出羽・山形城(霞城)
東北の大大名最上氏の居城で日本5番目の大きさ
2020年08月03日

2019年7月末、3月末の吹雪で行けなかった東北地方日本海側のお城巡り3に行ってきました。
●初日・7月27日・盛岡城(252枚撮影・2時間21分)94箇所目~久保田城(171枚撮影・1時間20分)95箇所目~秋田城(97枚撮影・67分)96箇所目~五城目城(53枚撮影・31分)97箇所目。
●2日目・7月28日・横手城(180枚撮影・1時間30分)98箇所目~山形城(199枚撮影・1時間40分)99箇所目~上山城(156枚撮影・1時間33分)100箇所目~米沢城(115枚撮影・57分)101箇所目。
●3日目・7月29日・新発田城(186枚撮影・2時間20分)102箇所目~春日山城(260枚撮影・2時間27分)103箇所目~高田城(164枚撮影・1時間35分)104箇所目。
●4日目・7月30日・松代城(海津城)(251枚撮影・1時間30分)105箇所目+川中島古戦場+善光寺と12箇所行けました。
2022年GW北海道東北お城巡りで訪問。
●2022年04月26日~27日大洗~苫小牧フェリー18時間+待ち時間3時間半~車移動332km6時間。
2022年04月28日蝦夷・福山城(松前城)(452枚撮影・4時間7分)186箇所目~蝦夷・五稜郭(456枚撮影・3時間38分)187箇所目~青函フェリー待ち時間込7時間。
●4月29日陸奥・浪岡城(139枚撮影・1時間48分)188箇所目~陸奥・弘前城再び(362枚撮影・3時間34分)68箇所目~三内丸山遺跡(256枚1時間21分)。
●4月30日陸奥・根城(420枚撮影・2時間33分)189箇所目~陸奥・三戸城再び(385枚撮影・2時間55分)69箇所目~陸奥・九戸城(301枚撮影・1時間41分)190箇所目。
●5月01日陸奥・多賀城(235枚撮影・2時間24分)191箇所目~陸奥・仙台城再び(194枚撮影・2時間51分)43箇所目~出羽・山形城再び(165枚撮影・1時間43分)99箇所目。
●5月02日出羽・米沢城(上杉神社)再び(313枚撮影・2時間8分)101箇所目~越後・村上城(428枚撮影・4時間43分)192箇所目。
●5月03日越後・新発田城再び(178枚撮影・3時間36分)102箇所目~陸奥・会津若松城再び(460枚撮影・3時間58分)46箇所目。
●5月04日陸奥・向羽黒山城・(233枚撮影・2時間30分)193箇所目~陸奥・桑折西山城(194枚撮影・1時間51分)194箇所目。
●5月05日陸奥・二本松城再び(310枚撮影・2時間20分)45箇所目~陸奥・三春城(253撮影・2時間3分)195箇所目~陸奥・白河小峰城再び(311枚撮影・2時間47分)66箇所目。
●5月06日上野・岩櫃城(156枚撮影・3時間10分)・196箇所目~上野・箕輪城再び(251枚撮影・3時間15分)133箇所目~上野・一郷山城・模擬天守(お城と無関係のばったもん)(59枚撮影・16分)197箇所目(100名城以外)~上野・高崎城再び(53枚撮影・39分)36箇所目(100名城以外)とお城23箇所巡れました。
元々古い城郭が有った場所に最上氏が築城し、日本5番目の広さ(江戸城、大坂城、名古屋城、姫路城)。
東北には珍しい石垣を沢山使ったお城です。
二の丸門跡が東西南北、本丸門と堀と御殿跡を発掘修理中でした。
本丸南・一文字櫓門と二の丸・東大手門櫓が復元されています。
見応え充分ですので、秋田県と山形県のお城セット観光がお薦めです。
240枚撮影110分とかなりハードでした。
2022年は水堀内櫓跡撮影は出来ましたが、本丸と内堀の調査で掘りかえしているが櫓一つでも復元を望みたい。
写真は、230.西から見た、出羽・山形城・二の丸・東大手門櫓と愛車。
_2019年07月28日15時02分
関連リンクのフォトギャラリー検索に貼ったリンクのフォトギャラリー検索に貼った写真を見てください(2022年GW分は2024年にアップ予定)。
=================HPより========================
山形城(やまがたじょう)は、山形県山形市霞城町にあった日本の城。
別名は霞城(かじょう)、霞ヶ城(かすみがじょう)と呼ばれる。
また、吉字城とも呼ばれた。
国の史跡に指定され、日本100名城に選定されている。
おおよその城郭構造の基礎は、最上義光の時代につくられ、鳥居忠政の時代に現在の形に整えられたものである。
江戸時代には山形藩の政庁が置かれた。
現在は、武家屋敷群のあった三の丸が市街地化しているが、本丸、二の丸跡が霞城公園として残されている。
霞城公園はかつて運動公園として整備されたため公園内には運動施設が幾つか残っている。
現在、整備方針が変わり史跡公園とすることを目標にしているので残っている施設も将来的に移転される予定である。
建造物では、大手南門が、市内の万松寺山門として移築され現存する。
また、市内八日町羽黑山寶光院の本堂は、御殿の建物を移築したものといわれている(県指定文化財)。
2013年の発掘調査では三の丸跡から奈良・平安時代のものと推定される竪穴住居跡6棟が発見され、城下町は古代から存在した集落を基盤として形成されたのではないかとみられている。
1356年(南朝:正平11年、北朝:延文元年)に斯波兼頼が羽州探題として山形に入部し、1357年(南朝:正平12年、北朝:延文2年)初期の山形城が築城される。
以後、出羽斯波氏は最上氏を名乗り、最上氏本宗家の居城となった。
最上義光が、慶長年間に城郭を拡大し三の丸を構築、家臣団の屋敷が置かれた。
さらに城下町を整備し、慶長出羽合戦で得た出羽57万石の本城となる。
規模
三の丸の内側の面積は235万m2もあり、日本国内では5番目の広さで奥羽地方では最大の城であった。
しかし江戸時代初期の最上氏時代に57万石あった石高も度重なる藩主交代に伴って石高が削減され、山形藩にとっては、維持することすら困難な状態になった。
秋元氏時代(明和4年〈1767年〉)には二ノ丸東大手門の門中央の破損が著しいことから、修理した際に多門櫓が渡る櫓門であったものを、傷みの著しい中央部分のみを修理したため平櫓2基の間に渡すような姿となっていた。
幕末期の水野氏5万石時代には城はかなり荒廃していたようである。
山形城外郭:2,350,000m2
山形城内郭(霞城公園):359,000m2
姫路城外曲輪:2,330,000m2
姫路城内曲輪:230,000m2
江戸城(内郭):2,300,000m2
大阪城公園:1,067,000m2
城郭
山形城は、本丸、二の丸、三の丸が、同心円状に配置された輪郭式平城である。
二の丸には5つ、三の丸には11の出入り門が作られた。
中世の居館を拡張して城郭とし、本丸は御殿のみで天守は造られなかったが二ノ丸に御三階櫓が建てられた。
二の丸は一辺500メートルほどの方形、三の丸は1.5キロメートルから2キロメートルほどの楕円形であった
住所: 山形県山形市
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