みんカラ登録してからやっとのブログです。
なるべく、更新していきたいと思いますのでよろしくお願いします。
色々趣味はたくさんあるのですが、みんカラでは車のことのみを書き込んでいきます!!
今回は、『RYU☆がシビックに乗るまで』に付いて
語ります☆
その時思いついた言葉で書くので見苦しい点もあるかもしれませんがご容赦ください。
※本文は公道における暴走行為を推奨するものではありません。
交通法規を遵守し安全運転を心がけましょう。
RYU☆も最初から車が好きだったわけではなく、走り屋にも全然興味はありませんでした。免許を取るにも9ヶ月掛けたくらいだし(笑)
免許を取り、最初に乗った車がカローラⅡでした。(たしか、20歳だったかな?)
先輩が就職したため、要らなくなったカローラⅡをもらいました。
この時点では、車が特別好きではなかったし仕事先も自転車で行けたので、年間5,000kmぐらいしか乗らなかったな~(笑)
月日が経ち、カローラⅡの車検が迫ってきました。
カローラⅡは年式も古く、車検での整備にもかなりお金がかかることもあり、乗換えをすることに。
たいして車が好きでもないくせに『次はスポーツカーに乗りたい』と思い色々と調べだしました。
お金がなかったが親が半分くらい(もっとかな…(笑))出してくれることに。しかし、半分出してもらうということはもちろん車のことには口を出してきます。 親は元々スポーツカーを買うことには反対だったので選べる車はかなり絞られます。
RYU☆の地元は北海道です。冬は雪がすごいです。ちなみにRYU☆が最初にほしかった車は
・セリカ GT-FOUR
・ランエボ(グレードなんてわからなかったのでなんでもよかった)
・GTO
と4WDばかり(笑)
しかし、GT-FOURは年式が古くよいタマがありませんでした。
ランエボとGTOは、値段的にNG。
さらに、4WDは維持費的にも厳しくあっさり却下されました(笑)
そこで、値段的にも維持費適にも手ごろなセリカ(ZZT230)かインテグラ(DC5)から選ぶことに。
この時点ではセリカの方がかっこよかった(見た目重視だった)のでセリカが欲しかったのですが、親戚の車屋の人からも『HONDAの方がいいよ』(車屋の向えがHONDAだったし)と言われインテグラに決めました。
当時のインテグラDC5には、TYPE-RとISと言うグレードがあり、スタイリング的にも走り的にもTYPE-Rの方が上でしたが、RとISでは100万円ぐらい差があり、金銭的(値段、維持費)にISにすることしました。妥協だらけ(笑)
DC2でTYPE-Rという選択肢もあったのですが、親の意向もあり(半分以上出してもらうので、逆らえなかった…)DC5のIS に決定。
初めて自分で選んだ車。もちろん、かっこよくしたい!!
まあお金もなかったので、インテリアを中心に弄りましたね~。
走りに関係あるチューンはマフラーとエアクリぐらい(笑)
今思うとホイールや足回りも純正でマフラーとエアクリって…かなり痛い車だった(笑)そんな中、職場に、元走り屋の先輩がいてその人に車についてアドバイスをもらっているうちに『走り』に興味を持ち始めました。
今の昔もRYU☆の中で求める『走り』とは、峠最速!!とかではなく純粋にドライビングテクニックの上達です。
もちろん、そこを追求すると言うことは速く走ることにつながってきます。
この話については、また別の機会に書くことにします…。
RYU☆は北海道で有名な走りスポット(以下お山)に行くようになりました。
最初は夜のお山をドライブするぐらいで満足でした。『走り』とは程遠いものです。お山ではGT-Rやインプレッサなどたくさんのスポーツカーとすれ違うたびにうれしくなっていましたね~(笑)
今思えば、かなり邪魔だったんだろうな~ …すみません。
ある日、いつものようにお山に行きました。その日は友達のうちで『頭○○D』を読んでかなりテンションが高くなってましたね。
とりあえず、直線でアクセルを踏み込んでみる。
メーターの針がすごい勢いで振れ車内にマフラーの音が響き、エンジン音が甲高くなる!!
下りの長い直線。
そして大きな左コーナー。
まだ、『走り』のことなど全然知らないRYU☆
もちろん、ライン取りやブレーキングなんてできません。知りません。
曲がれるわけがありません。
数秒後 ISは無残な姿に…。
たくさんの人たちに迷惑を掛けました。
自爆だったから良かったものの別の車に接触でもしていたら大変なことになっていました…。
初めての車(2台目だけど気持ち的に初めでした)悲しかったな~。
しかし、幸いなことに体は無傷で次の日も何事もなかったかのように仕事に行きました。
事故後しばらく、色々なことについて考えました。
事故を起こしてしまったこと…。
大事にしていた車を失ったこと…。
周りに多大な迷惑を掛けてしまったこと…。
そして…
なぜ、あそこで事故にあったかを…。
そこから、事故の起こった状況を思い出しながらドライビングテクニックについて調べました。
・
本当に曲がれなかったのか?
・
あの時どおすれば事故を回避できたのか?
調べれば調べるほど後悔の気持ちが大きくなりました。
そう。あの事故は回避できた
それが分かりRYU☆はまたあのコーナーに挑戦してみたくなったのです!!
スポコン漫画の読みすぎです…。
アホです…。
そのためには車が必要でした。
ISは大事にしていたし、大好きでした。もちろんTYPE-Rとは違います。とても、『走り』に適しているとは思いません。
それでも、RYU☆はあのISであのコーナーにリベンジしたかったのです!!
さっそく、預けてあった親戚の車屋の人に電話しました。
しかし、ISはエンジンこそ無事だったものの、とても復活できる状態じゃありませんでした。
復活させるにも買ったときと同じくらいの費用が掛かるこたが判明。直しても前と同じ状態にはならないと言われました。
そんな話を聞かされてもRYU☆はISを復活させたかったのですが、お金も出せず、復活はあきらめざるをえませんでした…。
数日後、廃車の手続きをするため父といっしょに親戚のところを訪れました。
書類にサインをして、次の車はどうすると言う話になりました。
職場は近かったものの車なしでは厳しい状況。
自分はもちろん次もまたスポーツタイプの車欲しかったのですが、お金を出すのは親。ましてや事故を起こしている身どんな車になろうとも文句は言えません…。
そんなとき親戚が
『今、この間オークションで取ったシビックのTYPE-Rあるけど見てみる?』
窓の外には、前期型のシビックTYPE-R(EK9)が。
『かっこいい~!!ほしいな~。』
つい言ってしまいました…。
父は、『こんな車に乗ったら、また事故起こすからだめだ』と。
親戚が、『車好きな人にとって好きでもない車に乗ることはかなり苦痛ですよ。』
その通りだ。しかし、事故を起こした身それぐらいの当然の報いである。
むしろまた車を与えてもらえることが奇跡なくらいだ。
親戚の説得に、父も少し揺れる。
実は父も昔は走り屋だったかどうかは知らないが車好き!!
今でも実家の地下室には昔、父が乗っていた古いスカイライン(R30)が置いてある。
そして、親戚にいたっては元(現役?)走り屋である。実家には32GT-R(ナンバーなし)と32Z(現役)があるらしい…。
ようやく父も折れ、
今後お山に行かないという約束で契約成立。
母には、父がうまく言ってくれたらしい…。
何しろぱっと見ただのハッチバック。車を知らない人から見たらその辺の車とかわらない。
かくして、めでたく
シビックTYPE-Rのオーナーとなりました!!
そして、走り屋になりました。
今は分けあって2台目のEK9に乗り換えましたが、シビックに出会えて本当に良かった!!
しかし、あのときの父との約束…
全然守ってません!!
ごめんなさい~。
長々と読んでくれた方ありがとうございました。
次は、初代シビックTYPE-R(前期型)の活躍について語ります。
題して
『お山とシビック』 (続きもの!?)