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2025年11月16日 イイね!

【ミニマル考察】75歳以上の移住3割増——地方中核都市こそ次の受け皿に

【ミニマル考察】75歳以上の移住3割増——地方中核都市こそ次の受け皿に今日(11/16)の日経新聞によれば、

75歳以上の移住が10年で約3割増(指数130)

移住先は、札幌市、さいたま・福岡・横浜など医療インフラの整った大都市が上位

一方、65〜74歳・25〜64歳層はほぼ横ばい
という、明確な高齢者偏在が見えてきた。

75歳以上の「終の住処」選びでは、
医療が充実し、子どもの近くという条件が最優先になっている。
しかし、大都市だけに高齢者が集中する現象が続けば、医療・交通・住環境は確実に飽和する。
🧟若者ではなくゾンビがスタバに一杯いる社会に(笑)!

そこで私が注目したいのが、岐阜県のK市といった“地方中核都市”である。

■ 地方中核都市が持つ3つの強み

医療アクセスが一定水準で確保されている

生活動線が短く、移動負担が小さい(車生活との相性が良い)

大都市ほど過密でないため、生活コストが抑えられる

今回の新聞データでは、
「都市部で後期高齢者の流入が顕著」という指摘があったが、
本当の意味で持続可能な“受け皿”は、必ずしも大都市だけではない。

むしろ、
岐阜のK市のように“医療×車移動×適度な都市性”を兼ね備えた地域こそ、今後の高齢移住の理想形
だと感じている。

都市も地方も、どちらも“移動”を基盤に成り立っている。
だからこそ、車との相性が良い地方中核都市は、これからの日本社会の重要な役割を担っていくだろう。
Posted at 2025/11/16 10:40:17 | コメント(2) | トラックバック(0)
2025年11月14日 イイね!

Zの輪郭が残したもの

Zの輪郭が残したもの今日の午後、国道を流していると、前方から白黒ツートンのNEW Zが近づいてきた。陽の角度のせいなのか、ボンネットの白とルーフの黒が薄い境界線を引きながら、ゆっくりこちらへと滑ってくる。ほんの一瞬だけ、その姿が道路の上に鮮明なコマのように焼きついた。

そのすぐあと、五十メートルほど遅れて、新型プレリュードが姿を見せた。白いボディにリアウイングを立て、まっすぐこちらへ向かってくる。けれど、どういうわけか、私の心の中に強く残ったのはZのほうだった

理由は単純だと思う。
プレリュードのフロントから、街中で見慣れてしまった“プリウスのハンマーヘッド”がふと重なってしまったからだ。デザインというものは、見慣れた瞬間に新しさの輪郭が少しずつ薄れていく。人間の目は、驚くほど早く日常に馴染んでしまう。

その点、Zは見慣れない角度を保っていた。少し古くて、少し新しくて、その曖昧なバランスをまとったまま、静かにすれ違っていった。その一瞬、道路の空気がわずかに変わったような気がした。

結局のところ、何が“かっこいい”かなんて説明しようとした途端に曖昧になる。
それでも今日だけは、Zのほうが圧倒的に魅力的だった。
ただそれだけの、短いけれど確かな出来事だった。
Posted at 2025/11/14 13:46:46 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2025年11月13日 イイね!

時間の層の中で ― N-ONEとの五年と、AQUAへ向かう私の季節

時間の層の中で ― N-ONEとの五年と、AQUAへ向かう私の季節クルマというのは、気づけば私たちの生活の奥のほうに静かに入り込み、長い時間をかけて「習慣」という名の層をつくる。三木清は『人生論ノート』で、習慣とは単なる反復ではなく、人間の内部に沈殿する“時間の構造”だと言っていた。白いN-ONEで過ごしたこの五年間は、まさにそんな時間の層を私の生活にひっそりと積み上げていたのだと思う。

 朝、まだ世界が少し湿ったような匂いを残している時間帯に研究室へ向かう道。講義を終え、学生たちの発した言葉が胸の中でまだ揺れている夕暮れ。コンビニの駐車場で缶コーヒーの温度を確かめながら、ふとフロントガラスに映る季節の移り変わりを眺めた午後。そうしたささやかな場面のひとつひとつが、知らず知らずのうちにN-ONEという小さな車体に落ち着いた居場所をつくっていった。

 三木はまた、別離について「悲しみだけでなく、思索への入口になる」と書く。あと一か月でAQUAに乗り換えると決めた今、私の胸にあるのもその言葉に近い感覚だ。もちろん、五年間寄り添ってくれたクルマを手放すことに特有の寂しさはある。しかし、それ以上に、“次の生活の層へ移っていく静かな準備”のような気持ちが、薄い膜のように心の奥で広がっている。

 新しいAQUAは、効率性や静粛性の面で申し分なく、おそらく私の日々のリズムにも素直に馴染んでくれるだろう。そこには、三木のいう「自己を作りかえる意志」がある。習慣は人をつくるが、その習慣を更新することもまた、人を前へ進める力になる。N-ONEからAQUAへ移るという行為は、単なる買い替え以上に、私の生活が静かに方向を変えていく、その自然な運動のように感じられる。

 駐車場でN-ONEを見つめていると、枝に残った紅葉がひとひら、ゆっくりと落ちていった。季節は循環しているようで、実は決して同じではない。三木が「時間には深さがある」と語ったように、過ぎた時間は私の内部で層となり、それを下支えにして次の時間が積み重なっていく。

 N-ONEとの五年間は、私の生活の中にたしかな深さを残した。その深さの上に、これからAQUAとの新しい季節が重なっていく。

 ありがとう、N-ONE。
 あなたがつくってくれた習慣と時間の層は、これからも私の中で静かに光るだろう。
 そしてAQUA――新しいページをめくる音を、私はもう聞き始めている。
Posted at 2025/11/13 08:58:00 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
2025年11月11日 イイね!

「右ウィンカー文化」──あの頃、追い越し車線にあった“静かな会話”

「右ウィンカー文化」──あの頃、追い越し車線にあった“静かな会話”


かつて高速道路を走っていた頃、
“右ウィンカー=あおり運転”なんて言葉は存在しませんでした。

むしろ、あれはドライバー同士の礼儀であり、
一瞬のウィンカーに込められた「どうぞ」「ありがとう」という無言のやり取りでした。

🕐 当時の流れ(1980〜90年代初期)

後ろの車が前走車に追いつくと、
50〜100mほど離れた位置で、右ウィンカーを1〜2回だけ軽く点滅。
詰めるわけでもなく、ただ「追い越しますね」と伝える合図。

前走車がそれに気づき、左へ寄る。
その瞬間、後続車は右ウィンカーを出してスッと抜ける。
そして追い越し後にはハザードを2回点滅――
「ありがとう」のサイン。

対して、前走車が軽くパッシングを1回。
「了解、気をつけて。」
言葉なんていらなかった時代です。

🚘 当時の車たちと空気感

そんな文化を支えていたのは、
ソアラ、スカイライン、プレリュード、RX-7…
いわば“走りを楽しむ紳士たち”でした。

高速道路も今ほど混んでおらず、
2車線で見通しも良かった。
だからこそ、ウィンカー一つで信頼が通じる時代だったのかもしれません。

🛣️ 変わりゆくルールと文化

時代が進むにつれ、教習所では
「進路変更以外のウィンカー使用は禁止」と教えられ、
交通量も増加。

「右ウィンカー=意思表示」から
「右ウィンカー=威圧的」と誤解される時代に変わりました。

ドライブレコーダーが普及した今、
誤解を避けるために“右ウィンカー文化”は自然と姿を消していきました。

🕯️ 今、思うこと

あの頃の右ウィンカーは、
単なる合図じゃなく、人と人の信頼の証でした。

もちろん、今それをやれば誤解されます。
でも、あの精神――

相手を思いやり、流れを読み合う運転。
それだけは、今も忘れたくないですね。

✍️ 最後に一言

右ウィンカー文化は、
「速さ」よりも「品格」で走っていた時代の象徴。
煽りではなく、“静かなる会話”のマナーでした。


Posted at 2025/11/11 20:38:04 | コメント(0) | トラックバック(0)
2025年11月10日 イイね!

スープラが眠りにつく夜、プレリュードが目を覚ます朝に

スープラが眠りにつく夜、プレリュードが目を覚ます朝にトヨタが、スープラの生産を終える。
そんなニュースを読んだとき、何かが胸の奥で小さく崩れた。
それは悲しみというより、ひとつの“リズム”が止まったような感覚だった。

スープラという言葉には、不思議な響きがある。
鋼のように硬質で、しかしどこか夢の中の音のようでもある。
90年代の空気を知る者にとって、それはただの車名ではない。
あの頃の深夜、海沿いの道を走り抜けるエンジン音、
心臓の鼓動と混ざって響いたあの低い唸り――
それらすべてが「スープラ」という名に溶け込んでいる。

だが、時代は変わった。
車が詩を語る時代は、もう終わりに近い。
今、道路を流れているのは、効率と安全性と沈黙のエネルギーだ。
それは悪いことではない。むしろ正しいことだ。
けれど、どこかで誰かが静かにため息をつく。
「これでいいのだろうか」と。

社会学者なら、こう言うだろう。
“個の速度から、集団の静寂へ”。
スープラの終焉は、一台の車の消滅ではなく、
「加速する夢」という概念そのものの終わりなのだと。

そんな中で、ホンダはプレリュードを“再び”この世界に呼び戻そうとしている。
名前の意味は“前奏曲”。
それはつまり、何かが始まる前の、あの静かな一瞬を指す。
プレリュードはかつて、都市の風景の中で最も美しい孤独を描いた車だった。
恋人を乗せた帰り道、交差点の青が雨に滲み、
ワイパーがその記憶をゆっくりと削り取っていく――
そんな時間を知る車だった。

そして今、その前奏曲がもう一度奏でられようとしている。
けれど、それは“同じ曲”ではない。
時代が変わり、聴き手が変わり、
音の意味が変わってしまったのだから。

学術的に言えば、それは「感性の再定義」である。
エンジン音はもう“力”の象徴ではなく、
“記憶”の残響になった。
プレリュードがもしこの時代に生き延びるとしたら、
それは速さではなく、静けさの中に宿る詩情によってだろう。

スープラが夜に消え、プレリュードが朝に現れる。
それは交代劇のようでいて、実は同じ旋律の別章にすぎない。
時代は、形を変えてもなお、
人が何かに心を動かされる瞬間を探し続けているのだ。

そして、私たちもまた――
静かにエンジンをかけ、
その音の奥に残された“人間の鼓動”を、まだ探している。
Posted at 2025/11/10 08:07:42 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記

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「【高速編分析レポート】 トヨタ新型アクアZ(改良型)― 動的質感・エネルギー応答性・知覚負荷の総合評価 http://cvw.jp/b/3743672/48792233/
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大学の教員('ω')ノです。 車歴(すべて新車); EvoⅠ→Golf GTI→ BMW MINI Cooper→BMW(E46)330i→BMW(E92...
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