2016年03月17日
↑普段はくだらない内容ばかりなので、この不謹慎なアイコンをお許しください。
今日、山陽道でトンネル火災事故がありました。
濛々と黒煙が立ち上るニュース映像に、恐怖心すら覚えた方もいらしたと思われます。
実際亡くなれた方もいらっしゃいますし、負傷された方も沢山いらっしゃいますので
自分の口から軽々しい事は延べられませんが・・・
多分もしかしたら前に一回書いてるかも知れませんが、昔自分が遭遇した事を
お伝えしたいと思います。
まぁオイラが遭遇した事は、幸いにして今では笑い話出来る程の内容ですが
トンネル火災、特に煙はホントに怖いとあの時は本気で身に沁みました。
前の仕事で大型トラックを転がして長野県へ向かったその帰り。
大口の客先で自分を含めた自社の大型3台で上信越道の上り線、1番先頭車と二番目の
オイラとは1キロくらい離れて、オイラの数台後ろに3号車の位置関係で走行していました。
当時の上信越道は今と違って対面通行の片側1車線区間がほとんどでした。
なので長いトンネルも当然ながら対面通行。
確か週末だったかレジャーの一般車や観光バスも多く、交通量は多かった記憶が
残ってます。
長野県と群馬県の県境の八風山トンネル(約4000m)に入って暫く進むと、急激にペースが
落ち程なく停止。
まぁ交通量が多かったので最初はただの渋滞かと思ってましたが、動く気配が無い。
なんかおかしいな・・・事故か?・・・・・・って思った矢先!
路側壁の電光掲示板が、『火災発生』と真っ赤な文字で点滅。
それと同時、警告音と共に
「火災発生、火災発生、キーは付けたまま貴重品を持ち、直ぐに避難して下さい。」
と、自動アナウンスの冷静な女性の声がトンネル内に響きました。
あの冷静な自動アナウンスの声に、ただならぬ恐怖感を覚えた事は今でもハッキリ記憶に
残っています。
と言ってもこんな状況下に置かれたのは初めて。まぁ当然周りの皆さんもそれは同じ。
ただ車から降りて避難路に向かう訳でもなく、ウロウロするばかり・・・
それに反対側からはどんどん流れて来るので、たいした事ないだろうと高を括っていたら
一台の対向車が、「この先でトラック燃えてる~~~!」と、叫びながら通過。
この時点で一気に焦りの空気感に変わりました。
対面通行の利点で乗用車はみんなUターンして走り去りますが、こちらは全長12mの
大型トラック。二車線の巾でUターンは物理的に不可能です。
気がつけば、Uターン出来ないトラックとバスしか残ってなく、ガラーンとしたトンネル内。
あんな景色、後にも先にも見る事は無いでしょうし、あの時の取り残され感も二度と経験
したくありませんね。
響き渡る冷静なアナウンスどおり、キーを付けたまま避難路に向かうかどうするか、
数台後ろに居た3号車の先輩と悩んでいると・・・
視界の途切れるトンネルの先が白く煙って来たのが見え、強制排気のファンの唸り音も
聞こえて来ました。
ヤバい・・・このままじゃ煙に飲まれる・・・・と、本気で焦ってたところ、3号車の先輩が
メンテナンス用にトンネルが広がってるスペースを見つけ、あそこならUターン出来る!と。
もぅこの時は異臭も感じてましたし、視界も徐々に下がってました。
簡単に言えば、既に煙に飲まれていたって事です。
人生で3度目の、本気でヤバいって命の危機を感じ焦った瞬間でした。
まぁ無事にUターンして外に出て来られましたが・・・
もしあの時、今日の事故みたいに凄い火災が発生してたら、今こーやって呑気に
ブログなんて書いていられたのかな?って思います。
冷静なアナウンスどおり、直ぐに避難路に出ていれば大丈夫だったかもしれませんが、
今思い返すとあの時あの場所で相当モタモタしてましたし、若干ですが実際に煙にも
飲まれました。それが白煙でなく、有害なガスを含んだ黒煙だったら・・・・・・
九死に一生を得ない側の人間だったかも。
あの時、直ぐに避難路に逃げれば良かった・・・なんて後悔しても、それこそ時すでに遅し!
ですからね。
大切な愛車や大事な相棒の仕事車を残して、ましてやキーをさしたまま立ち去るなんて、
車好きなら好きな分だけ辛い事になります。
ただ、自身の命が掛かった緊急事態に遭遇した場合には、まず自分の身を守る。
まぁ当たり前の事なんですが、あの時の自分はその当たり前が出来ていませんでした。
これも当然ですが、死んじゃったら愛車どころじゃありません。
ちょっと話がアレになってきましたが・・・
一気に襲ってくる煙に遭遇した事は流石にありませんが、静かにゆっくりなんだけど
気がついたら煙の中に居たあの恐怖感ったらもぅ二度と遭遇したくないです。
煙はホントに怖いです。
万が一、皆さんがそんな場面に遭遇してしまったら、冷静にそして最優先にご自身の身を
守る行動を取って下さい。
なんだかまとまりのない文章になってしまいましたが、当たり前の事ですが
当たり前の事が出来なかったオイラからお伝えしたい事は、それだけです。
Posted at 2016/03/17 23:05:54 | |
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過去ネタ | 日記
2015年08月21日

この記事は、
夏季休暇は北海道でした その2 満喫編
について書いています。
↑の鈴柚さんのブログを拝見し懐かしく思いチョイと
引っ張り出してみました。
←昭和59年8月だから高1の夏休みだったみたい。
この頃は北海道で廃線がバタバタと決まり春夏冬の
長期休みには必ず一人で廃線決定路線を乗りまくって
たなぁ~と・・・まぁそれだけなんですけどね(^^;
駅で寝泊りしたり、夜行列車乗り継いだり、ヒッチハイクしたり・・・
色んな人との出会いもあったし、今となってはイイ思い出です。
あ゛~どっか行きたくなってきた!( ̄▽ ̄
Posted at 2015/08/21 11:34:27 | |
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過去ネタ | 日記
2012年10月17日
仕事中、殆どラジオをかけっぱなしで、ほぼ100%
AM1242 ニッポン放送を聞いてたんですが、たまには
FMも聞いてみようかと、偶然聞いた INTER FM の
RADIO DISCO に、大ハマり!(笑
チーム80じゃないけど(笑)、80年代に当時のディスコで
流行ってた曲を、ノンストップMIXで流したり、トークの
ネタも当時の事だったりと、40代には楽しい番組です。
で、このDJ OSSHYさんって・・・
・・・あれ?
ディスコフリークじゃなくて、筑波フリークのみんなも知ってるDJ ZUPPYじゃん!(笑)
・・・って、一瞬思うくらい似てるしね(^^)
で、まぁ80年代と言ったら、日本中に元気が漲ってたバブルの真っ最中!
自分自身も10代~20代と、疲れ知らずの怖いモノ知らずの色んな意味で
イケイケ小僧だったし、とにかくよく遊んだし、毎日が楽しかったですね。
んで、この放送から流れてくる曲が当時にフラッシュバックさせてくれるんです。
昼飯に腹一杯かつ丼食ったあと、ちょっとかったるい午後の時間でも流れてくる曲で
当時の気分に戻してくれるから、かったるいなんて言ってる間もありません。
んで、そのノリで思わず買ってしまいました。
・・・今更ながら・・・(^^;

これで、今日も明日も明後日も
ノリノリだぜ~♪v(^^)v
でも、YAZAWAステッカーの車だと、永ちゃん以外聞きにくいんだよねぇ~(^^;
Posted at 2012/10/17 22:14:47 | |
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過去ネタ | 日記
2012年09月28日

この記事は、
ADVANカラーの路面電車について
書いています。
↑のPeriさんのブログで思い出した ADVAN GR-17。
オイラが人生初のモータースポーツに踏み出した時
履いていたタイヤ。
オートランド千葉第一・第二から、高速ダートの丸和
オートランドまで、コイツ1本で走ってました。
ファミリア・マーチR・ギャラン、車種が変わっても全部
GR-17・・・
で、懐かしくなって検索したらこんな画像が・・・( ̄◇ ̄;
バリ山なのに半分埋められ寂し過ぎるぜ
オイラの青春のタイヤ・・・(ノД`)
Posted at 2012/09/28 22:24:34 | |
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過去ネタ | 日記
2012年06月08日

この記事は、
ピースサインについて書いています。
昨日の、クロハチさんのブログでオイラもちょっと昔の事を
思い出したので、乗っかりブログです(^^;
ピースサインよりも、ちょっとマイナーなヒッチハイクサイン
ちょっと前に流行った、グーじゃありませんよ。(笑
←これは拾い画像なんで悪しからず・・・(^^;
オイラが中坊くらいの頃、地方のローカル線がバタバタと廃止なりました。
ガキながらナゼか『廃止になる前に、一度は乗っておかないと!』って
強く思いましてね、春・夏・冬の長期休みになるとフレームザックを担ぎ
青春18きっぷを握りしめ、北の大地へ向かったモノです。
有名な『愛国駅~幸福駅』なんて所にも行きましたし、興浜北線・興浜南線なんて
今じゃ誰も知らないような路線までホントに数多く、今の言葉で言うと『乗り鉄』を
してきました。
乗り鉄の回顧録を書いちゃうと、単行本一冊書けるくらいになってしまうので
本題に戻りますが、そもそも廃線になるローカル線ですから一日の運行本数も
片手で余るくらい。午前中1本来たら、後は夕方までキタキツネが線路を横切るだけ(笑
そんな路線も数多くありますから、ヒッチハイクと言う奥の手を使う訳なんです(^^;
写真の様に親指立てて走行車にアピールするんですけど、最初は恥ずかしかったなぁ
まぁ最初の一台目に乗せて貰ってからは、そんな羞恥心も吹っ切れましたけどね(^。^ヾ
で、当時バイクで北海道ツーリングって物凄い流行ってたみたいで、一匹狼の単走から
数台のグループまでホント数多くのライダーのお兄さん達が走ってました。
(函館駅前なんて、ツーリング族のテント村になってて、それが風物詩のひとつになってた
なんて、今じゃ信じられない光景でした)
NORTH FOX IN HOKKAIDO とか書かれた、小さい旗をなびかせて走るのが
トレンドだったみたいです(笑
クロハチさんのブログにも書かれてましたが、すれ違うと皆さんピースサインで挨拶を
してましたね。道路をトボトボと歩いてるガキのオイラにもピースサインしてくれたりして
なんだか、大人の仲間として認めて貰った様な気分になって嬉しくなったモンです。
まぁそんな事を思い出してこのネタを書いてるんですが、写真のようなナンにも無い
場所で数時間、車もバイクも一台も通らなかった時にはマジで、野垂れ死ぬんじゃ
ないかと焦った事もあったっけな・・・(笑
車に乗せて貰って飯までご馳走してくれたり、すんごいイイ人も居れば
『バ~カ!』って言いながら、空き缶投げつけて走り去る人もいました・・・
今となってはどっちもイイ思い出ですが、当時だからこそ!って感じですよね。
今の自分にもし中学生の息子が居たら、絶対に一人で北海道なんて行かせないですよ。
こんな体験を許してくれた親に感謝!
・・・ですね。(^^;
パソコンも携帯も無かったけど、凄く楽しかったなぁ~
もう一回同じ事やってみたい気もするけど、こんな醜いオッサンがヒッチハイクしてたら
『不審者だ!』って通報されるのが、オチだろうな・・・(><;
Posted at 2012/06/08 23:35:07 | |
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