皆様、2016年明けましておめでとうございます。
昨年はたくさんの皆様にお世話になりました。
本年もどうぞ、虎丸を宜しくお願い申し上げます。
さて、お正月ですね。
今年は毎年疑問に思っていた車の不思議を少し考えてみようと、
2016年一発目のブログはひさびーさのコラム記事風にしてみようと思います。
お正月と言えば、御節料理にお雑煮、羽子板やお年玉、初詣やなんやかんや風習がたくさん!
かく言う虎丸のお家もご多忙に漏れず、風習を色濃く受け継ぎ、形式通りのお正月。
地域により大きくことなるのはお正月料理くらいで、基本的に飾りつけそんなに変わりません。
※画像は一般的な関東のお雑煮(虎丸家版)
前置きが長くなりましたが、そう、今回の疑問は『車のお正月飾り』について。
そもそも車にお正月飾りをつけるようになったのはいつ頃なのか?
お正月飾りが消滅してしまったのはどうしてなのか?
とてつもない疑問の念を抱いてしまい、毎年どぎまぎして取り上げてみようと。
しかしながら、結局のところネットで調べてもまったくこの疑問に対して調べた方もいなく、
そもそも車文化の日本の風習について研究されている方がいるのかもわからず・・・
これ、研究して本を出したらちょっとおもしろいかも!
と、思いつつ、まずは推測だけで書いてみようと思います(汗)
まず初めにお正月飾りとは一体何のか?
ここからサクッと手を抜いて、うぃきぺでぃあ先生に教えて頂きながら
講釈を進めてい行きましょうか!
【お正月飾り】
正月飾り(しょうがつかざり)とは、正月に向けて飾られるもの。
多くの場合、前日の大晦日以前に飾られる。
※ウィキペディアより引用
うむ、まぁその通りの事しか書いていない・・・
車に付けられているのは『注連飾り(しめかざり)』と呼ばれるタイプのものが大多数。
では、その『注連飾り』についてさらに深く読み解いて行く事にしましょう。
まずは『注連縄』から派生するものが『注連飾り』のようなのでそちらの文献から。
【注連縄概要】
現在の神社神道では「社(やしろ)」・神域と現世を隔てる結界の役割を持つ。また神社の周り、あるいは神体を縄で囲い、その中を神域としたり、厄や禍を祓ったりする意味もある。御霊代(みたましろ)・依り代(よりしろ)として神がここに宿る印ともされる。古神道においては、神域はすなわち常世(とこよ)であり、俗世は現実社会を意味する現世(うつしよ)であり、注連縄はこの二つの世界の端境や結界を表し、場所によっては禁足地の印にもなる。
御旅所や、山の大岩、湧水地(泉水)、巨木、海の岩礁の「奇岩」などにも注連縄が張られる[1]。また日本の正月に、家々の門や、玄関や、出入り口、また、車や自転車などにする注連飾りも、注連縄の一形態であり、厄や禍を祓う結界の意味を持ち、大相撲の最高位の大関の中で、選ばれた特別な力士だけが、締めることができる横綱も注連縄である。現在でも水田などで雷(稲妻)が落ちた場所を青竹で囲い、注連縄を張って、五穀豊穣を願う慣わしが各地に残る。
※ウィキペディアより引用
上記の概要からすると、車の『注連飾り』もまた『注連縄』と同等のもののようです。
要するに厄や禍を祓う結界として付けるのが車の『注連飾り』の意味のようですね。
では、いつから飾るようになったのか?
お正月飾りの起源から思考してみようと思います。
【起源】
「日本神話」
天照大神が天岩戸から出た際、二度と天岩戸に入れないよう太玉命が注連縄(「尻久米縄」)で戸を塞いだのが起源とされる。
「稲作信仰」
稲作信仰は神道の根幹をなす一つであり、古くから古神道にも存在し、縄の材料は刈り取って干した稲藁、又は麻であり、稲作文化と関連の深い風習だと考えられる。
「古神道」
神が鎮座する(神留る・かんづまる)山や森を神奈備といい信仰した。後に森や木々の神籬(ひもろぎ)や山や岩の磐座(いわくら)も、神が降りて宿る場所あるいは神体として祀られ、その証に注連縄がまかれた。
※ウィキペディアより引用
うーん、全然起源が明確にはわかりません・・・
お正月飾りのこの風習に関しては日本が出来た大昔から、
ヤマトタケルとかそんな太古の話のようですのでぶっ飛ばして・・・
車に付けられているあの飾りはなんなのか?
こちらもサクッと見ておきましょう。
【注連飾り】
本来の意義は、各家庭が正月に迎える年神を祀るための依り代とするものである。現在でも注連飾りを玄関に飾る民家が多く見られる。形状は、神社等で飾られる注連縄の小型版に装飾を加えたもので、注連縄に、邪気を払い神域を示す紙垂をはじめ、子孫の連続を象徴するダイダイの実やユズリハの葉、誠実・清廉潔白を象徴するウラジロの葉などのほか、東京を中心にエビの頭部(のレプリカ)などが添付されることが多い。
これとは別に、東日本を中心に、長さ数十cmほどの細い注連縄を、直径数cm程度の輪形に結わえて、両端を垂らした簡易型の注連縄が広く見られる。これは京言葉で「ちょろ」、東京方言などで「輪飾り」、東海地方などで「輪締め」などと呼ばれている。近畿地方では台所の神の前に飾る程度だが、東日本では、門松に掛ける(東京周辺など)、玄関先に掛ける、鏡餅に掛けるなど、非常に広く用いられる。一般家庭では、本来の注連縄の代用とされる場合も多い。
※ウィキペディアより引用
要するに正月に迎える年神を祀るための依り代ということで、
車を守ってもらうよう神様を迎える飾りとも言い換えられるのではないでしょうか。
さて、車のお正月飾りの起源、こと日本に限っては大衆車として車が庶民に普及した頃から
ということは容易に察しがつきます。
日本で車が普及したのは戦後、1945年以降ということはまずは確か。
1945年以降で国民車構想が日本国内にも沸きあがり、爆発的に普及したのは私が知る限り、
スバル360やホンダのN360が出た辺りで日本国民の車に対する認知度が急上昇したはず。
ウィキペディアで調べると1950年(昭和25年)に自動車の統制価格の廃止をもって、原材料の調達、生産、販売、値付けに関する一切の規制が取り払われ、自由化がなされたとある。
その後、1958年にスバル360がだいぶ遅れて1967年にホンダN360が発売される。
1958~1967年の間にはもちろん多くの車が発売されているが、
知名度が高いと言うことはそれだけ多く販売された大衆車ということで考慮に入れてみた。
要するに車が世間一般の日本国民に普及したのは1960代中盤から後半にかけて、
そう考えてそれほど間違いは無いだろう。
ちなみにフェラーリが日本に初上陸した日本最初のフェラーリも1960年代後半らしいです☆
ではお正月飾りを実際に車につけるようになったのはいつ頃なのか?
上記の写真は1970年代後半、虎丸の母方のおばあちゃんの家で撮影されたものです。
そうです、この頃はすでに車自体が家族のように迎えられ、今よりも納車が盛大だった頃。
ここから真相に迫っていきましょう。
具体的な話を虎丸の両親から聞いてみると、どうやらお正月飾りをつけ始めたのは1960~70年頃。
虎丸の母方の両親(じいちゃんばあちゃん)はそれなりに裕福なお家だったので、
車も新車が発売されたときにすぐに買っていたそうなのですが、
最初にN360を購入したとき、お正月には必ずお正月飾り(注連飾)をつけていたそうです。
N360が発売されたときは1960年代後半~ということで、新車を購入した時期までは不明ですが、
お正月飾りは1960年代後半~1970年代前半にはすでにそれなりに付けられるようになっていた!
ということがまずは曖昧ですが結論。
虎丸家ではこのおじいちゃんのうちの車のお下がりをN360→シビック→シビックともらい継ぎ、
その度にお正月はお正月飾りをつけていたということで1970年代中盤にはすでに風習となっていた
ということが言えるのではないでしょうか。
そして、この風習が無くなっていったのはいつ頃だったのか?
こちらは虎丸も実際に見なくなったなぁ~と体感はしていたので、
衰退し始めたのはどこのブログでも上げられている早くても1990年に入った頃からでしょうか?
年号が平成になり、まだしばらくこの風習は虎丸家でも続いていたのは確かです。
1999年、新車で発売されたばかりのトヨタアルテッツァを虎丸家では購入しました。
そのお正月にはまだ飾りをつけていました。
2000年代に入り、しばらくするとついにうちのアルテッツァにも付けなくなりました。
バブルが崩壊後、車というものが多様性が増えてきて、さらに景気の影響も受け、
軽自動車の売れ行きも増大。
そんな中でお正月という風習自体も大掛かりなお金をかけることが少なくなり、縮小。
昔はどこの家庭でも門松やお正月飾りをしていましたが、今や昭和は前時代の話・・・
もう遠い過去なのです。
さらになぜか、車のお正月飾りがなくなり始めた頃、車にお正月飾りはダサいという風潮も
大きく出ていたように思えます。
かく言う虎丸も1990年代最後から2000年前半頃にはダサいな~と思っていたのを覚えています。
要するにお正月飾りをほぼ目にしなくなったのは2000年~2005年頃、消滅したのは遅くとも
2010年前後と言ったところでしょうか。
ただしかし、まだ車のお正月飾りはホームセンターで普通に買えます。
ということは完全に消滅したわけではない、車を家と同様に大事にする風習がなくなったのが、
この頃と言うことだと思います。
結論としては、
1.【車のお正月飾りとは】
家と同様に大事な家族の一員のようなものだった車というものに対して、
お正月飾り同様に厄や禍を祓う結界として、
又は正月に迎える年神を祀るための依り代として付けていたものだった。
2.【いつからつけられるようになったのか】
明確な時期は不明だが、車の普及し始めた1960年代以降。
完全に習慣と化していたのは1970年代以降。
(個人の聞き取りによる曖昧な推測であるが、大きくズレてはいないはず)
3.【いつ頃につけなくなったor見なくなったのか】
風習としてつけなくなったのは1990年代後半~2000年代前半
お正月にほとんど見なくなり、付けている方が皆無になってしまったのは2010年前後。
4.【どうして付けなくなったのか】
車の多様性と時代の変化、車が道具として別の歩みを始めた平成のため
ダサい、かっこわるい、そしてお正月文化というものが希薄になった現代事情
という個人的な推論結果に行き着きました~~~
いや~調べながらなるほど~と親に話を聞いてみて疑問がちょっと解決できたのはよかったです。
まぁ個人の書くことですし、小一時間で書いているので内容が薄っぺらいのは許してくださいなw
ちなみに現在でもホームセンターで500円もしないで毎年販売されておりますよ!
虎丸は逆になんだか日本の風習して残したい!今はダサいと言うよりなんだか、
ゼロ戦的な、こう日本!て気がして毎年つけたくなってしまいました。
もっと具体的な話や、文献を本で出しているってのを知っていたら是非知りたい、
車トリビアですね(笑)
というわけでお正月早々、くだらない話を最後まで付き合っていただきありがとうございました~
さぁ、皆さん今からでも遅くありません、お正月飾りつけましょう♪