一瞬でこちらに引き寄せられる。
「
エボ!!
まだ“伝説”になる前のランサー。
余計な装飾はなく、速く走るためだけに存在していた、少し無愛想なクルマ!!」
「須藤京一(エボⅢ)のですか?」
「
いや、色は同じブラックだけど、私のはエボⅠ……」
そう、彼らはちゃんと知っていた。
私が若い頃、深夜の道路や漫画のページの中で感じていた、あの感覚を。
不思議なことに、世代の差はほとんど感じなかった。
FRと4WDの違い。
軽さとトラクション。
速さとは何か、運転するとはどういうことか。
そのどれもが、言葉にしなくても通じていた。
クルマは、単なる移動手段ではない。
それは、ある時代の若者が、世界とどう向き合っていたかの記録だ。
ロードスターも、86も、エボⅠも、それぞれ違う方法で「走ることの意味」を問いかけてくる。
ゼミ室でそんな話をするとは思っていなかった。
けれど、たぶんこういう瞬間のために、クルマは存在しているのだと思う。
世代を超えて、静かに、しかし確かにつながるもの。
その午後、私はそれをロードスターと86とエボⅠから、もう一度教えてもらった。
*広告塔の篠塚健次郎氏は昨年逝去。ひろ子夫人は「この3週間、篠塚建次郎は頑張って頑張って、サハラ砂漠と闘ってきたのだと思います。そして今朝、(パリ・ダカールラリーのラストランとなる)ラックローズにゴールしました。本当によく走り続けました。どうぞ皆様も篠塚を褒めてやってください。長く応援していただきありがとうございました。」と遺した。
Posted at 2025/12/12 18:57:31 | |
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