近江・小谷城

★●2020年01月03日小谷城(424枚撮影4時間22分)125箇所目~長浜城再び(天守からの眺望予定)結局全て再撮影(126枚撮影80分)24箇所目~彦根城再び(天守見学以外)移動40分(322枚撮影110分)12箇所目~佐和山城・移動15分(33枚撮影40分)126箇所目、暗くて撤退。
●2020年01月04日名古屋城(774枚撮影6時間50分)127箇所目~清洲城再び(160枚撮影90分)28箇所目。
●2020年01月05日駿府城(466枚撮影3時間40分)128箇所目~登呂遺跡(89枚撮影30分)~山中城(363枚撮影2時間10分)129箇所目で廻りました。
★山頂から山崎丸に降りる別ルート撮影に再び決行。
●2021年3月26日大坂城再び(233枚撮影・2時間4分)4箇所目~勝竜寺城公園再び(154枚撮影・1時間47分)142箇所目~亀山城(84枚撮影・52分)154箇所目~黒井城(199枚撮影・2時間13分)155箇所目。
●3月27日鳥取城再び(333枚撮影・2時間52分)116箇所目~有子山城再び(240枚撮影・3時間18分)115箇所目~園部城(113枚撮影・1時間3分)156箇所目。
●3月28日天橋立再び(21枚撮影・42分)~田辺城(167枚撮影・1時間16分)157箇所目~小浜城再び(資料パンフレット捜し3箇所)(13枚撮影・61分)139箇所目~金沢城再び(286枚撮影・2時間8分)25箇所目。
●3月29日鳥越城(本丸直下迄車+資料館・市庁舎分署・10km離れた観光センター)(190枚撮影・1時間52分)158箇所目~佐柿国吉城(162枚撮影・1時間31分)159箇所目~金ヶ崎城(131枚撮影・1時間4分)160箇所目~小谷城・山頂/別尾根(前回4時間22分大手道は整備・清水谷は未整備多い、今回3時間20分清水谷~山頂~山崎丸ルート・未整備でNo.1)125箇所目。
●3月30日彦根城再び(344枚撮影・2時間39分)12箇所目~観音寺城再び(246枚撮影・2時間37分)138箇所目~水口城再び(173枚撮影・59分)144箇所目~水口岡山城(30近い曲輪だけど遊歩道整備)(249枚撮影・1時間50分)161箇所目~桑名城(118枚撮影・1時間8分)162箇所目。
●3月31日玄蕃尾城・主郭(最初の500m急坂)(178枚撮影・2時間52分)163箇所目~賤ヶ岳の戦い・玄蕃尾城砦/東野山城砦(砂利道林道等登城口が判らず頓挫・もし制覇していたらNo.1)~美濃金山城(森蘭丸公園として遊歩道整備で楽)(342枚撮影・3時間36分)164箇所目と追加3箇所と諦めた砦跡2箇所を入れて21箇所訪れました。
滋賀県に有る、織田信長と浅井長政の戦いのお城として有名です。
日本100名城ですが、山城で曲輪と堀切位で石垣が僅かなので、後回しにしていました。
一般人が思うお城とは違うし、全て見て廻るには体力的に厳しいし、建物が無いので本丸に着いても達成感が無いのが、古い山城の困った処。
それでも戦国時代に詳しく面白いと思っている自分として、外せないお城でした。
もっと簡易に本丸まで行ったら引き返す程度のお城好きなら良いのだけど、残っている遺構は見てみたいと思ってしまうレベルになってしまったのが困りもの。
山頂から一つの西稜線の3箇所朝倉砦跡(大獄城跡/福寿丸跡/山崎丸跡)曲輪と、50mだけど険しい(御局屋敷跡/帯曲輪/赤尾美作守屋敷跡)曲輪2箇所を除き制覇に4時間22分掛かりました。
途中で道を蓮瀬れて往復が必要な曲輪が、御局屋敷跡/帯曲輪、赤尾美作守屋敷跡、月所丸跡。
もし、全て廻ったら8時間30分のコースです。
歴史資料館~旧追手道で山頂の山王丸~大獄丸~福寿丸~麓~清水谷六坊で全て制覇です。
これから行く方は、取捨選択して京極丸までとしたら良いと思います。
それ以外自己満足でしかない。
行っても大獄丸跡山頂まで、短期間朝倉氏が使用の砦跡の福寿丸跡と山崎丸跡は土塁だけだし、登城路の整備が甘いのでどうせなら信長側の砦跡の虎御前山城跡がお勧めです。
中級者なら朝一河毛駅でスタンプ/パンフレット/案内図をゲットし、戦国ステーションから東追手道から本丸経由で山王丸跡〜大獄城跡で引き返し清水谷道を降りて来る。
その時に案内図に見学順番を書き、曲輪ごとに案内図も撮影、歴史資料館を見学、麓の神社見学で終わり。
全て見たいなら、清水谷から再び登り大獄城跡から西登城路を降りた後に向かい虎御前山城跡を登る。
一日掛かりなので河毛駅8時スタート、登山開始8時半が良いでしょう。
2020年1月3日は、たまたま山頂500m手前で雨が降り出したので引き返す事が出来ましたが、あのまま全て制覇していたら、次のお城巡りが出来たか疑問で有る。
正月一週間休んだ後に日に行ったので、膝が3日間笑った状態でお城巡りしました。
6日に休めたので仕事に支障は無かったとは言え、一週間身体がボロボロでした。
京極丸付近に石垣が有る以外、お城の雰囲気は有りません。
礎石にうるうるする人ならまだしも、ハイキングにしても厳しいお城です。
歴史上の戦いに興味無いなら止めた方が良いと思う。
100名城スタンプは、約5km離れた河毛駅にも置いて有り、スタンプ目当てなら山を眺めて思いを馳せる程度で充分でしょう。
信長と秀吉にとって分岐点となった戦いの舞台としてのこのお城、外せないのが歴史好きの困った処です。
関連リンクのフォトギャラリー検索に貼ったURLより写真を見てください(2021年8月末にアップ予定)。
========================HPより====================
北近江、戦国屈指の山城小谷城
小谷城が築かれた小谷山は、標高495mの急峻な山です。前面には虎御前山・山脇山・丁野山、西に高時川、背後には伊吹山系が控える自然の要害に囲まれた屈指の山城です。
城下には北陸と東海地方を結ぶ北国脇往還、そこから南には、東山道に通じる小谷道が分かれていました。
小谷城跡は、小谷山に深く切り込んだ清水谷(きよみずだに)とその両側の尾根、及び小谷山々頂大嶽(おおづく)にあり、その構造は、本丸を中心とする主郭と居館のあった清水谷、それらを守るように配置された出丸・金吾丸・大嶽城・月所丸・焼尾丸・福寿丸・山崎丸の独立した砦からなります。
元亀争乱
元亀元年(1570)に織田信長が浅井の同盟である越前の朝倉氏を攻めたことによって事態は大きく変化します。
この一報を聞くや否や長政は義兄信長から離反し、織田・徳川連合軍を朝倉軍とともに姉川で迎え撃ちます。
浅井・朝倉軍は姉川では敗れ退陣したものの、その後「志賀の陣」で優勢となり一進一退の攻防を繰り返しました。
一度は和睦を結びましたが、天正元年(1573)大嶽を攻め落とされ、ここを守っていた朝倉軍は退却し朝倉義景は越前国大野で自刃します。
信長は小谷城へ総攻撃をかけ、同年8月29日久政自刃(享年49)、9月1日長政も小谷城内赤尾屋敷で自刃しました。
(享年29)こうして小谷城落城、浅井三代は潰えました。
【休館日中の百名城スタンプ設置場所変更についてお知らせ】
2020年1月10日
令和2年4月1日より以下のとおり変更させていただきます。
1、開館日
~令和2年3月31日 資料館のみ設置
令和2年4月 1日~ 資料館のみ設置(変更なし)
2、休館日
~令和2年3月31日
「長浜市役所湖北支所」「JR河毛駅コミュニティハウス」「戦国ガイドステーション」の3か所に設置
令和2年4月1日~ 「JR河毛駅コミュニティハウス」のみ設置
住所: 滋賀県長浜市
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