
僕はどうもマワリの方々とはモノの価値観やとらえ方が違うらしい。
特にヒトに見えないモノが見えるとか特殊な能力があるわけではないが何かを感じたり、救いの手を差し伸べたいと思うことがよくある。
(思うだけで実行にはうつさないのだが・・・・・・)
で、友人・知人の中にはこの不思議な力を持っている方が2人いる。話を聴いていると本当に見えるんだろうなぁ。聞こえるんだろうなぁ。と思うが、特に個人的な悩みがあるわけでもなくその方々にすがる必要もないのだが、先日ある悩みを抱えて相談かたがた行ってみた。
自分はどうしてココまで
「三川内焼」に魅了されているのか。
自分自身何かに取りつかれているとしか思えない。もしくは、前世で三川内(平戸)と特別な関わりがあったのか?尋ねに言ったわけだ。
確信に迫るような導きの言葉は聞けなかったのだが、誰かがとりついているという事はないようだ。ただ茶碗にごはんをついで座禅を組んでいるもう一人の自分が見えるらしい。その茶碗と出会うまでは、焼きもの狂いは治らないとのこと。そのもう一人の自分を慰めるためにも毎日お茶を入れてあげなさいと言われ、帰宅後お茶をお供えしている次第。(茶碗は熊本小岱焼き 末安窯)
ただ、その他社会生活においてワタシの邪魔をしている輩はいるようで、毎日しばらく「般若心経」を3回唱えなさいとのことでした。
逆にその友人から質問される。
「LEMOND君は何をしたいの?」
即答
「三川内焼き」
「三川内焼の陶芸家になりたいって事?」
返答
「三川内焼を作る人たちが今より裕福になって、いつまでも焼きものの里が残ること」
「また、お金を代表とするカミキレや数字が世の中を牛耳るのではなく、手作りの形あるモノが価値観の中心になる世の中であってほしい」
むろん、思ってるだけでどう行動すべきかなんて考えてもいない。
普通、占いや御払いなど、この種のものにスガリに来る人は、
「婚期はいつごろ」
「仕事の成否」
「自分もしくは子供のいく末」
など、個人的(家庭的)なシアワセを願っての相談が殆んどらしくその方のいわゆる欲得を解き放つよう仕向ければいいのだが、僕は自分自身のことを語らないのでこの手の職業の方にもちと厄介な存在のようだ。
そういえば、以前こういうこともあった。
口では語らないので、今一番気になっている事を紙に書いて持って来なさいと言われた。
正直に真剣にその時(5年位前かな)書いたのは
「ニホンカワウソはこの国の何処かで今も生きてるでしょうか。」

(ニホンカワウソ友の会HPより)
「どうしてその様なことを聴きたいの?」
不思議そうに聞く友人に僕は誇らしげにこう答えた。
「僕一人この世にいないとて、人類にとってなんの変化もない。でもカワウソがもし今も生きているとすれば、その命は何よりも大切なものだから。もし変わる事が出来るなら自分の命を何時ささげてもイイ」
呆れた顔をしながら苦し紛れに友人はこう導いてくれた。
「LEMOND君が生きてると思えばカワウソはきっと生きてるよ!」
また、こうも言われた
「あなたは人に救いを求めるより、自ら修業しなさい」と
僕自身のバカ(変わり者)たる所以はこんなところにも現れるんだなぁ。
最近、長文多くて失礼します。
Posted at 2010/04/10 01:43:55 | |
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